「エモい」と「dope」〜平成最後の夏から東京五輪へ〜

※只今酔った勢いで久し振りに筆を取っており、ここから先の文章についてはあまり根拠も脈絡もありません

近頃「エモい」が一般化していることが気になる。2010年頃にはすっかりサブカルクソ野郎をしていた私としては、この言葉をナチュラルに万人が使っていることに驚く。わたしもまあこの単語を多用するタイプのサブカルではあったが、一応「エモい以外の単語では言い表せない感情」という場合に使う最終手段のような言葉として認識している。

今は平成最後の夏である。この「平成最後の夏」もよく使われる言い回しである。
平成最後の夏に「エモい」という言葉が定着したことには、なんらかの相関関係を感じる。

時間が未来に向かって進んでいる限り、終わりというのは「迫ってくるもの」である。この、終わりに迫られている感覚は、無意識に人々を緊張させる。そんな緊張した時代を生きていると、一瞬の煌めきのような、グッとくる、「エモい」瞬間にフォーカスしたくはならないか。
ものすごく乱暴な理論なのは自分でも分かっているが、「平成最後の夏」と「エモい」の定着には繋がりを感じるのだ。(しかしいかんせん酔いながらの乱文である。この部分は後日書き直したい気がする)

懲りずに更に乱暴な文章を続ける。
「平成最後の夏」に「エモい」が定着しているが、今後「dope」も定着するのではないかと思っている。
これには全く根拠がない。(困ったものだ)
平成が終われば今度は「新しい元号の時代」が始まる。2020年には東京オリンピックがある。日本中がなんとなく浮かれて、なんとなく景気が良い気がしてくる。そういう時代になればまた反対に、その空気感に中指を立てたくなる気持ちを声高らかに宣言するひとが出てくるはずである。その時それを「エモい」と表現するだろうか。わたしは「dope」が一般化するような予感がしている。

自分で読み返してもびっくりする程の乱文である。理論が飛躍しすぎである。それでもなんとなくわたしには、「dope」がこれから「エモい」とは違うけれど「エモい」的な立場を持った言葉として一般化していく気が、なんとなくするのである。

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