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JW430 忘れていた神社

【崇神経綸編】エピソード5 忘れていた神社


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。

地図(磯城瑞籬宮)

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)の元に、一人の人物が参内(さんだい)していた。

その人物とは、大筒木垂根王(おおつつきたるね・のきみ)(以下、タルタル)である。

タルタル「読者のみなさま、お初にお目にかかる。『タルタル』にござる。」

ミマキ「誰じゃ?」

タルタル「なっ! 大王(おおきみ)! 甥(おい)の顔を忘れられたと申されまするか?!」

ミマキ「甥? 彦坐王(ひこいます・のきみ)こと『イマス』に、汝(いまし)のような子がおったか? 全く覚えがないが・・・。」

タルタル「何を申されまするか! 我(われ)の父は、彦湯産隅(ひこゆむすみ)こと『ムッシュ』にござりまする。エピソード250にて、作者の陰謀により・・・(´;ω;`)ウッ…。」

ミマキ「疫(やく)で亡くなったことにされた、あの『ムッシュ』兄上の子であると申すか?」

タルタル「ちょっと! 読者のためとはいえ、とぼけるのは、やめてくださりませ!」

系図(タルタル)

ミマキ「す・・・すまぬ。されど、此度(こたび)の参内、なにゆえじゃ?」

タルタル「実は、作者が忘れていたことがござりまして・・・。」

ミマキ「忘れていたとは?」

タルタル「紀元前93年、皇紀568年(崇神天皇5)に、伊奈冨神社(いのうじんじゃ)が創建されているのでござる。祭神は、食物の神、保食神(うけもちのかみ)にござりまする。」

伊奈冨神社(鳥居)
伊奈冨神社(拝殿)

ミマキ「紀元前93年といえば、疫が流行(はや)り始めた頃ではないか・・・。」

タルタル「左様。あの頃は、いろいろな社(やしろ)が創建されましたので、混乱の中、漏(も)れていたようにござる。」

ミマキ「そ・・・そうか・・・。して、何処(いずこ)に鎮座(ちんざ)しておるのじゃ?」

タルタル「三重県鈴鹿市稲生西(すずかし・いのうにし)に鎮座しておりまする。」

地図(伊奈冨神社)

ミマキ「なるほど・・・。『鈴鹿サーキット』の近くなのじゃな・・・。」

タルタル「さすがは大王! 『鈴鹿サーキット』こと東ヶ岡(ひがしがおか)は、祭神と所縁(ゆかり)の有る地にござる。神代(かみよ)に、東ヶ岡に降臨されたと伝わっておりまする。」

地図(東ヶ岡)

ミマキ「なるほど・・・。して、わしの御世となって、社を建てることになったのじゃな?」

タルタル「左様にござりまする。」

こうして、伊奈冨神社の解説に成功したのであった。

そして時は流れ、紀元前44年、皇紀617年(崇神天皇54)となった。

ここは木国(き・のくに)・・・。

二千年後の和歌山県・・・。

地図(木国)

天照大神(あまてらすおおみかみ)(以下、アマ)が、御杖代(みつえしろ)の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)(以下、きぃ)に、重大発表を告げていた。

アマ「わらわは、想うところあって、別の地に遷(うつ)ろうと思う。」

きぃ「お・・・思ったより早いのですね?」

アマ「仕方なかろう! 次は吉備(きび)にするぞ!」

またまた引越を要望する『アマ』様。

次の遷座地(せんざち)とは? 

次回につづく

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