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言葉を食べる。

本とわたし

わたしは小さな頃から本が好きな子供でした。
あんまり外で走り回るタイプではなかったし、お友達も少なかったので。

読むのはもっぱら小説か伝記でした。
「自分じゃない誰か」の人生を追体験して、その行間を読んで気持ちを想像したり、その後の展開があるならこうなるといいのにと妄想するのが好きでした。

そういえば委員会は決まって図書委員に立候補して、万年図書委員だった気がします。
楽なのもあるけど、本の匂いが、あの古びた紙の香りが好きでした。

両親とも勉強熱心で本も好きな人で、教育には金を惜しまないでいてくれたので、本屋も図書館もよく連れていってくれて大好きでした。
図書館では毎度制限いっぱいまで借りました。
本屋に行くときも親に「今日は買うのは○冊だけだよ」と事前に釘を刺されるほどでした。

オタク黎明期

中高生になるとめっきり文章を読む機会が減って、漫画一辺倒になりました。
絵があることで話がスッと頭に入ってきやすかったし、思春期にもよってか、もともと持ち合わせていた妄想癖にも拍車がかかり、立派に所謂オタク女子が出来上がりました。笑

でも、当時はお絵かき掲示板や個人サイトの黎明期!好きな漫画などが共通する人が各々の居心地の良いサイトに集い、コミュニティを形成していました。
そのおかげで、いじめられっ子全盛期だったわたしにも、ネットという逃げ道且つ居場所ができました。

最初はマウスで必死に絵を描きました。直線しか使えなくて笑、わさわさと集合体を作り、これまた直線の消しゴムでラインを整えて…となんとも地道にやっていました。ペンタブをねだって買ってもらったのも今や懐かしい。
こうしてリアルとは別のつながりを持てていたことは、わたしの精神的な支柱になっていました。

だからわたしの命は、本や漫画によって救われていたと言っても決して過言ではないのだと思います(ネットも、なんですが一旦ここでは置いておく)。
でもそのことに気がついたのは、最近になってからでした。
※そういえば今は図書館の公式Twitterアカウントが「学校に行きたくない子、うちにおいで!」ってよく言ってますよね、すごく良いなと思います。わたしも行けばよかった。

本の海を泳ぐ

大学時代はバンドサークルの活動に熱中していたので、今度は漫画さえもあまり読まなくなりました。活字に触れるのは、授業に関する本ぐらいでした。
構内には図書館も購買もありましたが、わたしは構内にある学生寮に住んでいたために、寮⇄授業かバイト先かサークル活動の往復ばかりで、普通の学生は憩いの場としていたその場をほとんど使うことがありませんでした。
(今思うと、本当〜にもったいない…)

活字欠乏症になったのは、社会人になってからです。
社員寮に入りましたが、最寄駅前には本当にここは関東なのかと疑うくらい、びっくりするほど何もなくて!
乗換の大きな駅にある商業施設に、早く上がった日は度々寄り道するようになりました。

お洋服のお店をぐるぐる見た後、決まって最後に入るのは本屋でした。そしてどこよりも一番長居しました。どうしても吸い寄せられてしまうのは、大好きだった紙の匂いを思い出したからでしょうか、久々の居心地の良さを感じていました。
雑誌に漫画に小説、ビジネス書、自己啓発本、目を凝らさなくても目に入ってくるほどに、めいっぱい並べられた本たち。どこの棚でも何かしら目につくものが見つかる。気軽に手に取れる。少し中を読んで、気に入ったものを買う。しかもほとんどは二千円以下で手に入れることができる!
店員さんの想いがこもったポップを見て買うものを吟味したり、時にはタイトルと表紙だけ見て「衝動ジャケ買い」しちゃったり。
まだお金のない新入社員時代のわたしにとって、所有欲を簡単に満たせるので、密かな欲求不満の解消場所でもありました。笑

先日観た映画「 #恋は雨上がりのように 」の原作での図書館デートのシーンで店長が

『どこかで橘さんを読んでいる本があるのかもしれない。それはきっと、今の橘さんに必要な本だよ。
〜中略〜
まさに(ここは)本の海!見つからないものはないさ。』
-恋は雨上がりのように 22話より

と言うセリフがあるんですが、まさにこの通り。本屋や図書館は言葉と知識が溢れる海、誰しも平等で身近にして最強な"手に取れる"メディアなんですよね。
わたしは時間を見つけては、思う存分本の海を泳ぎ回って、"わたし"を呼ぶ本を探していました。
"わたしに今必要な本"を探すのはさながら自分探しのようでもあり、なかなか終わりが見えないところも、さらにわたしを夢中にさせました。

「本屋ってこんなに楽しかったっけ?寮を出たら、絶対本屋のある街に住もう!」

と、わたしは実に数年ぶりにすっかり本屋に魅せられてしまい、翌年には駅前に本屋がある街に引っ越しました。以来、本屋通いはほぼ毎日続いています。

本に携わる人々の熱量

とはいえ今はすっかり書籍の電子化が進み、出版・印刷業界不遇の時代と言われていますが、本への情熱はこれからも失われていくわけではないだろうなと感じた出来事があります。

ある漫画家さんの作品にハマって、その人の別の作品を最寄りの本屋に在庫がないか確認したところ、どうやら取り寄せなければない様子。
まあ別に急いではいないし、通販で買ってしまったほうが早いかななんて思っていたけれど、その時の店員さんの次の言葉に衝撃を受けました。

「あの、突然すみません、わたしもこの先生の漫画大好きで…この本も、ほんっとにほんっとにオススメなんです!表紙も印刷に凝ってて、ぜひ実物を手にとってみてから決めてほしいです!
でもこちらで取り寄せとなると一週間かかってしまいます…すぐお渡しできなくて本当に申し訳ありません。
すぐ読みたければここじゃなくてもいいので、是非買って読んでくださいね!」

書店員さんにそんな風に今まで言われたことがなかったわたしは一瞬は唖然としましたが、あまりの熱量にその後じわじわと心打たれました。今でも忘れられません。
ああ、ここで働く人は本気で良い本と人が出会える場になるようにここを作って守ってくれているんだな、そして真摯な"好き"という気持ちや熱量はこんなにも人の心を打つんだなと感じました。
(本当はここで買ってあげたかったけど、こんなこと言われたらどうしても今すぐに読みたくなってしまって、その後すぐに他の駅まで行って大きな書店をはしごし手に入れました。笑)

しゃぶりつくすように

わたしの好きなものの軸はあまりブレておらず、今でも買うのは雑誌や漫画や小説が多いです。
仕事のことで悩むようになってからは、評価の高い自己啓発本を調べて買ったりもしてみましたが、ピンと来なくてなかなか読み進められず、"積ん読"も増えてきてしまいました。
仕事で遅くなることも増え時間がなくなり、さらに一人暮らしは収納場所もなかなかないので、どうしても手元に置きたいものだけ吟味して、度々古本屋に買取に出したりしていました。

そんな中で、今の彼と付き合いはじめました。
スポーツマンの陽キャラでわたしと正反対の性格なのはもちろん、家族(みんな物静かに見られる、実際そうでもないけど)にも居なかったタイプの異次元的存在です。
「女性は結婚相手にお父さんみたいな人を選びがち」という通説は嘘だったなあなんて婚約してからも思っていましたが、今年に入ってようやく唯一、彼と父の共通点を見つけました。
"本の読み方"です。

特に自己啓発本やビジネス書などを読む時に、線を引く、というよりほぼ塗りつぶしながら読むのです。
でも大事なところだけというわけではなくて(未だに基準はよくわからないのですが笑)、文章ほどんどを塗りつぶしています。まるで本という骨付き肉を骨の髄までしゃぶりつくすような感じです。
父もこうでした。とにかく勉強熱心で、実家の本もみっちり何かしら書き込まれていましたから。

「でも、こうすると読み終えてから売れなくなっちゃうよ?いいの?それに直接線引くんじゃなくて、付箋にしておけば綺麗なままにしておけるのに」とわたしが言うと、吃驚されてしまいました。

何言ってんだよ、お金払って買ってるんだから、自分の中に意地でも全て叩き込まないともったいないだろうが!

これが"知識欲"というやつでしょうか。
紙の本自体が好きだからなるべく綺麗にとっておきたいという気持ちと、元来のもったいない症候群からか、そういえば重要箇所に線を引いて本を読むなんてことをわたしは高校卒業して以来やっていないし、むしろすっかり忘れていたなと思いました(あれ、じゃあ大学ではわたしは一体何をやっていたんだろう…笑)。
大人になってから、そういう勉強のための本を普段全く読んでいないからというのもあるだろうけれど、その発想はなかった、と逆にわたしは驚きました。

わたしも今度から、本を、言葉を、ちょっと意識して食べてみようかな。

言葉のコラージュ

とはいえ習慣付いてないので、実際なかなか線が引けませんでした。もったいないし!笑
そして小説ばかり読むせいなのもあるかもしれないけれど、そもそも引きどころがわからない。
Twitterのふぁぼ(死語?)はあんなに簡単なのに!笑

けれど小説や漫画の好きなセリフや言い回しのところを、メモに残したり写メったりするようになっていきました(勿論私的利用に限っていますよ…!)。これが言葉のコラージュのようで、なかなか楽しいのです。
写真や絵のコラージュの、可愛いものをギュギュッと濃縮したようなものを見るのは元々大好きなのですが、自分ではズボラ過ぎてなかなかできなくて笑、でもこれなら簡単です。
まだあまり溜まってはいないのですが、これから本を読むたび自分の好きな言葉が増えていくのもまた楽しみだなあと思っています。

やっぱりアナロジスト

さてそんなわたしですが、iPadを購入したことで、今後の読書生活をどうしようかと考え始めました。

近年増えてきた電子書籍。ちょっと気になる話題の本や漫画や雑誌等は、かさ張らないこちらで読む方が良いのかもしれない…?
二十数年間紙の本ばかり読んできて、初めて浮上した電子書籍に振れる可能性に、どうするべきか未だに戸惑っています。
※なお電子書籍について個人的に感じているメリット・デメリットは下記の通りです(アプリ等によっても違ったりするのでしょうか。情報知りたいです。)。

【メリット】
・なにより、かさばらない!
・分厚い本でも重くなくさくさく読める(装丁的な意味ではハード本好きだけど、寝転んで読むのが好きなので、よっぽど欲しいものでない限り買うときは文庫化を待ってしまう…)
・雑誌なら月額契約で読み放題のアプリもあったりする!ファッション誌だけでなく、本誌も追いたい漫画とかについてはこちらの方が良いのか…

【デメリット】
・線が引けない
・万が一今後気が向いて雑誌等を本気コラージュするぞ!となったとき(たぶんない気がするけど)に切れない
・検索しないと出会えない本がある、読んだ本の傾向などから好みのものはサジェストされるだろうけど"偶然の運命的な出会い"がない
・雑誌だと某アイドルなどは白抜き表示にされることも…(肖像権の問題?)、せっかくのグラビアも真っ白だったり泣
・表紙のデザインや紙質などにも拘っている本だと、直接触れられないのがひたすら勿体ない

…悩ましすぎませんか?
ちなみにわたしは上記のメリット・デメリットを踏まえ、今発売中のananを、紙か電子書籍どちらで買うべきか今猛烈に悩んでいます(中村アンさんのくびれがたまらない)。

なんだかまだまだ本という媒体に関しては、わたしはアナロジストから抜けられなさそうな気がしています。そしてわたしのような人は、実際まだまだ多いんじゃないかなあと思います。
やっぱり未だに中身も装丁も匂いも、全てをひっくるめた紙の本が好きです。
わたしを救ってくれた本や漫画が溢れる、本屋さんや図書館が、出来ればずっと残っていてほしいんです。

わたしが出会った書店員さんのように、わたし達読者が様々な本と出会えるようアツく紙媒体の本の製作や販売に関わっている人はきっと沢山いるのでしょう。
一つ一つの本に、書く人描く人纏める人刷る人売る人など、沢山の人々の想いが詰まっているのだと、最近になって思いを馳せるようになりました。
そして、そんな思いを感じ取りながら本を手に取ると、本屋さんや図書館で本を選ぶのがさらに楽しくなりました。

表紙のデザインの凝り具合に感動したりしながら、一目惚れで出会うのも良い。
直接手にとって、紙質にときめくのも良い。
そして本の中を見て、その中に自分が欲しかった言葉が見つかったりしたら、こんなに素敵なことはないと思います。
言葉は栄養とはよく言われますが、そうして出会った本の言葉をもりもり食べて、元気になる人が増えればもっと素敵ですよね。

そんな本や言葉との出会いは色んな人の希望になり得ます。人生を変える本って本当にあるんです。
そして本屋さんや図書館には、今でもその可能性が沢山あると思っています。

頑張ってなんて気軽に言えるもんでもなく
さらにはただのしがないOL(しかも休職中)なわたしが出来ることは、本を買うことぐらいしかないのでなんとも歯がゆいですが
本と関わる全ての方々へ、沢山の感謝と敬意と大好きを込めて締めます。

今日は図書館で沢山本を借りました。本読んで、言葉もぐもぐして栄養とって、明日もがんばろう。


20180611(休職20日目)

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