「中年の本棚」萩原魚雷著 読書感想文

40才を過ぎたくらいから、小説をスラスラと読めなくなった。
子供の頃から文章を目で飲むように読んでいたこの私がである(って知ったこっちゃないよな、みんな)。
ドライアイのせいか?とも思ったが、エッセイなどはスイスイ読める。
たまに参加する読書会でも、同世代らしき人々はビジネスや自己啓発の本を持参している。
その様子からして、これは年を取ると小説を読まない、いや、読めない傾向があるのではないか、と思うに至った。
その原因は何であろうかとここ暫く考えていたところ、たまたま読んだ週刊誌にこの本が紹介されているのを見つけたのである。

作者は中年になってから読書の傾向が変化したことをきっかけに、その年代に関する本を読み始めこの本にまとめたらしかった。

私は出だしからこの本に惹きつけられた。
作家は43才になると中年のタイムスリップものを書きがちであるという内容に。
フォロワーさんのなかには覚えてくださっている方もいるかもしれないが、私は今年の春から夏にかけて1つの小説を書いていた。
登場人物の1人である中年男性にタイムスリップこそさせなかったが、基本、彼にしか見えない若い頃の本人というキャラクターを私は作っていた。
この小説を書いたのは、ちょうど私が43から44才になる頃である。
作家の本能みたいなものが私にもあるのかは知らないが、この本に書かれているような無意識のうちにうっかり時をかける中年もどきを書いてしまった事実に衝撃を受けた。
また、この本では私がずっとモヤモヤと悩んでいた「中年はなぜ小説を読まなくなるのか問題」についても解明されており、それは、小説を「自分ごとに考えなく」なって、「頭から真に受けなくなる」からなのだそう。
図星である。

最近、noteの企画で読書感想文モノがあったことを知っている人も多いと思う。
一応、私は読書感想文講座の先生なので、経験を重ねるためにnoteが決めた課題図書を読んで参加しようとした。
選んだのは小説だったのだが、出だしで主人公が夫婦喧嘩を思い出しているところでもう萎えてしまい進まず。
なぜなら、夫婦喧嘩の原因なんてお互いが勝手に期待したり、思い通りにしようとするからだと知っているから。
もう結婚して17年くらい経つからおばちゃん知っとんねん。人妻軍師として交わしたり戦法変更したりしてきたから色々わかっとんねん。
と思い、自分ごとに考えられず、頭から真に受けられなくて離脱してしまったのだ。
でも、このままでは小説を楽しめない人生後半戦を過ごさなければならない。
できれば、それは避けたい。どうすれば、真っ当な読書家でいられるのか。そのお導きになりそうなこの本に出てくる一文がこちら。

真の読書家とは例外なく書物を蘇らせるに足る「胸中の温気」を持ち、これに自分の心を通わす術を知った人である。

ううむ。「胸中の温気」とは。
何やら難しい奥義を賜ったかのような気分。
柔軟で広大な心を持つということだろうか。

かつて、私は読書は受け身型の娯楽だと思っていた。
しかし、中年にさしかかるとこちらの土俵をそれなりに整えて置かなければ、勝負にもならないことがわかった。
いや、これも違うかな。
勝負とかではなくて、こちらの心の豊かさや温もりが必要というところだろうか。
羽毛布団が人と重なることによって産み出す温かさような。
「胸中の温気」らしきものはまだ私の中にはあまりない。
とりあえず、知っている内容でも理解していると思わない事が新たな読書を楽しむ方法のひとつなのではないかという考えにいたった。
それが心の羽毛布団となり、小説と重なって温気を生みだすことを願ってやまない。


って、昨日の読書会でもこんなふうに言えたら良かったのですが、現場ではグダグダてした〜。








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