見出し画像

「イレズミを巡る問題と美意識」という話

まえがき

 今回は今まで避けていた「比較文化論」という新しい分野にまで記事のテーマを広げてみたので、かなり新鮮な感じの記事に仕上がったと思います。「比較文化論」とはいっても、そんなに学術的な書き方はしていないのでそこまで読みにくいものではない(はず)です。


 比較文化論として初めて取り上げる文化は「イレズミ」です。「イレズミ?私には関係ないや」と思った人もいらっしゃるかもしれませんが、日本の歴史とイレズミ文化は繋がりが深いです。では、どのような関係があるのでしょうか。まずは、イレズミを巡るいくつかの問題を見ていきましょう。



イレズミを巡るいくつかの問題

 イレズミはアートなのか、医療行為なのか。以前、イレズミは医療行為には当たらないという判決が出ました。


 

 また、ボクシングの井岡一翔選手がタトゥー(イレズミ)が露出したまま試合に出場したとして、JBC(日本ボクシングコミッション)が「何らかの処分を検討している」と報じ、物議をかもしました。



 日本で開催されるラグビーW杯でも出場する選手にタトゥー(イレズミ)を隠すように要請がされたということが英国でも報じられたということがありました。



 イレズミは、何かと物議をかもすものですが、なぜこれほどまでイレズミに対して、社会は厳しい目を向けるのでしょうか。今回はイレズミについて考えてみましょう。



「イレズミ=反社」なのか?

 「イレズミ」というと皆さんはどのようなイメージを抱かれるでしょうか。「こわい」「ヤクザ(反社)」「柄が悪い」などあまり良い印象を抱かない人の方が多いのではないでしょうか。


 実際、関東弁護士連合会のアンケート調査からもイレズミに対して、ネガティブな印象を抱く人の方が多いことが示されています。(リンクは大阪大学のものですが本文中に関東弁護士連合会のアンケートがあります)。




 関東弁護士連合会の調査によると、「イレズミを入れた人から実際に被害を受けたことがあるか?」という質問に対して「ない 95.5%」であるのに、イレズミに対するイメージ調査はことごとく印象は悪いの方が大多数を占めています。


 「イレズミを入れているような奴はヤクザかチンピラだ」というような言葉はよく耳にしますが、そういう人に対して「実際に、ヤクザやチンピラにイレズミを入れているか見せてもらったことはあるのか?」と聞くと誰も「見たことはない」と答えます。


 おそらく、実際にヤクザやチンピラに入れ墨を見せてもらったうえで「イレズミはヤクザやチンピラが入れているもの」と言っている人はほとんどいないでしょう。では何故、実際に反社の人たちからイレズミを見せてもらったこともないのに私たちは「イレズミ=反社」という偏見を持つようになってしまったのでしょうか。まずは、日本のイレズミ文化について考えてみましょう。



日本のイレズミ文化と日本的美学

 日本のイレズミ文化は縄文時代から始まっていたと言われています。意外と日本は国際的にもイレズミの歴史が長い国なのです。


 縄文時代に発掘された土偶や埴輪ボディペインティングかイレズミとおぼしき文様が見つかっています。



画像1

(縄文文化サポーターズ より引用)

  

 文様がイレズミではなくボディペインティングの可能性もありますが、考古学者の高山純さんは、目の下の二本の線がある土偶が多数出土していることから、文様はイレズミであると指摘しています。


 また、三世紀前の中国の文献『魏志倭人伝』にも縄文時代に日本列島に住んでいた男性の顔と体にイレズミが入っていたことが示されています。


「男子皆黥面文身以其文左右大小別尊之差(男子は大小となく皆面(かお)に黥(いれずみ)し身(からだ)に文(いれずみ)する)」
(『魏志倭人伝』より)


 縄文時代から続くイレズミ文化ですが、イレズミは日本人との精神面でのつながりも深いです。


 日本では、全てを見えるようにするのではなく、少し隠すことに美学を感じるという慣行がありました。作家の谷崎潤一郎はエッセイ『陰翳礼讃』で日本人の美意識について次のように語っています。


 すべてを白日のもとにさらすのではなく、陰翳を帯びたもののほうがよい
(谷崎潤一郎 『陰翳礼讃』)



 そして、イレズミも少し隠すことに美学があります。例えば、鳶は纏をふるうとき、半纏の袖口からちらちら見える位置まで、腕にイレズミを入れるのが「粋」とされていました。国文学者の松田修さんは著書の『日本刺青論』で次のように語っています。


 日本のイレズミの本質は、闇に彩られた精神性である
(松田修 『日本刺青論』)


 ただ単に日本はイレズミ文化の歴史が長いだけでなく、イレズミと日本人の美学は精神的な面でもつながりの深いものなのです。



文明開化と日本人の意識

 欧米に比べ、日本は国際的にもイレズミ文化の歴史は長いものでした。 では、いつから「イレズミ=悪」と認識されるようになったのでしょうか。


 その理由は、文明開化にあると言われています。文明開化があった当時、明治政府(というよりは日本人?)は、欧米に対してコンプレックスを抱いていました。


 江戸時代まで日本は、罪人に対して入れ墨を顔や体に入れるという刑事罰を行っていました。しかし、欧米へのコンプレックスを抱く日本人たちは、欧米には入れ墨刑がないことや、そもそも欧米にはイレズミ文化もないことに対し、日本だけイレズミをしていることを「野蛮な行為だ」とマイナスに捉えてしまいました。


 しかし実際は、欧米からの日本のイレズミ文化の評価は高いものでした。


他方、日本の伝統的入れ墨の芸術性と高い技術は外国船の船員を通じて世界に広く知られ、1881年に英国のジョージ5世とアルバート王子が来日に際して日本の入れ墨師による入れ墨(花繍)を彫った[30]。また、1891年に皇太子時代のロシア皇帝ニコライ2世(ジョージ5世の従兄弟にあたる)とギリシャのゲオルギオス王子が来日した際にも両腕に龍の入れ墨を入れたことも知られている[31]。(weblio辞書 より)


 つまり日本は、本当は欧米からの評価も高いイレズミ文化を「欧米にはないイレズミ文化を恥ずべきものだ」と勘違いして捉えてしまったのです。


 その結果明治政府は、イレズミを法的に禁止します(文身禁止令と言います)。この文身(文身とはイレズミのこと)禁止令は戦後まで続くこととなります。


 文身禁止令により、「イレズミは野蛮なもの」と考えられていたのが、正式に「イレズミ=悪」だとお墨付きを受けることとなるのです。


 この文身禁止令は、戦後GHQの占領下にされた際に廃止されますが、当然制度が変わっても人々の気持ちはそう簡単には変わりません。今まで「イレズミは悪だ」とされていたわけですから、いきなり「イレズミをしても良い」と言われても、人々はなかなか気持ちを切り替えることはできませんでした。


 この話は、麻薬で考えると想像しやすいと思います。世界では、麻薬が合法の国がありますが、日本では違法です。その日本で違法な麻薬が明日から合法化されるとしても、人々は「麻薬をしたい」とはなかなか思わないでしょうし、麻薬をし始めた人に対しても軽蔑の目を向けるでしょう。


 「イレズミ=悪」と認識され出したのは、文明開化の影響と文身禁止令の影響が大きいです。



「イレズミ=反社」という洗脳

 「イレズミ=悪」という認識は、明治以降の比較的に新しい認識ですが、ではいつから「イレズミ=反社」という認識がされるようになったのでしょうか。


 そのまま「イレズミ=悪」という認識が「悪=反社」つまり「イレズミ=反社」になったとも考えられますが、他にも理由はあります。


 「イレズミ=反社」という認識がされるようになった理由について文化人類学者の山本芳美さんは次のように語っています。


大量の任侠映画、やくざ映画が、「やくざ者=イレズミ」との日本人のイメージ形成に影響を与えたことは疑いないだろう。
(山本芳美 『イレズミと日本人』)


 山本さんの論考によると、戦後の大衆娯楽として欧米から入ってきた映画の影響で「イレズミ=反社」という認識になったのだと言います。映画、特にヤクザ映画の中で、ヤクザたちの入浴シーンなどでイレズミが入っている場面を多く観た観衆(あるいは大衆)が「ヤクザはイレズミを入れているものなのか」と考えたことから「イレズミ=反社」という認識になったのだと言います。


 つまり、「イレズミ=反社」という認識は、ある意味で映画の洗脳でもあるわけです。そして、「イレズミ=反社」という認識自体、ここ最近の新しいものなのです。


 「イレズミのある人は入浴施設の入場を考慮すべき、断っても差し支えない、なぜならイレズミをした人すべてがアウトロー(のはず)だから、さわらぬ神にたたりなし」という認識は(中略)せいぜいこの三〇年ぐらいに形成された意識である。
(山本芳美 『イレズミと日本人』)


 

多様性とグローバリズム

 世界はグローバリズムにより繋がり始めています(勿論、政治的/経済的な衝突も分断も残念ながらあるにはありますが)。日本は世界でも珍しい温泉の多い国です。海外から日本の温泉を目当てに旅行に来て下さる海外の人たちも多いです。けれども、日本では「イレズミを入れている人の入浴を断っている」という温泉施設が多いです。また、冒頭でも示したようにイレズミを入れている人への社会的な眼差しは冷たいものです。

 

 けれど、「イレズミ=反社」なんて言うのは映画による洗脳なんです。実際に、「イレズミ=反社」だったことはありません。


 アニメや映画には記号的表現というものがあります。例えば、赤いマントを被り、威厳のある白い髭をしていて、杖を持っていて、冠をかぶっている人物が描かれていたら、その人物が王様であると説明しなくても、誰でもその人物を王様だと認識するでしょう。

画像2


 王様には、「冠、マント、杖、ひげ」という記号があります。

画像3

 魔女も大体同じように記号がありますね。記号は何かを表現する場合、とても便利なものです。消費者にいちいち「この人物はこういう人です」と説明しなくても良いわけですからね。そして、ヤクザ者にもイレズミやサングラスなどの記号があります。けれど所詮、記号は記号であり、現実が記号通りかはわかりません。私たちは物事を単純に考えすぎです。「イレズミを入れているからあいつは悪い奴だ」なんて簡単に判断できるほど人間は単純ではありません。


 文化人類学者の山本芳美さんはイレズミを多様性として尊重すべきだと提言しています。私も山本さんに同意見です。イレズミという多様性を認めるべきだと思います。


 「そう言われてもイレズミは怖いし…」という人もいらっしゃるでしょう。確かに、簡単には恐怖心は拭えないかもしれません。「イレズミが怖い」という気持ちは簡単には変えられません。でも、絶対に変えられないわけでもないです。少しずつなら変えていけます。今からイレズミに対する偏見を少しずつ減らしていく努力が大事なんです。


 最近だと、有名人の中でもイレズミという価値観を認めようという活動もあります。そうした、少しずつの歩みが大事なのだと思います。



 「イレズミは怖いから、もう一生認めなければいいじゃん」というのは何の努力もしていませんし、それは思考停止であり、マジョリティの暴力です。山本さんも次のように語っています。


 「タトゥー=悪の象徴」といったイメージだけで、「入れ墨はお断りだから」などと一律的な対応をするのはよくない。考えることをやめてしまう姿勢こそが問題なのだ。 
(https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180719-OYT8T50020/3/ より)


 私たちは「イレズミ=悪」だと思考停止していて本当に良いのでしょうか。




あとがき:洗脳からの解放

 最後に、ここでは日本のイレズミ文化や問題に興味を持った人へ参考となる資料を紹介しつつ、少しでも良い社会(あるいは世界)を実現する方法について考えてみようと思います。

・山本芳美 著 『イレズミと日本人』 株式会社平凡社 2016年6月15日

・松田修 著 『日本刺青論』 青弓社 1989年1月1日

・松田修 著 『刺青・性・死 逆光の日本美』 講談社学術文庫 2016年2月11日

・イレズミが日本でNGなのはなぜ?明治以前は一般的だった意外な歴史 (https://diamond.jp/articles/-/195415)

・「入れ墨タブー」ニッポンは非常識? (https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180719-OYT8T50020/)

・沖縄の入れ墨ハジチ「女性の誇り」 禁じられ消滅したが(https://digital.asahi.com/articles/ASM943R7PM94TPOB003.html)

・日本でタトゥーはタブーなのか 「不快」の声に当事者は (https://digital.asahi.com/articles/ASLC67W5CLC6UTIL05Z.html)


 本稿では「イレズミ=反社」という認識は映画による洗脳だと紹介しました。「イレズミ=反社」と考えている人たちは映画に洗脳されているようなものなんです。ならばいつまで洗脳に縛られているのでしょうか。洗脳じみたものに騙され、マイノリティを排除しているということは、何もイレズミに限った話ではありません。これは外国人や女性、LGBTQのような人たちへの差別でも同じことが言えます。洗脳じみた作品や言説に惑わされて、マイノリティ(外国人やLGBTQ)に対して差別的なことをしていることは多いです。しかし、洗脳じみたものに騙されてはいけません。


 私たちを縛る洗脳から解き放たれることが、私たちにとってもイレズミを入れている人やマイノリティの人たちにとってもより良き世界の実現に近づく方法なのだと思います。



-----------------------------------------------------------------

参照

・山本芳美 著 『イレズミと日本人』 株式会社平凡社 2016年6月15日

・松田修 著 『日本刺青論』 青弓社 1989年1月1日

・谷崎潤一郎 著 『陰翳礼讃』 中公文庫 1995年9月18日

・入れ墨 - 日本における入れ墨 - Weblio辞書 (https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%85%A5%E3%82%8C%E5%A2%A8_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%85%A5%E3%82%8C%E5%A2%A8)

・「入れ墨タブー」ニッポンは非常識? (https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20180719-OYT8T50020/)

・縄文文化サポーターズ (https://jomon-supporters.jp/js%E3%80%90%E8%97%A4%E5%86%85%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%91%E8%9B%87%E3%82%92%E6%88%B4%E3%81%8F%E5%9C%9F%E5%81%B6%EF%BC%88%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%EF%BC%89/)

・『魏志倭人伝』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?