それから

 むし暑い、八月の朝に、人類は侵略者に屈した。善戦むなしく世界各地、次々と降伏に追い込まれた。
 それでも”彼ら”は地球を焼く尽くそうとはせず、これから人類に待ち受ける処遇について淡々と説明し、有無を言わせず、まるで福音であるような印象さえ抱かせたのだ。
 支配者失格の烙印をおされた権力者たちは、その地位を追われ、代わりに”彼ら”がその座についた。
 私は、戦火から逃れ、草いきれも爽やかで、麗しの山々の連なる片田舎の伯父の家に身を寄せていた。
『人類の敗北は決定的となり、わたしたちテレビ局、メディアは彼らの支配下になりました。これからは、その指導を下に放送を――』
 男性のアナウンサーがテレビで言っていた。
 戦争で負けたらこの世界が崩壊するはずであるのに、まだ周りの木々が、緑が、濃い夏の光りを浴びている。
 耳をつんざく蝉を音と、木々の甘いにおいと、爽やかな花の香りがほのかに染みこんでいる、清廉な夏の朝の風、それらに蒸し暑い沈黙がのしかかるようだ。
 冷房の冷たさが全てを遮断し、外界とを隔てる透明な壁を形成していた。台所には六人掛けのテーブルがあり、朝食の片づけをする伯母と、それを手伝う従妹がいて、私は何か胸騒ぎを感じていた。
 同時に、とりあえずこの世界が終わることなく、そっくり頭が”彼ら”に挿げ替えられるだけで、これまで通りの、もしくはより洗練された営みがはじまるのではとの期待を、云うなれば新世界のはじまりを予感していた。
 実家にもどり両親と再会し、何不自由ない日常がテープの再生ボタンを押したように始まった。
 真夏のピークが去り新学期、同級生たちと再会した。
 九月最初の土曜日の夕方、自宅からほど近い公園にきていた。そこは台地にあり、眼下に住宅街を見下ろして、急な、手摺の錆びた階段が、これまた急な坂道につづいていた。
 私はそのよこのベンチに、カバンを枕に寝転がっていた。
 鉛色の今にも雨滴に顔を撃たれそうな空に、円筒型の飛行物体が何機も飛んでいる。あれからひと月も経たないが、今では日常であり、遠く都心の彼らの巨大な塔に吸い込まれていく。
 急に、視界が、彼女で遮られた。気配と、体温とを感じて体を起こした。
「駅前に、アイスクリーム屋さんができたから、食べにいってみようよ」
「そうだね」
 私は彼女と階段を下った。
 記憶の断片を搔き集めて、思い出へと集約し物思いに耽っている。
 高校三年生の夏の記憶。
 それから、
 極めて自然に、円滑に、彼らの下の世界が構築されていった。まるで元から決まっていたように。
 三十歳の私は、都心の巨大な塔の最上階、日本の指導者の執務室にいた。
 これまでの歩みについて尋ねられ、ふと、あの時のことを思い出していたのだ。
 指導者様の秘書として働きだして、調度一年が経っていた。
「私は、私たちは人類に、そして日本国民に満足している。自制の欠如、感受性の過剰、拝金主義、低次の現実主義、自身を包括する世界への無関心さ、上げればキリのない要素が、この十年あまりでほぼ消え去ったのだ」
「その通りです、私もそのひとりです」
 円形の広大な室内。三百六十度、窓になっていた。
 その眼下に、新たな東京が、日本が、世界が広がっていた。
 人類の価値観に依拠しない世界だ。
 私は『指導者』を目の前にしながら思った。
 このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかと。日本も、世界もなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目ない、或る経済的大国が極東の一角に残るだろうと。
 それから、
 取り返しのつかない、安寧と静謐に満たされた、支配下という絶望を胸の奥に留めながら、生き永らえていくのだろう。
 

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