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JW471 崇神天皇崩御

【崇神経綸編】エピソード46 崇神天皇崩御


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

紀元前30年、皇紀631年(崇神天皇68)12月5日。

運命の時が訪れようとしていた。

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)に死期が迫っていたのである。

そして、最後に、日嗣皇子(ひつぎのみこ)である、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)と語らうのであった。

系図(イク)

ミマキ「来たか・・・。『記紀(きき)』には無いが、申し伝えておきたいことがある。」

イク「えっ? それは、どういうこと?」

ミマキ「汝(なれ)の妃は、一人しかおらぬ。狭穂姫(さほひめ)こと『さっちん』じゃ。」

イク「そうだよ。『さっちん』以外、僕は、考えられません。」

ミマキ「それは、汝(なれ)が決めること。とやかく言うつもりはない。されどな・・・。『さっちん』が大后(おおきさき)となったのちも、兄の狭穂彦(さほひこ)を重く用いてはならぬぞ。」

系図(狭穂彦、さっちん)

イク「えっ? ど・・・どうして? 僕の義理の兄になるんだよ?」

ミマキ「狭穂彦は、良からぬことを考えておるやもしれん。わしの弟、彦坐王(ひこいます・のきみ)こと『イマス』亡き今、あれを抑(おさ)えられる者は居(お)らぬ・・・。」

イク「よ・・・良からぬことって?」

ミマキ「とにかく・・・。側(そば)で仕えさせても良いが、信じてはならぬ・・・。大臣(おおおみ)や、将軍たちと通じ、兄弟たちと相和(あい・わ)し、すぐ動けるようにしておけ・・・。」

イク「そ・・・そんな・・・。戦(いくさ)になるかもしれないってこと?」

ミマキ「そうならぬようにするのが、大王(おおきみ)の務めぞ。大王は、汝(なれ)なのじゃ。」

イク「ぼ・・・僕には、信じられない。そんなことしたら『さっちん』が悲しむって、狭穂彦も分かっているはずだよ。妹を不幸にしたい兄なんて、いるはずがないじゃないか!」

ミマキ「それでも、人は、目が眩(くら)めば、道が見えなくなるモノ・・・。」

イク「で・・・でも・・・。」

ミマキ「わしは、かつて、叔父の武埴安彦(たけはにやすひこ)こと、安彦叔父上を殺(あや)めた・・・。望むと、望まざるとに関わらず、あのようなことになってしもうた・・・。汝(なれ)には、あのような想い・・・味わってもらいたくないのじゃ。」

イク「戦(いくさ)になるか、ならないか、それは、僕の肩にかかってるんだね?」

ミマキ「そうじゃ。相手が動けぬようにせよ。よしんば、動いたとしても、他国を巻き込まぬようにせよ。全ては、大王の汝(なれ)にかかっておる。気をしっかりと持て!」

イク「か・・・かしこまりました・・・(´;ω;`)ウッ…。」

ミマキ「心配じゃが、これも定め・・・。もう、わしは、見守ることしか出来ぬ。良いな? わしが申したこと、忘れるでないぞ。」

イク「わ・・・分かりました・・・。」

ミマキ「ヤマトがこと・・・汝(なれ)に託(たく)す・・・ガクッ。」

イク「父上ぇぇぇぇ!!!」

この日、偉大な大王が世を去った。

崇神天皇の崩御(ほうぎょ)である。

つづく

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