中島敦の『山月記』をどう読むか② 山月記は1000人に1人しか必要ない?
少し前にこんな議論があった。可笑しいのは11万人くらいの人たちが閲覧していて、殆どの人が「自分は『山月記』を読んだ」というていで意見を述べているのに対して、議論のきっかけは『山月記』は1000人中、999人が読めないというツィートだったこと。
つまり0.1パーセントの国語エリートがtoggeterで発言していた計算になる。
実際にはまあそんな極端な話ではなくて、例えば「山月記」ってなんか格好のいいタイトルだなとか、「隴西」って中国のどこかだよねとか、「天寶」って昔の