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『煌(ひかり)の天空〜蒼の召喚少年と白きヴァルファンス』第三話「転入生は予言者」

 日本、四月。
 森見もりみ蒼仁あおとは小学六年生になった。

 蒼仁の朝は早い。
 毎朝の日課である、漢字の書き取りと百マス計算を十分で片づける。
 寝る前に覚えた国社理の暗記物、算数の難問の解法を再確認する。

 それから新聞に目を通す。一面ニュースの概略がいりゃくを頭に入れ、ノートに書き出す。「今年の熱いニュース」が何なのか、少なくとも見出しタイトルを覚えておけばいつか必ず役に立つ。社説を要約し、これもノートに書く。

 この日の一面と社説は、カナダの天体現象に絡めながら「気候危機」に関するニュースを取り上げていた。
 内容を要約したあと、蒼仁は自分の言葉も短く書き添えた。

『僕も経験した。絶対に忘れられない』

 書いてすぐ、消した。
 母が見ることのあるノートだ。余計な心労をかけたくない。

 採点は母親、もしくは塾のスタッフがしてくれる。
 蒼仁の国語力を信頼してか、母親は時間がないときには新聞を手に取らずに、蒼仁のノートでニュースを読んでから出勤することもある。

 読みかけの本を少し読んで、母親が朝食の準備を終えるころ、小学二年生の妹がぽやっとした顔で起きてきた。
 母親と妹、三人で朝食をとる。
 その前に。

「おはよう、お父さん」

 写真立てに向かって、蒼仁は手を合わせた。

  ◇ ◇ ◇

 小学五年生の夏、蒼仁はカナダで「太陽光消失サンライト・ロスト」に遭遇した。
 ユーコンの激流にもまれ、父とも、ガイドのブレンとも引き離され――小さなけものを抱えながら流されたことだけは、おぼろげながら覚えている。

 気がつくと、救助ヘリに乗せられていた。中洲なかすにひとりで倒れていたという。

 二日後にブレンの遺体が発見された。
 あの日、広範囲に渡り突然雪嵐が吹き荒れ、氷塊ひょうかいが降り注いだ。犠牲者は二百人を超え、蒼仁の父親は見つからないまま、やがて捜索が打ち切られた。

 自分だけ助かったのは、父親が助けてくれたからではないだろうか。そんな気がしてならない。

 以前から、中学受験を目指して塾に通っていた。母親が私立高校の教師なので、「私立」へ行くことに抵抗がない、という程度の理由だった。
 カナダ以来、彼の中学受験理由はガラッと大きく変化した。

 もう一度、あの地ユーコンへ行く。

 母親は子供二人を育てるのに手いっぱいだ。できれば母親に頼らずに、自分の力でカナダへ行く。

 蒼仁が目指している中学は、著名人を多く輩出し、世界各国にOB会が組織されている日本屈指の名門校だ。生徒の海外留学もさかんで、提携校のひとつがカナダにある。運が良ければ、中学のうちにカナダへの留学の道がひらけるかもしれない。

 入国が制限されている今の状況では、留学は難しいかもしれないが――きっと、何かしらの人脈つてはできる。
 学生のうちに行くのが無理なら、あの国が必要としている分野の研究者か技術者になる。

 あの地で何があったのか。何が父親を奪ったのか。この目で絶対に確かめる。
 
 子供らしからぬ薄暗い感情を奥に秘めたまま、それでも蒼仁は勉強の手を止めずに突き進んでいた。

  ◇ ◇ ◇

 始業式の日。
 全校生徒が体育館に集い、始業式を終えたあと各教室でのホームルームに入る。
 六年生はクラス替えがないので、この教室で見る顔は知ってる顔ばかりだ。

 ひとつだけ、例外があった。

「転入生を紹介します」

 担任教師の横に立ったのは、さらさらの長い金髪に青い瞳、白い肌。清楚な水色のワンピース。
 まるで「お約束」のような容姿を持つ、美少女だった。

「人形みたい! カワイイ!」と騒ぐ女子勢と、「アニメキャラみてー」と騒ぐ男子勢。どちらにしても騒がしい。

 担任が少女の名前を告げると、少女は堂々と背を伸ばした立ち姿をひるがえし、さらさらと黒板に自分で名前を書き始めた。カタカナと、ロシア語のように見える文字で。

「パーシャ・アルフェロヴァです。よろしくお願いします」

 芯のはっきりとした、涼やかな声だった。

 海外留学を視野に入れている蒼仁にとって、まったく興味がない対象というわけではないが、「話せるやつかどうか」の方が重要だ。
 出身や容姿がどうであれ、話せなければ、「その他大勢モブ」として蒼仁の学校風景の一部に設定されることになる。

 問題の少女は、担任の「席は、そっちの……」という声を無視して、なぜかまっすぐに蒼仁の方へ歩いてきた。
 友好的とは真逆の険しい目つきで、じっと蒼仁を見下ろす。

「……なに?」

「特にあなた自身に興味があるわけじゃないわ。ただ、あなたの未来がほんの少し見えたから、教えておいてあげる」

 曇りなき白い肌と金糸のまつげに覆われた、ブルートパーズのような瞳。
 蒼仁は言葉の意味よりも、その瞳にユーコンの水を、冷たく澄んだ声に氷塊を思い出した。

「あなた、今日死ぬわよ」

  ◇ ◇ ◇

 モブだなんてとんでもなかった。
 氷塊で殴られたかと思った。

 スタスタと自分の席へ向かうパーシャに向かって、担任が軽くたしなめる意味の言葉をかける。パーシャは「すみません」と小さく答えて席についた。

「あとで少し話しましょうね」という言葉を残し、担任はそのままホームルームを続けた。連絡事項や決めなければならない課題がたくさんあるのだ。
 せわしなく流れる教室の中、まだ意識が止まったままの蒼仁は、隣りの席の男子に向かってぽつりとつぶやいた。

「あれって何かの流行はやり? ゲーム?」

「知んねー。なんかこえーやつだよなー。ヤバいじゃんお前」

「なんかこえー・ヤバい」では済まない異変を、蒼仁はじきに体験することになる。

  ◇ ◇ ◇

「森見くん、ちょっと児童会室まで来てくれる?」

 担任に呼ばれ、蒼仁はげんなりした。
「こえー転入生」が叱られるのは勝手だが、こっちの時間まで奪わないでほしい。

 仕方なく教室を出ようとすると、ちょうどパーシャも出るところだった。

「先に言っとくわ。都合上、これから『心にもない謝罪』をすることになるけど、発言を否定するわけじゃないから」

 蒼仁はさらにげんなりした。

「『今日死ぬ』とか『心にもない謝罪』とか言われて、喜ぶやついないと思うけど。俺、きみに何かした?」

「『あなた自身に興味はない』とも言ったけど?」

 この金髪女子は、まず毒舌から日本語を覚えたのだろうか。

 友好的な会話をすっぱりあきらめた蒼仁に、パーシャは先に立って背を向けながらすたすたと歩き出した。

「伝えることが重要なのよ。伝えても回避できない『予言』と、回避できるかもしれない『予言』がある。後者であることを祈るしかないわね」

 蒼仁をさらに混乱させる話だった。
 予言。あれは中傷ちゅうしょうでも罵倒ばとうでもなく、予言だったというのか。パーシャは自分が予言者だと言っているのか。

 児童会室に到着し、担任の顔を立てるための「心にもない謝罪劇」を済ませて、二人はまた教室へ戻った。

 児童はみな下校し、教室にはほかに誰もいない。
 蒼仁はため息をついて、自分の席からリュックを取った。さっさと帰って、早めに塾へ行って自習しないと。

 早足で昇降口へ向かい、靴を出して履こうとすると、パーシャも後からしっかりついてきている。
 これ以上関わらないつもりだったのに、つい口から疑問がこぼれた。

「あのさあ。俺、どこでどんな理由で死ぬことになってんの?」

「わかってたらとっくに言ってる」

 蒼仁の早足に急いでついてきたせいか、顔を赤く染めてハァハァと息を荒げている。さすがに、ここまで来て冗談を言っているようには見えない。

 まさか、彼女の言うことは全部本当のことなのか。
 場合によっては彼女自身も何かに巻き込まれるのではないか。そのリスクを、承知の上でついてきているのだろうか。

「あれ……何?」

 パーシャの青い瞳が大きく見開かれ、視線が蒼仁の頭上を越えて、はるか上に飛んだ。
 白い指先が、その視線の先の空へと向けられる。

 蒼仁も振り返って空を見た。

 天空一面に、巨大な漆黒のカーテンが揺らめいていた。

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