JW453 弟の神社
【崇神経綸編】エピソード28 弟の神社
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
紀元前36年、皇紀625年(崇神天皇62)10月、依網池(よさみのいけ)が築造された。
そして、三人の人物が解説をおこなうのであった。
すなわち、日嗣皇子(ひつぎのみこ:皇太子のこと)の活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)。
「ミマキ」の妃、尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)(以下、オー)。
「ミマキ」の皇子(みこ)、八坂入彦(やさかいりひこ)(以下、ヤサク)である。
オー「読者のみなさん、やっとかめだなも(お久しぶりです)。エピソード376以来の登場だで!」
ヤサク「我(われ)は、エピソード446以来の登場にござる。」
ミマキ「して、依網池とは、二千年後の何処(いずこ)になるのじゃ?」
イク「それが、跡形も無いんだよね。」
ミマキ「な・・・無くなっておるのか?!」
ヤサク「御安心くだされ。残ってはおりませぬが、池の場所は、語り継がれておりまするぞ。」
オー「大阪府大阪市の住吉区庭井(すみよしく・にわい)に鎮座(ちんざ)する、大衣羅神社(おおよさみじんじゃ)の近くに有ったと伝わっとるんだがね。」
ミマキ「なっ! 大衣羅神社じゃと?!」
ヤサク「さ・・・左様にござりまするが・・・。い・・・如何(いかが)なされましたか?」
ミマキ「大衣羅神社と申せば、わしの弟、建豊波豆羅和気王(たけとよはづらわけ・のきみ)こと『ヅラ』が祀(まつ)られておる社(やしろ)のことではないか!」
イク「たしか、叔父上は、作者の陰謀で、疫(やく)によって亡くなったことにされたんだよね?」
オー「エピソード250で、亡くなったことにされたんだがね。それだけじゃないでよ。疫が流行(はや)った折には、エピソード251で、私の娘、渟名城入姫(ぬなきいりひめ)こと『ナッキー』が、心の病で引退し、エピソード252では、もう一人の娘、十市瓊入姫(とおちにいりひめ)こと『にぃにぃ』も、作者の陰謀で、亡くなったことにされたんだがね・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ヤサク「あの頃は、まことに苦しい日々にござりましたな・・・(´;ω;`)ウッ…。」
イク「ぼ・・・僕が、産まれる前のことだよね? そんなに酷(ひど)かったの?」
ミマキ「そうじゃ・・・。あのようなこと、二度とあってはならぬ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
イク「ち・・・ちなみに、依網池の水は、住吉大社(すみよしたいしゃ)の門前にまで導かれていたんだって・・・。でも、住吉大社は、僕たちの時代には、まだ創建されてないんだって・・・。」
ミマキ「そうか・・・。ならば、詳しい解説は、後日と致そうぞ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
イク「こ・・・これじゃあ、解説にならないですね・・・。」
こうして、依網池も築造されたのであった。
その一ヶ月後の11月、苅坂池(かりさかのいけ)と反折池(さかおりのいけ)も築造された。
しかし、場所は不明である。
ミマキ「ちなみに、池を築造した際、わしは行幸(ぎょうこう:天皇の外出)し、桑間宮(くわまのみや)という行宮(あんぐう:仮の皇居)を建てたと伝わっておるぞ。」
オー「宮の場所は、よう分からんけどよぉ、大阪市の粉浜(こはま)に有ったと言われとるがね。」
イク「粉浜は、大阪府住吉区(すみよしく)北部および住之江区(すみのえく)北部にまたがる地域と言われてるよ。」
とにもかくにも、多くの池が造られたのであった。
つづく
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