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中島敦論2.0

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中島敦を改めて読みなおします。
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醜い妖魔って…… 牧野信一の『闘戦勝仏』をどう読むか①

 たまたまながら中島敦にも『西遊記』にちなんだ『悟浄出世』『悟浄歎異 ―沙門悟浄の手記―…

小林十之助
3週間前
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ナンセンス作家 牧野信一の『あやふやなこと』を読む

 意外に思われるかもしれないが、私はいわゆる狂人ではない。ただし兄弟はそうではない。だか…

小林十之助
3週間前

「やり直しの近代文学」 

 前書き それ本気で言ってます? よく調べましたか? 1 「一郎の三択」は存在しない  「…

100〜
割引あり
小林十之助
4か月前
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「やり直しの近代文学」 目次案 イメージ

  前書き それ本気で言ってます? よく調べましたか? 1 「一郎の三択」は存在しない  …

小林十之助
4か月前

中島敦の『山月記』をどう読むか③ 構成を捉える

 中島敦の『山月記』だけの話ではなく、おおよそ小説を読むということは、 ①全体の構造を把…

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中島敦の『山月記』をどう読むか① 論理国語って何だろう? 

 高校の国語教科書に収載されている夏目漱石の『こころ』、そして芥川龍之介の『羅生門』が、…

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中島敦の『山月記』をどう読むか② 山月記は1000人に1人しか必要ない?

 少し前にこんな議論があった。可笑しいのは11万人くらいの人たちが閲覧していて、殆どの人が「自分は『山月記』を読んだ」というていで意見を述べているのに対して、議論のきっかけは『山月記』は1000人中、999人が読めないというツィートだったこと。  つまり0.1パーセントの国語エリートがtoggeterで発言していた計算になる。  実際にはまあそんな極端な話ではなくて、例えば「山月記」ってなんか格好のいいタイトルだなとか、「隴西」って中国のどこかだよねとか、「天寶」って昔の