20代最後のわたし

気付けばあと5日で待ちわびていた30歳の誕生日だ。

2019年はいいことがあるよと去年の秋に占い師に言われてからいい事続きだった。


会社は買収され年収は200万円アップ

やりたいと懇願していたスナックの仕事ができるようになったり

人間関係や会社でのポジションも良好で自分らしい業績を先月は叩き出すことができた。


でもなぜか、心にぽっかり穴が空いているような感覚だ。


SNSができた世の中には、日々たくさんの羨ましいがスマホの画面に流れてくる。


結婚しましたの報告、子供が出来ましたの報告、素晴らしい旅の日々

愛する人に毎日作る料理の画像。


もちろん私だって、充実した日々を送っている。


都会で働き、大好きなインテリアの家に住み

自分の好きなことへは時間もお金も何不自由なく使える日々。

きっと誰から見ても羨ましいと思える充実した生活を送れていると思うし

そんな自分が大好きだった。


でも、このぽっかり空いた穴の正体はわかっている。

私には愛が足りないからだ。

こんなこというとおかしいかもしれないけど

私は昔から愛に飢えている。

幼少期から父はいなかったし、母も一人で私を育ててくれたので働き盛りだったこともあり一人でいる時間の楽しみ方や寂しさの発散方法は嫌なくらいに覚えてきた。

中学時代は部活、高校時代はバイト、大学時代はサークル、社会人になったら仕事。

平日も土日もとめどなく誰かとの予定を入れて真っ黒になるスケジュール帳を見て、今月も予定が入っているということが精神の安定剤だった。

つい、2ヶ月前までも、30歳を機に自堕落な生活を試みようとダイエットに挑戦して、五キロ痩せたが、また、毎晩飲みに行く生活を続けている。

これはきっと寂しさの反動なんだなとダイエットを始めて気づいた。

さらには、土日以外も忙しい平日を送っていたのに予定を入れすぎて少し心が疲れてしまった。

こうやって、私は同じことを繰り返しながら

根本的な自分の寂しさに向き合うことなく生き抜いていかなければいけないのか。

一年前に好きな人がいた。

でもその人には彼女がいた。一年経ってもその人が好きだ。

でも、後からその人は3ヶ月に一回くらい彼女をコロコロ変えているくらい

一人の人と長く付き合えないことを知る。

なんだ、私に限ったことではないのかと安心する一方で、彼女の連れてくる違う女性を見るたびに、なぜ自分ではダメだったんだろうということを考える。

考えたって答えは出ないし、それは一種の癖であり

私が解決出来る問題ではない。

でも、なぜ人はそのように叶わない恋心というものを追い求め続けるのだろうか。


恋をしているときに人間は脳みそからセロトニンというホルモンを出す。

それがいわゆる恋をしている状態だから、女性はダイエットではなく恋をしていた方が美しくなれるというなんだかyoutuberの胡散臭いセリフが頭に浮かんだ。


私が毎回セロトニンが発生するくらい好きになる人は

うまくいった試しがない。人生とはそういうものなのか。

むしろそういう経験から、自分に見合う相手をしっかり見つけろという教訓なのか。捉え方は人それぞれだが私にはそう聞こえた気がする。

愛を満たすものはやっぱり愛ということはわかっているんだけど

根本的な自分の欲求を満たせていない気がして

すごく不完全燃焼な気持ちだ。

まさか一年前に彼と会うことがなければこんなに後味の悪い

30歳を迎えなくても済んだのか?

いや、そうじゃない、これは私が自分で選んだ展開だ。

恋人がいないのも、ずっと片思いしているのも、予定を入れすぎてしまうもの、全部全部素直な自分の感情が選んだ最善の選択の結果である。

そう考えたらなんだか自分が愛しく思えてきて

人の人生はそれぞれだし、昔から言われている当たり前の幸せのカタチが

共通のカタチでないことを私は知っているから。

もう少し自分らしい不器用な生き方をしてみようと思う。

若い時はたくさんの背伸びをしてきたけど

その、背伸びをしすぎた足もそろそろ疲れてきたので

これからは等身大の生なましい自分を愛せるようになったらいいな。

きっとこれが20代最後の私らしさなのかもしれない。

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