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モンスターペアレントは本当に「モンスター」なのか?

皆さん、今日もお仕事、お疲れ様です😌
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共育LIBRARYというブログを運営しているりょーやん、元教師です。

「教員は大変そう」という理由の1つに「モンスターペアレント」というワードがよくあげられます。

「子どもの成績を上げろ」
「今すぐクラス替えをしろ」

などの学校に対して理不尽な要求を言ってくる保護者のことを指していると、理解している方々が多いのではないでしょうか。

確かに、明らかに理不尽な要求は「モンスター」と称されて当然だと思います。

しかし、学校に意見を申し立てる保護者は本当に「モンスター」なのでしょうか?

「モンスターペアレント」という言葉が独り歩きして、「言うべきことを学校に言えない雰囲気」が出来てしまっていないでしょうか。

この記事では、「『モンスターペアレント』という存在は時代の流れによって、その意味合いが変化してきている」ことを踏まえながら、学校と保護者のよりよい付き合い方を考えていければと思います。

「学校に対して疑問をもっているけれど言いづらい」
「学校に言うと子どもに悪影響が出そうで心配」
と思っている方や興味がある方は、是非、最後までご覧ください。



モンスターペアレントはいつ誕生した?

「モンスターペアレント」という言葉は、2007年頃から使われました。

元小学校教諭の向山洋一氏が「不当、不可解な要求を、次々に担任、校長、学校につきつけている保護者」と定義して使ったことが始まりです。

向山氏は、教育界で最も多くの著書を出した方で、編集したものを合わせると1000冊以上の本を出版しており、NHKの「クイズ面白ゼミナール」の番組企画メンバーを教師をやりながらも務めていた人です。

「モンスターペアレント」という言葉以外にも、「学級崩壊」という言葉も生み出しています。

筆者も、向山氏の本は何冊も読み、たくさん勉強させてもらいました。

この定義によると「不当、不可解な」「次々につきつけている」という内容が含まれています。

つまり、真っ当な主張を、一度や二度学校に要求するぐらいでは「モンスターペアレント」とは言わないのです。

何を隠そう、筆者の母親も、筆者が小学生時代、学校の校長先生にモノ申していた人物でした笑

小学1年生のクラスメイトが、掃除をしなかったという理由で、皆の前で担任が何度もその子どもを蹴るという出来事がありました。

当事者の子どもの母親は、それを知っても、学校には何も言わず。

その母親と親しくしていた筆者の母は、「そんなのおかしい!」といきなり校長先生に直訴しに行っていました。

その1件だけだったら、まだ「真っ当な主張」と言えるかもしれませんが、弟が小学生だった時も、何かモノ申していたそうでしたから、「モンスターペアレント認定」されていたのかもしれません笑

本人も笑いながらそう言っていました。

筆者の親のように気にしない人物ならよいのですが、この「モンスターペアレント」という言葉の解釈をよく理解せずに安易に使っている風潮が、学校に何かあっても意見をいいづらくしているのだと思います。


10年前のモンスターペアレント

2010年前後の時代は、「モンスター」という言葉を生まざるを得なかったほど、無茶な保護者がいたことは事実です。

筆者が勤めていた市の学校では、一部の地域では「電話を全てボイスレコーダーで録音されている」学校がありました。

かなり裕福な地域で、医者や弁護士などの親が集まる、中学受験の子どもが多くを占める地域です。

他にも、刃物をもって保護者が学校に乱入してくる(子どもがいない時に)地域も存在していました。

そのように、高学歴やエリート思想が強い地域や、荒れている地域で学校に対する異常とも呼べる行動をする保護者がいたことは、実際にあったことです。

その時期は、丁度「教師」という職業の権威が崩れ去り、「学級崩壊」という現象が多発し、保護者の学校への信頼が薄れていっている時代でした。

加えて、高度経済成長を経験してきた保護者世代が、変わりゆく社会に順応し切れず、行き場のないストレスを抱えていた時代でもあります。

過剰な成長には、それ相応の代償を払わなければいけません。

光があれば影ができるように、急成長の裏には、うつ病や精神疾患などの影が実は生まれていました。人間の集合体はそのように作用します。

その負のエネルギーの矛先が、学校や子どもに向かいやすかったタイミングでもあったのです。


令和は「モンスター」か?

2010年前後の現象が、令和の現在まで続いているのかと問われると、「そうではない」と筆者は答えます。

現在は、保護者が主張してくることは、至極「真っ当な」ことばかりです。

少なくとも、令和になって「これはモンスターだろう」という保護者に、筆者は会ったことがありません。(荒れている地域はあると思います。)

一見、「意見を申し立てる保護者」が目立ってしまいますが、よく話をきくと「担任の落ち度」や「学校の落ち度」である場合がほとんどなのです。

筆者もお言葉をいただいたことはありますが、筆者は「我が身を振り返る有難い存在」だと捉えていました。

小学校は、学級担任制がほとんどですから、狭い世界で1年間同じメンバーで過ごしていると、担任の「我」がどうしても出てしまうときがあります。

そんな時、同僚からはなかなか言いづらい指摘をしてくれるのが、保護者なのです。

そして、言われたことを誠心誠意対応していれば、その保護者は大きな味方になってくれます。

令和になればなるほど、

「先生って本当に大変な仕事ですよね。本当によくやってくれています。でもね・・・」

という寄り添ってくれる保護者が多くなっていると感じていました。

「教師は大変」「保護者も大変」な現代だからこそ、学校と家庭が手を取り合っていこうという気持ちが、大きくなってきているのではないかと思っています。

職員室でも、「あの保護者は言ってくるからね・・・」という噂のようなものは、滅多なことでは出てきません。

やはり、何度も、「それはどうなの?」と思うような主張をしてくる保護者がいれば、引継ぎが行われますが、真っ当な主張を1~2回言う程度では、「その通りだな」と思う教師の方が多いと思います。

幼稚園・保育園と小学校、中学校はつながっていますので、小学校以外の場所から「この保護者は注意した方がよい」という連絡が入ってくることはありますが、「学校に突然怒りを露わにして突撃してくる」ようなレベルの保護者に限定して、です。

逆に、「真っ当な主張」をモンスターのように扱う場合は、その教員自身が「モンスター」であるのかもしれません。


まとめ

現代は、教員のブラック労働環境問題、教員のうつ病が過去最多になっていること、教員の人手不足が様々な形で報道、拡散され、保護者の方々にもそれが浸透するようになってきています。

加えて、「孤育て」というように、家庭と地域とのつながりが薄れ、二世帯での子育てが少なくなり、「自己責任」という風潮の元、家庭が危機にさらされていることも、教員の多くは感じ始めています。

学校も大変。家庭も大変。

今こそ、学校と家庭が手を取り合う時です。

ただ、「手を取り合う」といっても、ただでさえ大変な学校の業務や家庭でやるべきことに加えて何かをするということは現実味が欠けます。

ただ、相手の境遇を想像し、労いや労わりの気持ちをもって接してくれるだけでも、教員や親御さんにとっては、大きな味方を得た気持ちになるはずです。

そして、具体的な大変さを軽減させるような取り組みは、行政にそこまで期待できませんので、民間で何らかの取り組みをする機関が増えていくことを願っていますし、筆者自身もそのような分野に携わっていけたらと思います。

具体的な取り組みをしていらっしゃる方がいれば教えていただきたいと思いますし、まだまだ様々な道を模索していきたいです。

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