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イブン・バットゥータ『大旅行記』 まったく読めなかったのに書評

 以前住んでいた大宮のマンションから徒歩3分。歯をガリガリ削られた歯医者の目の前に最近大宮区役所が移転した。新しい図書館も併設された。
 さいたま新都心・大宮界隈は、私の引っ越した後に私の当地に残していった住民税や礼金を元手に、新たな公共施設が作られたり、コクーンというショッピングモールは大幅増床してヨドバシカメラもできたりと、ここ5年で変貌。私のこんな街に住んでみたいという理想を次々に叶えている。今住んでいる浦和にも、引っ越し後の私の旺盛な大衆居酒屋での消費行動により地域経済は活性化し、蔦屋書店ができたりしているが、ヨドバシカメラのほうがいい。地団駄。

 先の土曜日の夕方。市内の別の図書館で借りた本を返却するためと、子どもの散髪と同時に用事を済ますにはどこがよいか思案したところ、この新しい大宮図書館へ行くこととした。

 2ヶ月前にオープンしたばかりとあって、綺麗で開放的。2階から3階への階段の吹き抜けはどこまでも高く、読書スペースが設けらている。子供向けに靴を脱いで絵本を読んだり、紙芝居を読み聞かせできるガラス張りのスペースもある。2000年代にできた浦和パルコ内にある中央図書館は綺麗であるが、デザインに面白みはなく、やはり武雄図書館以降の居心地もデザインされている図書館というのが2010年代後半の図書館の潮流なのだろう。

 旧大宮図書館が狭隘だったためか、蔵書数には余裕があり、棚にはスペースがある。CCC系の図書館のように、1997年発行の埼玉のラーメン本などで棚を埋めることはしないようだ。
 棚が空いていることで、本の背表紙に目がいく。紀行のコーナーに緑色の重厚そうな古い本が何冊も並んであった。イブン・バットゥータ著の『大旅行記』であった。

 イブン・バットゥータは14世紀のイスラム世界の大旅行家である。対岸がすぐスペインのモロッコのタンジェで生まれて、21歳のメッカ巡礼から30年間、西アフリカから中東、インドを超えて、中国まで旅し続けた。その間8年間はインドのトゥグルク朝に高官として仕えてもいる。その大旅行の記録が『大旅行記(正式には、諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物)』だ。
 下手の横好き中年草サッカーチームのユニフォームを昨年新調したのだが、我がチームは昔から「見掛け倒し」をモットーとしており、そのためにはプロチームのように胸にスポンサーのような何かを入れるのが慣習となっている。今までは銀河系軍団のレアル・マドリーのようにチームのサイトURLを入れていたが、今回は一新せんと思い稚拙にデザインした「イブン・バットュータ 旅行記」というでっち上げたロゴを恥ずかしげありつつ胸に入れたのだ。

 山川の世界史用語集を見て決めたチーム名であるから、我がチームは世界史とは切っても切り離せない関係にある。ラクダマークで、あたかも石油王がスポンサーについたみたいと嬉々としているのは私だけであり、他のメンバーがどう思っているかはあえて見ないこととする。

 そうは言っても、一度も『大旅行記』を読んだことはなかった。如何なものか。せっかく近くなったイブン・バットゥータ。目の前に本があるのなら、借りて一度は読んでみるのだ。まずは第1巻から。今朝、会社へ向かう電車で紐解いてみた。

 30年にも渡る『大旅行記』のグレートジャーニー。口述筆記したイブン・ジュザイイによる序文は、こう始まった。

 法学者(ファキーフ)、学識者(アーリム)、純正にして気高く、神の道に全身全霊を捧げた敬虔なるシャイフ、アッラーの客人(ワフド)、聖地(メッカ)に小巡礼(参詣)(ムウタミル)を果たした人、イスラムの教えを尊信する人(シャラフ・ウッディーン)、旅を通じて万世の主(アッラー)に全幅の信頼(ムウタミド)を寄せ続けた人、アブー・アブド・アッラー・ムハンマド・ブン・アブド・アッラー・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッラワーティー・アッタンジー(ベルベルのラワータ族、タンジェ[の町]の出身者)は、次のように語った。なお彼は、一般には<イブン・バットゥータ>の名で知られた。神よ、彼に慈悲を与え、また、神の優しき恩寵と寛大さによりて、彼に至福を授けたまえ!アーミーン、アーミーン………!

 読めるか!
 こんな調子を30年分読まなければならないのか。しかし、イブン・バットゥータ研究の第一人者であり、同じ専攻の遥か彼方の大先輩である家島彦一先生の訳注である。50年以上の後輩であろうと、同じ専攻で学んだのだ。読み進めない方がおかしい。

 とても、そして当然読み進められないのであった早くも絶望。そそくさと読み飛ばそう。序文などどうでもよい。さっさと第1章に飛んでしまおう。21歳のイブン・バットュータの旅立ち。モロッコからまずはエジプトへ。これから続く勇猛な旅路を共に歩むのだ。

私がチュニスに到着した当時、そこのスルタンは、スルタン=アブー・ヤフヤー・ブン・スルタン=アブー・ザカリーヤーゥ・ヤフヤー・ブン・スルタン=アブー・イスハーク・イブラーヒーム・ブン・スルタン=ザカーリーヤーゥ・ヤフヤー・ブン・アブド・アルワーヒド・ブン・アブー・ハフス――神の御慈悲、彼のもとにあれ!――であった。

 ……。

 「ブン・ブン」とイブン・バットュータではなく「ブーンブンブンシャカ」と歌っている上地雄輔が脳裏に浮かぶばかりで、感情移入できないことこの上なし。こんな調子の文章がアラビア文字ではるか彼方どこまでも続くものをよく訳せたものだと、家島先生に敬意を評しつつ、愚鈍な私は早々に放り投げるのである。日本語の訳を読むだけで30年掛かってしまう。己が大旅行となってしまう。

 帰り道、下川裕治氏の『12万円で世界を歩くリターンズ』を買った。やはり面白い。



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