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「花屋日記」37. その目に映る最後の光景は。

 敏腕エディターだったスガさんは、亡くなる前に長い休暇をとり、単身インドに行かれたらしい。病気のことを知らされていなかった周囲は、てっきり「バケーション」だと思っていたらしく、それが彼女にとって何かしらの意味を持つ覚悟の旅だったというのは、後から分かったことだ。
 インドという地を選んだ理由は分からないし、彼女がそこで何を見たのかも私は知らない。でもご自身の余命を知ったとき、スガさんがそんな遠い異国まで一人で旅しようと決心されたことが、彼女らしく、かっこいいと思えた。

「お金と時間がいくらでも使えたら自分は何をしたいのか?」
「寿命まであとわずかだったら何をするか?」
といった命題はよく耳にするし、私だって少なからず考えたことはある。でも自分はどちらかというと「もう生きているのが辛いから、明日がこないでほしい」と思うことの方が多かったので、どこか投げやりに生きていたことは否めない。自分の不運にかまけて「人生が終わるならいつでもどうぞ」なんていう態度で、私は自分の命のことも、人の命のことも、ちゃんと考えられていなかった気がする。

「視野狭窄を起こす可能性があるので検査をしましょう」
「シヤキョウサク、って何ですか?」
「目の見える範囲が狭くなることです」
「えっ」

 ある日、私は病院で医師からそんなことを宣告された。そのとき初めて、なんとも言えない焦りを感じ、もし目が不自由になるなら何を見ておきたいだろうと真剣に考えた。
 まず普段なら買わない宝塚歌劇のS席のチケットをとり、大迫力のラインダンスを前列で見てみた。そしてずっと憧れだった映画のロケ地である尾道へ行き、丘の上からパノラマ全体に広がる海を見たりもした。圧巻だった。でも何を見てもどこか切なかった。つねに頭の中に「終わり」がちらつくというのは、こんな気持ちなのか。「スガさん」と何度も思った。

 時期はちょうど、母の日前だった。店舗だけでは置き場所が足らず、私たちは貸し倉庫に仕入れた花鉢を搬入していた。床が見えなくなるほど部屋いっぱいに敷き詰められた花々を見たとき、私はしばらく言葉が出なかった。その後の手入れが大変だからではない。これも間違いなく、自分の記憶に焼きつけておきたい光景だと思ったからだ。

 後日、視野狭窄を引き起こす病気の疑いは晴れた。医師から結果を聞いて、私はほっと息をついた。よかった、まだ私の目は、世界を見ることができる。
 それでも「ぜんぶ覚えておかなくちゃ」と思う癖はその後も続いた。色を、形を、印象を、そのときの自分の心の揺らぎも含めて。目に映るあらゆる美を、ずっと留めておきたい。忘れたくない。いつかすべて終わるのだとしても、ちゃんと自分と世界の関わりを体験していこうと初めて本気で決心した。

 たとえあの世に最高の花畑が待っているのだとしても、私はまずこの世の花を一本ずつ愛していこう。

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