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JW492 戯言ではないぞ

【垂仁天皇編】エピソード21 戯言ではないぞ


第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。

紀元前26年、皇紀635年(垂仁天皇4)9月23日。

大后(おおきさき)の狭穂姫(さほひめ)(以下、さっちん)が、体を休め、まどろんでいたところ、兄の狭穂彦王(さほひこ・のきみ)が、衝撃の告白をおこなうのであった。

系図(さっちん、狭穂彦)

狭穂彦「この短剣を、汝(なれ)に預(あず)けよう・・・。そして、大王が、お寝(やす)みになっている時に、この短剣で、すばやく首を刺すのじゃ。」 

さっちん「なっ!? 兄上?! 戯言(ざれごと)は、おやめくださりませ!」 

狭穂彦「戯言ではないぞ。我(われ)は、本気で、大王を討つつもりじゃ。ここからは『記紀(きき)』には書かれておらぬが、あえて申そう。我(われ)や汝(なれ)には、高貴な血が流れておるのじゃ。しかし、大王は、どうじゃ? 物部(もののべ)の血が流れる、卑(いや)しき者ぞ?」 

さっちん「あ・・・兄上?」 

狭穂彦「二代目様の時、作者の見解では、中つ国(なかつくに)と高千穂(たかちほ)の派閥争いが有ったと見ておる。今や、ヤマトは、物部や尾張(おわり)など、中つ国の豪族たちが牛耳(ぎゅうじ)っておる。中臣(なかとみ)や大伴(おおとも)、葛城(かずらき)に大倭(やまと)、久米(くめ)・・・。これらの豪族は、必ずや、我(われ)に味方するであろう。更には、丹波道主王(たにわのみちぬし・のきみ)こと『ミッチー』兄上たちも、我に、味方するはずじゃ。」 

さっちん「い・・・戦(いくさ)を起こす、おつもりにござりまするか?!」 

狭穂彦「我(われ)とて、民(おおみたから)を苦しめとうはない。されどな、汝(なれ)が大王を刺せば、戦は起きずに済む。大王一人の血で、栄華(えいが)が約(やく)されるのじゃ。」 

さっちん「あ・・・兄上・・・。」 

狭穂彦「良いな! このこと、他言無用(たごんむよう)ぞ!」 

そう言うと、狭穂彦は、走り去っていった。

一人、残された「さっちん」。 

さっちん「嗚呼・・・。おかしなことになってしまった・・・。この短剣・・・どうすれば・・・。」 

悩みつつ、短剣を懐(ふところ)に入れる「さっちん」。 

さっちん「このようなこと、許されるモノではない・・・。されど・・・このことを大王に伝えたら、兄上は・・・・・・。嗚呼・・・。私は、どうすれば・・・。」 

妹が思い悩んでいるとも知らず、狭穂彦は、和珥彦国葺(わに・の・ひこくにふく)(以下、くにお)の屋敷を訪ねていた。

系図(和珥氏:くにお)

くにお「このような、やり取り、『記紀』には、書かれておりませぬぞ?」 

狭穂彦「さりとて、我(わ)が父、彦坐王(ひこいます・のきみ)の母方の実家、和珥一族を頼らぬ道理が有るまい? 共に立とうぞ!」 

くにお「そ・・・そのようなことを申されましても・・・。」 

狭穂彦「して、我(われ)が大王となった暁(あかつき)には、汝(なれ)を大臣(おおおみ)にしたいと思うておる。我を支えてくれ。」 

くにお「そのような『記紀(きき)』に書かれておらぬことを申されましても、困りまする。それに、なにゆえ、このような暴挙(ぼうきょ)をおこなわんとされておられまするのか?」 

狭穂彦「暴挙に非(あら)ず。これは、民(おおみたから)のためなのじゃ。」 

くにお「民のため? またまた『記紀』には書かれておらぬことを・・・。」 

狭穂彦「されど申すぞ。一昨年(おととし)、任那(みまな)にて、赤絹(あかぎぬ)が奪われた一件は知っておろう? 新羅人(しらぎ・びと)に奪われた一件じゃ。」

地図(赤絹強奪事件:エピソード477)

くにお「ヤマトより贈った赤絹が奪われた件にござりまするな? それが何か?」 

狭穂彦「任那は、ヤマトに与(くみ)した国。その国の赤絹が奪われたのじゃ。これでは、ヤマトの面目(めんもく)は丸つぶれ。ヤマトと新羅は、いがみ合っていると考えるべきであろう。」 

作者オリジナル設定の会話は続くのであった。 

つづく

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