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「日本架橋論」という話

知識と身体性

 知識には、「身体性」と「論理性」があると思います。例えば、自転車のこぎ方を論理的に説明できたとしても、実際に自転車をこげるとは限りません。自転車をこぐためには身体的な感覚が必要です。私は、その身体的な感覚も知識の一つだと考えています。


 知識というものが論理的に正しくても、そこに身体的な裏打ちがなければ机上の空論になってしまいます。これは何も私だけが言っていることではありません。戦前、戦中派の知識人たちも知識の身体性について多く語っています。今回は知識の身体性、そして文学の身体性について考えてみようと思います。



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