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JW324 大彦と弥彦山

【東方見聞編】エピソード7 大彦と弥彦山


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

高志国(こし・のくに:北陸地方)を旅する、大彦(おおひこ)たち。

従う者たちは、下記の通り。

葛城宮戸彦(かずらき・の・みやとひこ)(以下、みやさん)。

それから、和珥彦国葺(わに・の・ひこくにふく)(以下、くにお)。

そして、赤ん坊の得彦(えひこ)である。

彼らは、富山県の紹介を終え、新潟県に入ったのであった。

系図(大彦)
系図(葛城氏と和珥氏)
地図(新潟県に入る)

くにお「して、ここは、新潟県の何処(いずこ)にござりまする?」

大彦「小千谷市(おぢやし)の土川(つちかわ)なんだな。」

くにお「段々と、読めて参りましたぞ。神社を創建しようというのでは?」

みやさん「その通りにござるよ。その名も、魚沼神社(うおぬまじんじゃ)にござるよ。」

地図(魚沼神社)
魚沼神社(鳥居)
魚沼神社(拝殿)

くにお「皇子(みこ)が建てられたのでござるか?」

大彦「違うんだな。でも、大王(おおきみ)の御世に建てられたと、書かれているんだな。」

くにお「なるほど・・・。旅のついでに、紹介しておこうとの腹積もりにござりまするな?」

みやさん「まあ、とにかく、聞いて欲しいのござるよ。」

くにお「しょ・・・承知仕(しょうち・つかまつ)った。」

大彦「では、まず、祭神を紹介するんだな。天香語山命(あまのかごやま・のみこと)なんだな。」

みやさん「天香語山命とは、尾張氏(おわり・し)の祖、高倉下(たかくらじ)にござるよ。」

くにお「たしか、初代、神武天皇(じんむてんのう)の御世に活躍された人物であったな?」

みやさん「その通りにござるよ。」

くにお「されど、高志国に、高倉下とは、面妖(めんよう)な話じゃな?」

みやさん「まあまあ、最後まで聞いて欲しいのでござるよ。」

大彦「社伝によると、高倉下は、神武天皇の命を受け、野積の浜(のづみのはま)に上陸し、地元民に稲作や、製塩、漁労、養蚕を教えたそうなんだな。」

みやさん「そして、越後国(えちご・のくに)を作った神様として、弥彦山(やひこやま)に祀(まつ)られたのでござるよ。」

くにお「し・・・しばし、お待ちいただきたい。越後国とは?」

みやさん「越後国とは、のちに新潟県となる地域のことでござるよ。高志国は広すぎるので、のちに分割されるのでござるよ。」

くにお「では、野積の浜とは? ここから海は、遠うござるが?」

みやさん「野積の浜とは、二千年後の長岡市(ながおかし)の野積海水浴場(のづみかいすいよくじょう)が有る、浜辺のことにござるよ。」

くにお「長岡市?! ここから更に北の地ではないか!?」

地図(野積の浜→野積海水浴場周辺)
現在の野積の浜

大彦「野積の浜から、稲作などを教えつつ、小千谷市まで来たと思うんだな。」

くにお「それと、もう一つ、気になることが・・・。」

大彦「何かな?」

くにお「社(やしろ)の近くに、山など見当たりませぬが・・・。」

みやさん「弥彦山は、野積の浜の近くにござるよ。長岡市と弥彦村(やひこむら)の境目に有る山にござるよ。」

地図(弥彦山)
弥彦山(遠景)

くにお「は? で・・・では、なにゆえ、小千谷市に神社が?」

大彦「実は、弥彦山の方に、彌彦神社(やひこじんじゃ)が有るんだな。鎮座地(ちんざち)は、弥彦村の弥彦(やひこ)なんだな。」

みやさん「こちらが最初に建てられた神社にござるよ。創建時期は不明にござるよ。」

地図(彌彦神社)
彌彦神社(鳥居)
彌彦神社(拝殿)

くにお「なるほど・・・。それ以降、様々な地で祀られるようになったと?」

大彦「そういうことなんだな。そして、魚沼神社も建てられたというわけなんだな。」

くにお「されど、やはり気になりまする。」

大彦「何かな?」

くにお「高志国に、高倉下が遣(つか)わされたことにござりまする。なにゆえ、御初代様は、尾張氏の祖を遣わしたのでござろうか? 他の者では、ダメだったのでござりまするか?」

大彦「他の者とは、誰かな?」

くにお「日臣(ひのおみ)など、様々な人物がおられるではありませぬかっ。」

みやさん「我(われ)は、妥当(だとう)な人選だと思うのでござるよ。」

くにお「妥当? なにゆえじゃ?」

みやさん「高倉下は、物部氏(もののべ・し)の祖、可美真手(うましまで)の兄にござるよ。当然、中つ国に強い影響力を及ぼしていたはずにござるよ。」

くにお「ど・・・どういうことじゃ?」

みやさん「影響力を削(そ)ぐため、高志国に向かわせたと思うのでござるよ。高千穂(たかちほ)が主導権を握るため、そのような措置(そち)をしたのではないかと思うのでござるよ。」

大彦「それがしは、違うと思うんだな。」

みやさん「では、どう、お考えにござるか?」

大彦「本当は、それがしが、祀られていたと思うんだな。」

くにお「ただの願望ではありませぬか!!」

得彦「ほぎゃぁぁぁ! ほぎゃぁぁぁ!」

大彦「得彦が、泣いてしまったんだな・・・(´;ω;`)。」

くにお「も・・・申し訳ござりませぬ・・・。さ・・・されど、願望に過ぎぬではありませぬか?」

大彦「そんなことはないんだな。高倉下では、やはり不自然なんだな。」

くにお「拙者も、そう思いまするが・・・。」

大彦「山を祀ったことが原因だと思うんだな。」

くにお「山?」

大彦「弥彦山を祀ったことが原因で、いつしか、山といえば『天香語山』になってしまったと思うんだな。」

くにお「山の神といえば、大山祇神(おおやまづみのかみ)などもおられまするが?」

大彦「・・・・・・( ゚д゚)ハッ!」

みやさん「そんなことより、得彦が、腹を空かせているみたいにござるよ。」

大彦「ち・・・近くの邑(むら)で、乳の出るオナゴを探すべきなんだな。」

こうして、なにはともあれ、魚沼神社が創建されたのであった。 

つづく

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