JW488 甲可日雲宮
【垂仁天皇編】エピソード17 甲可日雲宮
第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。
紀元前27年、皇紀634年(垂仁天皇3)。
ここは、纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)の元に、甥っ子の八綱田(やつなた)(以下、つなお)が参内(さんだい)している。
群馬県伊勢崎市(いせざきし)の東上之宮町(ひがしかみのみやまち)に鎮座(ちんざ)した、倭文神社(しどりじんじゃ)の解説をするためである。
そして、上之宮という言葉に「イク」が過敏(かびん)に反応するのであった。
イク「ところで、上之宮と聞いて、思い出したんだけど、同じ群馬県に、下之宮(しものみや)があったよね?」
つなお「さすがは、大王(おおきみ)! 群馬県玉村町(たまむらちょう)の下之宮に、火雷神社(からいじんじゃ)が鎮座(ちんざ)しておりまする。エピソード244で解説された社にござりまするな・・・。大王や我(われ)が産まれる前の御世にござりまする。」
イク「先代の大王と大后(おおきさき)が解説されておられるね。母上が、大后になった時の解説みたいだよ。僕が、産まれる前ってところに、ロマンを感じるね。」
つなお「ま・・・まあ、とにかく、火雷神社が、下之宮で、倭文神社が、上之宮という形で、近隣住民より崇拝(すうはい)を受けているそうにござりまする。」
こうして、なにはともあれ、倭文神社が創建されたのであった。
そして、年が明け、紀元前26年、皇紀635年(垂仁天皇4)となった。
ここは、伊賀国(いが・のくに:現在の三重県西部)。
敢都美恵宮(あえとみえ・のみや)。
天照大神(あまてらすおおみかみ)(以下、アマ)の御杖代(みつえしろ)、倭姫(やまとひめ)(以下、ワッコ)が、驚きの声を上げていた。
ワッコ「此度(こたび)は、どちらに遷座(せんざ)なされるのですか?!」
アマ「淡海国(おうみ・のくに)じゃ。二千年後の滋賀県であるぞ! 喜べ!」
ワッコ「たった二年で、お遷(うつ)りになるのですね・・・。」
アマ「すまぬが、そういうことになった・・・。して、此度の宮は、甲可日雲宮(こうかひくも・のみや)と申すぞ。そして、候補地は、十四社も有るのじゃ! 喜べ!」
ワッコ「よ・・・喜べと?」
そこに、三人の人物がやって来た。
采女(うねめ)の香刀比売(かとひめ)(以下、カット)。
大称奈(おおねな)(以下、ねな)。
「ねな」の弟、大荒(おおあら)(以下、アララ)である。
カット「御安心くださりませ。分かりやすく、エリアに分けて解説することに致しましたぞ。まずは、滋賀県甲賀市(こうかし)と、湖南市(こなんし)の二つのエリアに分けまする。」
ねな「更に、甲賀市を四つに分割するわよ。信楽町(しがらきちょう)、甲南町(こうなんちょう)、水口町(みなくちちょう)、土山町(つちやまちょう)の四つよ!」
アララ「あらら・・・。そういうことになっちゃった。」
ワッコ「甲賀市の四つと、湖南市・・・。合わせて、五つのエリアになるのじゃな?」
カット「その通りにござりまする。では、信楽町エリアから参りましょう。」
ねな「信楽町には、二つの候補地が有るわ。一社目が、高宮神社(たかみやじんじゃ)よ。」
ワッコ「祭神(さいじん)は、火の神である、軻遇突智(かぐつち)となっておるようじゃが・・・。」
ねな「それでも候補地なのよ。ちなみに、信楽町多羅尾(たらお)に鎮座(ちんざ)してるわ。」
アララ「あらら・・・。そういうことになっちゃった。」
カット「もう一つの候補地は、日雲神社(ひくもじんじゃ)にござりまする。二社目ですな。」
ワッコ「されど、祭神は、天御中主神(あめのみなかぬし・のかみ)となっておるぞ?」
ねな「それでも候補地なのよ。ちなみに、信楽町牧(まき)に鎮座してるわ。」
こうして、信楽町エリアの解説に成功したのであった。
つづく
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