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トモダチ作戦を覚えていますか?

東日本大震災から明日で10年になります。日本はもちろん世界中を震撼させた悲惨な地震からもう10年経つのかと思うと、時の経過の速さを感じざるを得ません。地震発生時私は六本木での打ち合わせを終え、地下鉄日比谷線で当時自由が丘にあったオフィスに戻る途中でした。広尾駅を出てすぐ、電車が縦横に大きく揺れて急停車しました。「まさか脱線?」と思ったのもつかの間、「地震が発生したようです」とアナウンスが流れ、「このあと恵比寿まで移動して運行を停止します」となりました。

恵比寿駅で地上にあがったものの、電車がすべて止まってしまったので仕方なく喫茶店に入りガラケーのワンセグ放送でNHKニュースを見ていると、仙台近郊の農村地帯をものすごい勢いで津波が突き進んでいる画面が写りました。更に「首都圏の河川の水が引いており東京にも津波が来る可能性がある」とのニュースが流れ、しばらく喫茶店の二階から動けなかったのを覚えています。その後2時間くらいかけて自由が丘のオフィスまで歩いて帰り、更に1時間以上かけて自宅に戻ったものです。

あのとき壊滅的な打撃を受けた日本を救ってくれたのは、信じがたいほど無能だった時の政府でもなんでもなく米軍と自衛隊でした。同盟国である日本を救うための米軍の「トモダチ作戦」のことを耳にしたことがある方は多いと思います。もちろん多くの一般市民もわが身を投げ打って救助活動に邁進したのですが、その陰には数知れぬ名も無き米軍人と自衛隊員の献身的な努力と貢献がありました。写真は、トモダチ作戦に従事した米軍人が身に着けていたのと同じ本物のワッペンです。

米海軍のロナルド・レーガン空母打撃群が南太平洋上から直ちに踵を返して日本に向かい救出活動に従事したことはよく知られています。乗組員達は個人所有の防寒着のほとんどを寄付し被災者の防寒に充ててくれました。また米軍偵察機が被災地上空を何度も飛行し、何千万枚という写真を撮影し休むことなく分析してくれたおかげで、校舎の屋上などに避難した人たちが出していたSOSサインを見つけることが出来、多くの人命が救われたのです。全体が津波に呑み込まれ使用不能となった仙台空港がわずか数日で機能回復出来たのも米軍のおかげです。米軍が初動で救助活動の先鞭をつけ、そのあとに自衛隊が現地に出動して本格的・長期的な救助・救援活動に当たるという役割分担が機能し、被害からの回復が早まりました。

しかしながらトモダチ作戦は、日本、特に政府がいかに緊急事態に慣れていないか、不測の事態に対する備えが出来ていないかを露呈させることとなってしまいました。何も出来ず右往左往するばかりの日本政府に業を煮やした米軍の将官たちが救助活動の指揮を執ってくれていなければ、被災地の混乱はさらに広がったことでしょう。やる事が無くなった当時の日本国首相が暇に任せてヘリコプターで福島第一原発に飛び、関係者に意味のない罵声と怒号を浴びせて事態をさらに混乱させ、醜態をさらす結果になったことも良く知られている通りです。

法整備が遅れていたことも明白です。被災地に食糧や水、医薬品などの物資を運ぶ際、米軍のヘリコプターから物資を投下することは航空法で禁止されており、事前に文書で許可を得なければならないという状況となっていました(自衛隊は適用除外で投下可能)。さすがに震災後一週間経った時点から電話連絡のみで許可されることになったのですが、他にも法整備が遅れている面が多く露呈し、日本がいかに緊急事態に慣れていないかが世界中に知れ渡ってしまいました。

また一部のマスコミは信じられないことに、トモダチ作戦を国内に駐留する米軍の存在を正当化することが目的であると位置付け非難する記事を書きました。よくもそこまでひねくれてねじ曲がった記事が書けるものだと呆れましたが、被災者がどれだけ米軍に感謝しているのか実感が湧かない地域にいると、悪意と空想の産物としか言えないレベルの記事が出かねないのだなと心底残念に思ったのを覚えています。まさか地震は米軍が起こしたとでも言いたいのでしょうか。

トモダチ作戦は、一部の米軍人が被ばくを理由に東京電力を訴えるといった若干の負の側面を除くと、概ね大成功に終わりました。寝食を忘れ被災者救援に当たってくれた米軍人達のことを忘れず、被災地では今でも米軍に感謝する人が多くいるのはまぎれもない事実です。この作戦がきっかけとなり、TOMODACHIイニシアチブという日米の人材交流を促進するためのプログラムが生まれ、今日でも研修や教育プログラム、文化交流など活発に活動が続けられています。

http://usjapantomodachi.org/ja/

1945年の3月10日は一回目の東京大空襲の日でした。10万人もの死者と100万人の被災者を出した悲惨な空襲の当事者だった米軍が、66年後の2011年には日本の最大のトモダチとなったという事実に平和のありがたみを感じざるを得ません。もちろん台湾の方々が巨額の寄付金を出してくれた恩も忘れることは出来ませんが、これからも米軍には日本の最も重要かつ頼れるパートナーで居て頂きたいと心底思います。同時に、いずれまた必ず来る大災害に備え、米軍に頼るだけでなく自前で乗り切るための法整備、即応体制の整備を進めておくことは国家としての責務であると考えます。

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