Pie-in-the-sky meets
「語ってもいいですか」
僕のことをどう思っているのか聞くと、その女はそう言って語り始めようとした。
軽い気持ちで聞いたつもりだったが、軽く腰を持ち上げて座り直し、僕の目をじっとみつめて言うもんだから、僕は一度それを制して、ビールを一口飲んでから、胸を撫で下ろす動作を大袈裟にして見せた。
そして、どうぞ、と言った。
「まず、1つ目はですね、あなたのお仕事に惹かれました。
私も本が好きだから、本の装丁ってどんなことするんだろう。
どんな想いをもって仕事してるんだろうって単純に興味が湧きました。
クリエイティブな仕事してる人って、それだけで魅力的ですよ。」
僕は大学では建築を学んだが、いざ就職するとなった時、自分のやりたいことと社会が求めているものが異なるということに気づいて、別の道に進むことにした。
卒業後はすぐに就職せず、半年バックパッカーをしてヨーロッパを廻った。
初めはギリシャに行って、イタリア、フランス、スペインを巡った。
学生の頃から本は好きで読んでいたが、帰国後とりあえず勤めた会社の社長と、本の貸し借りをするようになってから、本をデザインする仕事に興味を持つようになった。
それからデザインの専門学校へ行って、今の会社につき、いずれは独立することを目標として、ブックデザイナーとしての経験を積んでいるところだ。
「それから、毎日お仕事遅くまで頑張っているところも、素敵だなって思います!支えてあげたい!」
「仕事は、結構大変ですね、、。
さ、支えてもらいたいです。」
デザイナーとはいっても、かなり泥臭い仕事だ。
定時であがるなんて概念がそもそもなくて、
残業and残業
平日は曜日感覚がなくなるほどだ。
その女は考える素振りも見せず、まるでそう話すことをあらかじめ決めていたかのように語り続けた。
「2つ目は、東野さんとか伊坂さんとか、登場人物が人情深い人が多い作品を好んで読まれているところ、いいなと思います。」
その女と本の話になった時、僕は東野圭吾と伊坂幸太郎は全作品読んでいると話をした。
「正義って、なんだろうって考えることがよくあって。
正しいことがいつも人を救って、人を幸せにするとは限らないじゃないですか。
だから、"人として正しく"じゃなくて、"人として美しく生きよう"って思っていて、それって、結構このお二人の作品には滲み出てる考え方だよなぁと思うんです。
だから、あなたもきっと本当の意味で優しい人なんじゃないのかなと、勝手に思いました。」
1+1が必ず2になるとは限らない、って思いながら生きるくらい柔軟でいたい。
絶対なんてないし、普通も異常もない。
自分の常識が、誰かにとっての非常識ということもある。
そんな世の中で、なにを基準にして生きたらいいか。その女が言うように、人としての美しさなのかもしれない、と思った。
"優しい人"と、"本当の意味で優しい人"の違いって?と聞きたかったが、適当な相槌を打って、語りの続きを聞くことにした。
「それから3つ目は、地方出身ってところですかね。
やっぱり東京の人よりも、地方の人の方がちょっと嬉しい!しかも北海道!美味しいところ!
これは逃したくない。」
その女は僕を、恋人の候補としてみているのかもしれない。
そんな淡い期待を抱いた。
ポイントカードにどんどんスタンプが押されていく感覚に近いものを僕は感じた。
しかし、出身地もポイントのうちに入るのか…初めて東京の出身じゃなくて得したなと思った瞬間だった。
「4つ目は、えーと…」
それまではハキハキと話していた女が、少し俯いて、恥ずかしそうな表情を見せてからこういった。
「顔がタイプです!」
僕は嬉しさというか、面白さというか、真っ直ぐすぎるその女の言葉に思わず大笑いした。
「じゃあもしかして、あれって逆ナンでした?」
その女は、イエスともノーとも答えずに微笑んだ。
大晦日の日、特に予定もなかった僕は、新宿の紀伊國屋で好きな作家の新刊が出ていないか眺めていた。
すると突然その女は話しかけてきた。
「オススメの本を紹介してくれませんか。」
もちろん、唐突なその依頼に驚いたのと、気味悪さみたいなものも感じたが、ちょっと日常と離れたそのシチュエーションに少し興奮もした。
僕はその女が好きなものと、よく読む作家を聞き出し、なんとなく趣味に近そうな本を選んであげた。
原田マハの『楽園のカンヴァス』
「ありがとうございます。」
と言ってレジへ向かおうとしたその女を、僕は引き留めていた。
「この本、プレゼントするので、この後付き合ってもらえませんか?」
話していたのはほんの数分だったが、その女の装いと雰囲気に、僕は少し惹かれていた。
そして何より聞いていて心地のいい声をしていて、ここで別れるのは惜しいと思ったのだ。
この女と居酒屋に入ったのが17時。
現在ビールはおそらく6杯目を飲み干そうとしているところ。(僕はビールしか飲まない)
時計を見ると21時をすぎたところで、店の中にあるテレビでは、紅白歌合戦が流れていて、興味のないアイドルグループが歌っているところだった。
正直、表面上の話をして終わるんだと思っていた。
しかし、お互いの仕事の話、出身地、これまでの生い立ちと、休日何してるとか、当たり障りのない会話は、2杯目のビールを頼む頃にはもう済んでいた。
その女は僕よりも6つ年下で、まだ少し社会に対して斜に構えて、大人になりきれてない自分にもちろん気づいてはいるけれど、大人になりたいわけでもない、とも思っていて、モラトリアム抜け出せないところが、自分の若い頃に似ていて、愛おしく感じた。
でも、大人になりたくないと思っている時点で、もう残念ながら大人なのだ。
店員がラストオーダーを聞いてきた。
もう店を出ないといけない。
最後のビールを頼んだ後、僕はこう言った。
「一緒に年越ししてみませんか?」
「朝まで一緒にいるってことですか?」
距離的に年越ししたら終電はなくなる。
その女は、雰囲気を壊そうとするわけではなく、わざと訝しげな表情を見せながらそう言った。
まだまだ語りたいことがたくさんある。
そして、その女の語りをまだまだ聞いていたい。
きっと一晩じゃ足りないだろう。
2021年の終わり、僕は奇妙な女と非現実的な出会いをし、生きている中で時折差し込むことのある喜びの光を、少し遠くの方に感じながら、新しい年を迎えた。
もしかしたら、その光はほんの一瞬のものかもしれない。
喜びではなく、沼の始まりかもしれない。
何でもかんでも、思った通りにうまくいくわけではないのが人生だってことも、もう分かっている。
でも、"この人だ"と思った人を、僕はただ逃したくなかった。
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