見出し画像

「利用者のため」が利用者の”負担”になることもある

介護事業の基本は「自立支援」である。つまり、できることは高齢者本人に行っていただき、できないところは介護従事者がサービスとして手伝うということだ。

ここで問題なのは、できること・できないことの認識が、支援を要する高齢者本人と介護サービスを提供する側でズレることにある。

高齢者本人はできると思っていても、周囲から見ればできていない(手伝う必要がある)という認識がある。

この場合、本人ができることを「できない」と決めつけて手伝うのは、自尊心や意欲を損ねてしまう恐れがある。

反対に、高齢者本人ができないと思っていても、周囲から見れば「いやいや、面倒くさいだけでできるはず」という認識になることもある。

この場合、本人ができないと言うことを「できる」とすると、その場になって本人が動かない(動けない)という事態になる。これはこれで、本人の自尊心や意欲を損ねることにもなる。

一方、本人ができないと思っていたら何かの拍子に「何だできるじゃないか」と気づくこともあるし、半ば強制的に本人に動いてもらったら、以降に積極的になることもある。

大切なことは本人の意向とともに、できる・できないを決めつけせずに仮説のもとに支援内容を調整していくことである。時間はかかるが、支援を要する高齢者との信頼関係づくりに寄与する。

ただし、1つだけ忘れてはいけないことがある。

高齢者は肉体が衰えているということである。
また、気づかないうちに大きな疾患を抱えていることもある。

見た目が元気であるとか、そこそこ歩けるからという理由で介護サービスを提供してしまうと、ときに高齢者本人に大きな負担を強いてしまう恐れがあることは念頭においたほうが良い。

このあたりは、私自身もいくつか失敗がある。

介護施設に入所されていたとある利用者の話だが、その方は一部介助で立位も歩行も可能であったために、下肢筋力の低下防止として見守りや手引き歩行していた。

しかし、それを他のスタッフとともに日課のように続けていたところ、その利用者は徐々に共用スペースや居室内でぐったりと疲れてしまうようになっていった。

介護する側として「下肢筋力の低下防止のため」と良かれと思ってやっていることが、にとっては大きな負担になってしまうという学びとなった。

これは肉体だけの話ではなく、精神面でも同様である。

これも運営してる介護施設内の話だが、社会活動や認知症ケアとして、なるべく他利用者と交流する目的として、共用スペースで過ごしていただいたり同一作業を行っていただく機会を設けていた。

とは言え、他者交流が大好きという人は良いがそうでない人もいる。それを正直に「嫌だ!」と言って居室で独りで過ごされるならば分かりやすい。

しかし、一見楽しそうに他利用者と時間を過ごされているように見えて、実はストレスを感じている人もいる。
それは、共用スペースで過ごされているときは大人しめに微笑んでいる方が、居室で独りで過ごされているときはとてもリラックスされていることから「ああ、この方は一人のほうが楽なんだ」と気づいた。

それからは他利用者との時間はそこまで長くせず、あとは居室でご自由に過ごされるようにした。他者交流や社会参加は大切であるが、それはあくまで介護のプロセスであって、本人視点であることを忘れてはいけない。

――― 「本人のため」「利用者本位」という姿勢は大切であるが、それは支援を受ける高齢者にとってはありがた迷惑であることはある。

サービスを続けることで信頼関係ができると実現できるかもしれないが、高齢者は肉体も精神も介護を提供する側とは違う。そこを忘れて「これくらいはできるだろう」と決め打ちしてしまうと、思わぬ事故や信頼関係を損ねる恐れがある。

これらのバランスは非常に難しい。しかし、間違いに気づいたり会話や観察の中で調整していくことが、介護の醍醐味ではないだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?