しんでしまうまえに。 思索メモ #12
すると決めたことをする。あなたはしていますか?
とうしをしようとか、なにかあうとぷっとをしようとか、まいにち、はしろうとか、ほんをよもうとか、にっきをかこうとか、「これをする」とじぶんで決めたこと。
できないことをむりにしようとしてもできないかもしれない。
でも、じぶんで決めたことは、おおよそせのびしてできそうなことで、できそうとおもえるくらいなのだからきっとできることだ。
それでもできないとしたら、それはなぜか。
おわれているからだ。
「しごと」におわれて、じかんをうばわれているからだ。
かいしゃにつとめるだけがしごとじゃない。おのおののひとそれぞれにとってのしごと。やらなきゃいけない(とおもいこんでいる)こと。
やらなければならないとおもえている「しごと」となのつくなにかにおわれて、なにもできずにいる。じかんをうばわれいのちをうばわれ、みうごきがとれずにいる。そんなことはないだろうか。そしてそれはほんとうに、やらなければならないことだろうか。
しごとにおわれているわけでなく、ただ、いしはくじゃくだというのはどうしようもない。
いずれにせよ、けっきょくはいいわけをしている。
じぶんのじんせいでなにがたいせつなのか。それを、じぶんじしんがよくわかっているだろうか? このといに、おおくのひとは、いいえ、とこたえるどころか、ちんもくしてしまうらしい。
なにをわかっていて、なにをわかっていないのか、それがわかっていない。
いちどじぶんのからだからでて、ふかんするつもりでかんがえてみると、みえてくる。じぶんはなにがしたいのか。げーむのきゃらくたーにみたてて、じぶんをみつめる。こんとろーらーはじぶんがもっている。すきなように、うごかせるはずだ。
ほんとうはできる。だけど、まいにちじぶんにいいわけをしている。
じぶんのじんせいをじぶんで決めているか? じぶんのいしはどこにあるのか? しんでこうかいしてはおそい。いつかしんでしまうのだ。それはいつなのか? いまなら、こうかいする。ぼくは。
らいたー かねふじ よしひで
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