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何でだろう♪何でだろう♪な、な、な、何でだろう~♪

何か昔、ギターを持った相方の伴奏に合わせ、腕を交差させ回す芸人がいたなぁ。確か「何でだろう♪何でだろう♪な、な、な、何でだろう~♪」などと歌いながら、おもしろ可笑しく疑問を投げかけていた。そんな答えに皆の笑顔があったのを記憶している。何でだろ~♪

自分たちは悩んだり、時には心の病にかかる方もおりますが「何でそうなるの?」と考えた事があるだろうか。

もちろん。そうなる理由があるからそうなるのだろうが、それは自分の生死にかかわる事なのかどうか考えて見ると判る事がある。

それは、大概が生死にかかわる事ではないと。

ただ、悩みの末、結論を死へと導く判断をする人もいるが、それはその人自身が望まない『心の逃げ』となっていたと想われます。

それは、誰もが”死にたい”と感情で思っても、本当は”死にたくない”の現れだからだ。それに気づけず誰の助けも得ず、惰性から逝ってしまうことがあるが、それは本当に本人のこころの答えだったのか。となる。

話が重くなってきたので、方向性を変えます。
人は、意外と強弱があるとその判断がしやすくなります。それは先の話から相反することで活きるチカラを感じるためです。”それはイケない”、”それは間違っている”など頭っからその人を否定するようなことは、相手のこころに本当に伝えたい事が伝わらなくなる。

伝わらないとは言葉ではなく、相手のこころに感じさせることで、相手のこころの中にある”答え”を自身のチカラで感じることにあるからである。

人は”幸せ”が好きで常々『幸せになりたい』と思っている。その思いがすべてのこころの中にある”答え”に繋がるのです。

だから、”死にたい”は幸せになることではなく”逃げ”と誰もが解っているのです。

その答えに辿り着くために”何でだろう♪”に更に”何でだろう♪”があり、更に更に”な、な、な、何でだろう~♪”と繰り返し、自身のこころに問うのではなく、感じて感じて感じ尽くしたとき、そこに”幸せになりたい”の答えが感じられるはずです。死にたいは決してないのです。

そう云えば、どこかの某T社方式の『5つのなぜ』がありましたね。詳細は省略しますが”何故そうなるのか”と5回繰り返すことで、そのトラブルの原因の原因、本当の原因を見つけだし正すということでした。

それは、トラブルに限らず悩みや心の病でさえも原因が見つからなければ正す事ができず”再発の根”を残すからにあります。

みなさんも”再発”するのは嫌だろうし、何よりも”幸せになりたい”の真逆になると判るはずです。

もし。自身が”死にたい”と思うのなら、この”5つのなぜ”の前進にあった『何でだろう♪何でだろう♪な、な、な、何でだろう~♪』をこころに唱え”何で何で何で何で何で何で”とこころに問い感じれば”死にたい”はきっと”死にたくない(活きたい)”に変わるのではないでしょうか。

あれ?何でが6回もある。。。

T社方式より更にひとつ多く”何で”があるやん。それは、物事の答えは5回で良いけど、こころの答えは更に”感じる”という問いを心にする必要があるとその芸人が教えてくれていたのですね。

たぶん。

人は自身の心のことは自分が一番良く知っているとよく言う。本当にそうなのか。

感情に囚われた心は自分が一番知っていても、その心を自分の”もの”で無くしていれば、一番知っているはずのこころを一番解ってないとも云える。だから、ひとに心甘え自身のこころを相手のこころに映し出(そうだん)し、そこに感情があるかないかを感じ直すことで今の答えを正すことができる。

だから、誰かに甘えるのは決して悪いことではなく恥ずかしい事でもない。あえてそうするべきであり、それが出来ず躊躇するなら、6つ目の”何で”ができず悩み続けることになるのです。

あたなのこころはそれを臨んでいるのでしょうか。
それは違うとぽち☆は判りますよ。

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