仕事にやりがいが感じられないと悩んでいるなら・・・佐宗邦威『直観と論理をつなぐ方法』


「自分のやりたいことがわからない・・・」
「好きなことって、なんだろう・・・」
「急に休みになったら、何をしていいかわからない・・・」

そう思ったりしたことはありませんか?

それはもしかしたら非常に危険な状態かもしれません。


そんなあなたに伺います。

いま、仕事にやりがいを感じていますか?
いまやっている仕事は、人生をかけて臨みたいと、心から思っていますか?

もし、「そうではない」と思っているのに、「好きなことが見つからない」と思っているとしたら・・・・
まずはこの本を。

佐宗邦威『直観と論理をつなぐ方法』

ここにはそれを解決する「答え」はありません。
しかし、重要な地図が描かれています。

これを「知っている」のと知らないのでは大きな違いが生まれます。
わたしもずっとずっと考えていたことが、ここにはあります。

「論理」や「キャリア、「成果」・・・象牙の塔にいる大学生だけではなく、ビジネスマンにも知っておいてほしい大事なこと。

「ロジック」ではたどり着けない世界を、さあ一緒に見ていきましょう。

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1. あなたはどの「世界」で生きているか

この本のすごい、というより「いい」と思った点は、多くのビジネス書や自己啓発、哲学、思想の本ではそれぞれ書いていた分野を統合し、さらにビジュアル的に理解できるところです。

私たちの生きる「世界」は主に4つに分かれているといいます。

①カイゼン思考
②戦略思考
③デザイン思考
④ビジョン思考

これらは私たちがどうやって生きているかを表すといいます。

例えば①。
「カイゼンの思考」で生きている人は、どういうことか。

それはこのnoteでも何度か取り上げている「正解主義」的な発想をする人たちのことです。
この世の中には必ずどこかに「正解」があり、「絶対善」があると信じている空間に生きている人。

この世界の何よりもの特徴は、「誰かが規定したゴールを基準に、全てが動いているということ」だ。受験勉強であれば偏差値や大学のランク、就職活動で言えば会社の規模や初任給、ビジネスなら市場シェアとか新規顧客の獲得数、あるいは、上司からの人事評価など……。なぜそれらを高めることが正しいのか不問にしたままKPI(重要業績評価指標)を「絶対善」として見なしている空間だ。

何か明確な基準が、(自分の内側ではない)どこかにあって、それを追い求めている。

メーテル・リンクの『青い鳥』の話を知っている方ならピンと来るかもしれません。

私たちは学校教育の中でも社会の中でも、常に「カイゼンの農地」、PDCAのサイクルの中に飲まれがちです。どうやって生産性を高めるか、どうやってパフォーマンスを上げるのか。

しかし、現代ではまだまだ多数派なのにも関わらず、これはかつてないほど危険な時代になっていると本書ではいいます。

人工知能やオートメーションの普及によって、人間がやらなくても生産性を簡単に効率化できるようになっている背景があるからです。

そしてもう一つ。
「確実にわかる未来などほとんど存在しない」ことがわかってきたから。

だからこそ、ここにいる人たちは一体何を指針としていいのか困り果ててしまい、結局は「前例に従う」ことしかできなくなってしまうのです。


2. 「論理」を手に領土拡大を目指す「戦略の荒野」

では、そうしたルールに従わないで、自分で新たなミリを切り開いていこうとするのが、この「戦略の荒野」で生きる人たちだといいます。

 専門家からのお叱りを覚悟であえて乱暴にまとめれば、戦略思考の本質は「自分たちが勝てる目標を設定し、資源を集中分配すること」にある。正しい目標を設定するためには、現状を分析して、「モレやダブりがないように」課題を切り分けるのが効果的だ。(中略)
 陣地取り合戦をする「戦略のくや」では、ライバルに負けない強靭な体力を身につける以上に、正面からの衝突を回避して、彼らが見落としている領域をいち早く手中に収める戦略が欠かせない。そのときに有効なのが、起きている問題の原因などをある程度、網羅的に列挙して、機会の「見落とし」を防ぎ、自分が勝てる目標を設定することである。

この思考は、「カイゼンの思考」ではできないからどうやって勝とうか、というもの。

その行き着いた「答え」が、自らの力でいわゆるブルーオーシャンでどう働くか、ということ。どうすれば人と違う自分の価値を提供できるのか、と常に目標をもち算段を立てながら荒野を進むことになります。

一見、これは新たに生きる道だと思っても、ここで一生生きれる人はごくわずかだと言います。それはシェアの奪い合い、プレッシャーの連続で、ほとんどの人が「持続可能」ではないという問題がある、と。


3. 目的の難民たちの新天地「デザインの平野」

「戦略の荒野」で生き続ける人たちは、ある種「目的」が必ずあります。

自分たちの設定した「目的」のためにどうしたらいいかを考える。

しかし、そうやって生きてきたからこそ、そこから離れたときに指針であった「目的」を失い、どうやって生きていいかわからなくなるといいます。

そのときに見えるのがこの「デザインの平野」だと。

「デザインの平野」とは、「3つのデザイン思考」を使って生きることだといいます。

①手を動かして考える———プロトタイピング
②五感を活用して統合する———両脳思考
③生活者の課題をみんなで解決する———人間中心共創

デザインとはセンスで形作るものではなく、どうやって考えるかの方法に過ぎません。

こうした論理だけではないという視点を発見できたことで幅は広がるも、ここの分野に先に到達している人たちはいます。結局はここをメインとして生きようとも、先にいる人たちにはなかなか敵わないという問題が生じるといいます。

また、さらに別の問題があると指摘しています。

前述の通り、デザイン思考は人々に共通する課題解決という局面ではかなり効果手を発揮する。プロトタイピングや両脳思考でアプローチしながら、複数人お集合知を組み合わせていく(共創)のため、誰もが納得のいく「答え」に素早く到達することができる。
だが、これは裏を返せば、作り手の個性や世界観の表現が制限されてしまうことでもある。「みんなでつくる」以上、「自分一人でつくる」ときよりも「自分らしさ」が失われるのは、当然といえば当然だ。デザイン思考を忠実に実行すると、どうしても「他人モード」に偏りがちなのである。

私が最も注目したいのはここです。

私の生涯の命題として一つずっと考えているのは「自分とは何か」を考えること。


これまでも、このように「じぶん」を考えるテーマについては何度も見てきました。

しかし、現代に生きる私たちは「じぶん」について考える時間はほとんどありません。

「象牙の塔」として現代社会から離れている学校ですら、です。


ちょっと思い出してみてください。

学校で「じぶん」を考える機会はあったでしょうか?
「じぶん」の好きなことを突き詰める時間はありましたか?


思い返してみてください。

むしろ反対だったはず。

自分の個性はどうなんだろう、と試行錯誤しようとすれば注意される。

「それをしてはいけない」
「こうでなくてはダメだ」

生活だけではなく勉強面でもそう。
なんために学ぶか、というと

「テストで点数を取るため」
「受験で合格するため」
「資格を取るため」
「就職するため」

それらは全て「他人モード」なこと。

「じぶん」は一体どういう存在なんだろうとか、好きなこと、一生続けたいことはなんだろう、と考える時間はほとんどないはず。


しかし、私は言いたい。

本当にそれでいいんでしょうか。


きっと筆者も同じはず。

そこで第四の大地「人生芸術の山脈」があると言います。

 ここは険しい山々に囲まれた山岳地帯である。無数と言っていいほどたくさんの山があり、それぞれの人が自分のビジョンを追い求めて山を登っている。彼らが登っているのは舗装されていない獣道で、途中で道が途切れていたり、ものすごい急勾配になっているようだ。
 ほとんどの登山者たちは一人だが、なぜか楽しそうで、いきいきとした表情で登山を続けている。

他人がどう評価するかは本当に重要なのでしょうか。

確かに、それがないと生きにくいかもしれません。

しかし、それが「目的」、ゴールになっていいのでしょうか。


私たちはもっと「じぶん」がどう生きたいのか、なにをしたいのかを考えることを大事にしてもいいのではないか。そう読み取れます。

この本は、そう思った瞬間に手助けをしてくれる一冊でしょう。

もし、「こんなこと考えたことなかった」と思った人ほど、オススメです。



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