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妹が産まれる少し前。1歳半だった私がストーブに新聞紙を突っ込んだ。

姉の妹だった私は、妹の姉でもあった。3姉妹の真ん中だから。

前回のnoteに、息子を通して思い出した、幼い頃の姉との間での切ない記憶を書いたら、読んでくれる人、共感してくれる人がたくさんいた。それぞれの兄弟姉妹エピソードを語ってくれたりもした。

その中で、まさまささんは、お兄ちゃんという立場で私のnoteを読み、そして、思い出したくない過去なのに鮮明に覚えているという、弟さんとのことをnoteに書かれた。

なぜ、このnoteを書くのか…。
それは自分に対する呪いを解くためだろう。

という理由とともに。

あぁ、たしかにそうだ。私も解けない呪いと格闘したのを思い出したよ。


私の妹は、私が1歳8か月の頃に生まれた。1歳8か月の頃のことなんて何も覚えているはずがない。母や父、姉から聞いたことや写真を除けば、妹が存在しない過去など私の記憶にはない。

だけど、記憶の中の幼い頃の私は、姉に付きまとうことに必死で、妹のことはあまり眼中になかったのだろう、印象が薄い。

くっきり覚えていることといえば、妹が熱性けいれんを起こした時両親が慌ててたこと。それと当直明けの父が気まぐれに、初めて幼稚園まで一緒に歩いて送ってくれた時、「幼稚園に行きたくない!一緒に帰りたい」と泣き叫ぶ私をおいて帰ろうとする父に手を引かれて、父とふたりで帰っていく妹。

他は、日常的な場面はうっすら思い浮かぶけれど、印象がまぁ薄い。いやでも・・・本当はなぜか妹だけ髪を長くして女の子らしくしてもらってるとか、天然キャラで大人が楽しんでるとか、なんだか憎めないキャラだとか、自分と違ってる良い部分を、ふ~んと横目で見ていた。フィルターをかけてたんだね。

妹は、姉に執着して騒動を繰り広げる私の姿を見ていたからか、私に付きまとうことはなかった。多分、ほとんど母といたのだろうし、私の遊び相手になることも多々あった。


32歳の時、私は出産した。喜びと感動と興奮が落ち着いてくると、小さくてふにゃふにゃで、寝て起きて泣いて母乳を飲み、おしっこうんちをして、そして呼吸をする存在に、生命というものをあまりにもリアルに感じた。  それまで私が、生命というものをいかに軽く視ていたのかを思い知らされるようでもあった。両腕にすっぽり収まるわが子の生命の重みを感じ、「永遠じゃない。いつかはお別れする時がくるんだ」とはっきり心がつぶやいたことを覚えている。

でね、驚いたのは、子どもってこんなに親が好きなの?必要なの?ってこと。やっと寝たと思って布団に降ろそうとすると目がパチッと開く。料理や掃除中なども、イメージではベビーベッドなどの居場所で待っててくれるものだと思ってたけど違った(うちの子は)。子どもってこんなにもひっきりなしに親(養育者)の存在を求めるものなのか・・・。それに気づき始めると、記憶に残っていない頃の小さい自分が重なり、求めていたものが得られなかった穴のようなものが自分の中にあるのが感じられるようになってきたんだ。

息子は、私に密着し、私の笑顔を見て幸せに満ちた表情で喜び、母乳を飲んで安心する。そういう姿を見て、私もそれを欲したのかなと考える。

・・・あれ?私と妹は1歳8か月差。ということは、私が1歳になる前に母は妊娠したのか。母が妊娠したから私は哺乳瓶でミルクを飲まなければならなくなり、哺乳瓶依存になったのか。しかも妹を妊娠中、父の転勤が重なり、母は幼子2人を抱え、身重の身体でひとりで荷造りしたと言っていた。引っ越しのすべてを任せる父に心の中で激怒し、「お腹の子が流れても知らない」と思いながら荷造りをしたという。それはひどい。なんて母は大変だったんだろうと思っていたエピソードだったけど、自分が母になり違う視点が現れた。母は夫を中心にした役割から一歩離れて身を守る権利に気づかず、自分の心身や存在、お腹の中の生命や子どもの存在を蔑ろにしてしまっていたのだと思った。でも子どもは無力でしかない。母の顔色を窺い、母のイライラから意識をそらし、欲求を抑え、母乳も母の愛情もスキンシップも求めることを抑え、依存の対象を2つ上の姉にシフトしたのだろう。

引っ越しを終えて落ち着いた冬のある日、1歳半頃だった私はストーブに新聞紙を突っ込んだ・・・のだそうだ。何度も聞かされた。

火が出て慌て、大きなお腹で咄嗟に動いた母の恥骨にはひびが入った。お腹には赤ちゃんがいる。母が激痛で不自由になったことで、私は姉と保育園に行くことになった。保育園の発表会の写真に写った私は泣きっぱなし。哺乳瓶を離せず、お昼寝の時間は姉がいなければ絶対にだめだったそうだ。そうして私は姉にさらに依存し、執着することを心の安定にしていったみたい。姉には支えがないのにね。

そういうことを連想していくうちに、私は母と会話をしなければいけないと思った。母を裏切るようですごく緊張した。そして、愛情が足りなかったと伝えた。何不自由なく精一杯育て、一番安心な子に育ったと思っていた娘から初めて聞かされる不満に母は戸惑い、うまく受け止めきれなかった。私には、受け止めてもらえなかった幼い頃からの感覚の再現が起こって、抑え込んでいた感情は一気に突き上げてくる。ずっとずっと抑えていたものが出てきて止まらなくなった私に母は、「あんたは親を困らせるために生まれてきたんじゃないかなと思ってる」と言った。ストーブに新聞を突っ込んだのも、親を困らせるためだったのだと。

刃物で刺されたのではないかと思うような衝撃。血の気が引いた。よく夢で見るような、必死で叫ぼうとするのに声が出ないかんじ。そんな感じで呼吸を荒くして、お腹から声を絞り出して、受話器の向こうの母に訴えた。

「困らせるために生まれてくる子なんかいないよ。悪いことするために生まれてくる子なんていない。みんなお母さんに愛されたいんよ。愛されたくて、笑ってほしくて、ねぇお母さん、私を見て?私のこと好きだよね?って確かめたいんじゃないの。抱っこしてくれなくなるなら妹なんかいらない。抱っこしてよ!もっとかまって優しくしてよ!!って言い方知らないから、言葉で言えないから、ストレスや怒りがそんなかたちで出ちゃうんじゃないの!ダメって言われてることをついやっちゃうんじゃないの?たける(息子)は、私がちゃんと聞かないと、応えないと殴ってくる。激怒するのよ!私も本当はそうやって激怒して、自分の欲求をちゃんと伝えなきゃいけなかった。でもそうしたらお母さんどうした?突き放されると余計傷つくのよ。困らせるために生まれてくるわけないだろ。ふざけんなよ」

その後も、息子が成長とともに見せる言葉や態度、反応は、幼かった自分がどうだったのかを振り返らせた。息子は先住の犬に嫉妬し、私が犬を撫でるとそれをやめさせた。それに犬が私ばかりに甘えると、そこに割り込み自分が撫でる。愛し愛されるのは『自分』でないといけないのだ。また、自分のおもちゃを他の子が使うのも絶対だめだった。5歳頃になると、勝ち負けにこだわり、絵も折り紙も、ママの方が上手だと悔し泣きしたり、遊びやゲームでもすべて自分が勝たなければ大変。あぁ、きっと私もそうだった。

新しく生まれてきた妹がお世話される姿。それはまるで私が母や父から得られないと諦めたものを妹は得ているような映像に見えて私は嫉妬しただろう。そしてその嫉妬に強力なフィルターをかけた。父親は、甘え上手の妹の方が私よりもかわいいことも薄々気づきながら打ち消していた。先に生まれた姉としてのプライドもある。そのプライドばかり、私は成長させた。だから妹より何でも優れてなくてはならない自分になった。そして妹という嫉妬の対象は、スライドして他人にまで拡大し、私を支配した。

妹は私にとって、存在を脅かす存在だったこと。本当は優しい姉になりたいのに、どうしても妹を突き放す壁を壊せなかったこと。すごく厳しく当たってしまうことがあったこと。ばかにして見下したこと。価値観を押し付けて譲らなかったこと。自分がそういう姉になってしまったのはどうしてか。こたえは『嫉妬』と『プライド』だった。

それを認めるのはキツかった。負けを認めるみたいで。自分の方が勝ってるとか、そういう幻想的な優越感が自分にあることを認めるのも嫌でイラついた。自分は何も悪くない。そうなりたくてなったんじゃない。こんなはずじゃない。母は「あの子(妹)は本当に心が広い」と私に言ったことがあるが、そういう時も、妹ができて愛情や注目を奪われることなんてなければ私だって!と後から悔しくなった。

妹という存在が登場したために植え付けられた「嫉妬の種」に、私は長年苦しんだし、それは夫婦の関係にもすごく嫌な空気を何度ももたらした。嫉妬から生まれたプライドでつくりあげた虚像ほど醜いものはなかった。

素の自分が虚像への違和感を見逃せなくなると苦しくなった。わが子に真っ直ぐ見つめられるとなおさらそれが浮き彫りになった。無垢な息子の目を通して、素の自分は、その虚像が、哀れで、愚かで、嘘つきで、嫉妬深くて、傷つくこと、劣ること、恥をかくことを怖れているのを見透かしてる。

それでも虚像を壊すことは自分だけではできないんじゃないかと思う。このままじゃいやだ、だめだと訴える素の自分がいて、そこに何らかの出来事や人が関わることで少しずつひびが入る。

私の虚像は頑丈で、そこに根気強くひびを入れ続けたのは夫だろう。夫以外でも時々嫌なことや問題が起こったことでもひびは入った。

母になって5年目を迎える頃、虚像が原因で感情を詰まらせてばかりで、うまくいかなくて苦しいのに、それでも観念しない虚像に限界がきた。自分の心がけ程度では現状を打破できないという現実にようやく気付いた私は、夫(精神科医)にカウンセリングを申し込んだ。毎日1時間、自分を回復させるために時間をとってもらった。

本当に不思議。それまではできなかった、自分の感情をありのまま見たり感じたり、内省することが、次第にできるようになっていった。おそらく、「お願い。助けてほしい。力を貸してほしい」という『頼る』姿勢になったことがプライドの壁をなくし、素直になれたようなのだ。聴く耳がもてた。

自分にはできる。人を頼ったら負け。不利になる。そんな幻想はもういらない。

素直な自分で接すると、夫が柔らかい。そういう感覚が肌で感じられていって少しづつ、自分の醜さは虚像であって、素は清らかなんだ。清らかな素の自分を苦しめるものがあったから虚像をつくってしまった。もともとの自分が悪いのでも醜いのでもなかった。頑張ってきた。方法は合っていなかったかもしれないけど、愛されたい一心で頑張ってきた自分が愛おしいと思えて泣いた。そんなふうに、整理がつき始めて、自分を肯定できる感覚も感じられていった。

そしてちょうどその頃、まるで外側から殻をつつかれるような物事が起こった。息子と、母である自分のアイデンティティを守るために、ある人(母親と置き換わるような)と真剣に向き合ったのだ。

嫌われるかもとか、どう思われるかとか、決裂したらこれからどうするかとか、そういう懸念を超えていた。それよりも、一番大切なものを守るために無心になって訴えた。その瞬間、私の虚像という殻が割れた。

『自分のアイデンティティを守るための主張』

それを初めて重要な他人にできた時、殻が割れた。

お世話になる相手にはおとなしく従わなければならない。好かれなくてはならない。背いてはいけない。そういう呪縛が解けて、私は意志を持った。自己主張したことに罪悪感が湧かず、尊いと思えたことで勇気が湧いた。また、妹(誰でも)を愛さなければならない。良い姉(人)でなくてはならないという呪縛も。それは誰の理想や要求に応えるものではなく、自分で感じて決めることなのだと思えた。ようやく私は、私の人生という物語の主人公になった。


もともとは誰も悪くない。姉も、私も、妹も、誰もみんな。母も。みんな愛し、愛されたい。受容し、受容されたい。支え、支えられたい。頼り、頼られたい。与え、与えられたい。認め、認められたい。必要とし、必要とされたい。それが叶わなかったのが問題の種だったのだ。

原家族でそれらが叶わなかったことが目の前の問題につながっていることを知ることは尊い。それがわかって、必要なのに得られなかったもの、身に着けられなかったものを身に着けようとする姿勢はもっと尊い。

今私がつながっているコミュニティ(コルクラボ)は、そういうものが大切にされている。大切なパートナーとの間でそのような相互関係が築かれることはとても大事なのだけれど、外部でもこのような人やコミュニティに接続できていれば、安心して自分と向き合えるし、とても健全で、建設的な経験が積める。

そんなコルクラボの、今の行動指針は、

①自分の安全安心を知る
②自分の言葉を紡ぐ
③好きなことにのめり込む
④頼り方を知る

私は今、一歩外へ出て、『頼り方』の経験値を積もうとしている。夢を実現するために。

サポートありがとうございます。 そのお気持ちは私に元気と勇気を与えてくれます。 私もそれをたくさん還元していけたらいいな。