子供が寝坊して 期末試験を受けなかった と担任から電話が来たので あるお願いをしたのだが…
私は、平日の朝は、7時前には、家を出てしまいます。
その時間、子どもは、まだ夢の中です。
ある日の夕方、仕事から帰宅すると、子供の学校の担任教師から電話がありました。
どうやら、
「期末試験の1限目に現れなかった」
というのです。
理由は「寝坊」だそうです。
子供はというと、期末試験が終わって(終わってないだろう!)遊びに行っていました。(やれやれ…)
教師とのやり取り
担任教師とのやり取りをした結果、
結論的には、
・「追試」は実施されない
・評価は「見込み点」によっておこなわれる
・欠席の理由により、見込み点に「一定の割合」が掛けられる
とのことでした。
具体的には、
・忌引や事故、インフルエンザ(出席停止)、その他、医師による診断書があれば、過去の成績から割り出した見込み点☓0.8
・診断書はないが、腹痛などの体調不良の場合、過去の成績から割り出した見込み点☓0.6
・寝坊やサボりなど、正当な理由がない場合には、過去の成績から割り出した見込み点の☓0.4
で評価されるということでした。
最後の「正当な理由がない場合」は、0.4 だったか、0.3 たっだか、0だったのかは、はっきり覚えていませんが、そんな感じで3段階あるのだそうです。(あくまでも、自分の子供が通っている学校の話です。)
担任の教師は、理由が「寝坊」であることは知った上で、
「腹痛という理由で処理する、ということでよろしいですか?」
と聞いてきたので、
「先生がそれで構わないのであれば、それでいいお願いします。」
と答えました。
そして、さらに調べてくれて、
見込み点の割合が、「0.6」でも「0.8」でも、評定は「3」で変わらないので、仮に「(インチキな)診断書」を提出したとしても、評定が「4」になることはないから、「診断書」の提出は不要
だと言われました。
意外と親切な担任教師です。
あるお願い
その後、私は、担任教師に、あるお願いをしてみました。
そのお願いとは、
「(親としての非を認めた上で)試験に寝坊するなんて、気持ちが弛んでいる証拠なので、少しくらい脅して、気持ちを入れ替えるように指導して欲しい」
というものでした。
しかし、担任教師からは、即座に、
「それは出来ない」
という答えが返ってきました。
ご承知のとおり、現在の教育現場は、非常に厳しいらしく、
「教師が生徒を脅した、などということがわかれば大問題になる」
というのです。
生徒に対する「聞き取り調査」みたいなことも、実際に行われるということです。
教師の事情
もちろん、育てた親(私)の責任が、もっとも大きいわけですが、
今の学校は、
期末試験に寝坊して遅刻してきた生徒を、厳しく叱ることすら許されないのでしょうか?
まぁ、義務教育でなないので、「ご自由にどうぞ」というスタンスなのかもしれませんが…。
しかし、「寝坊して遅刻するくらい、べつにたいした問題ではない」と思ってしまっては、今後も同じ過ちを繰り返すでしょう。
そのため、私は食い下がりました。
「脅すという言葉は不適切だったが、せめて、反省を促すように、厳しく指導して欲しい」と。
当然、親としても、注意しなくてはいけません。
しかし、親に注意されるのと、学校の先生や、クラブの監督やコーチなど、親以外の大人から注意されるのとでは、反省の度合いが変わってくると思うのです。
だいたい、思春期になれば、親の言うことなんて、
「うせいな!」
くらいにしか思わないものです。
結局、
「脅すという言葉は不適切だったが、せめて、反省を促すように、厳しく指導して欲しい」
というお願いに対しても、快諾は得られませんでした。
それに対する返事は、
「できるかぎりの指導はしてみます」というもので、
「親御さんの気持ちは分かりますが、こちらの立場もご理解ください。」
ということでした。
怖い存在
わざわざ他人の子どもを叱って、その結果、自分の立場が危うくなるようであるのなら、そんなこと、誰でもしたがらないのでしょう。
教育現の場も、昔と比べて、だいぶ変わってしまったようです。
これは、世の中の流れもあるので、仕方がないことなのでしょうか。
しかし、いまや、子供にとって、「怖い存在」というのは、どこにも存在しないのかもしれません。
もちろん、人を恐怖でコントロールするのは、よくないことです。
しかし、大人が子供に対して、
「叱る」「諭す」「注意する」
という行為をしなくなったら、世の中は、いったいどうなってしまうのでしょう。
当然、大切に育て、友達のように付き合ってきた、私のことなどは、残念ながら、これっぽっちも「怖い」などとは思っていません。
それでも、一応は、キツめに諭しましたが…
たいした問題ではないが
本当のことを言うと、今回の件は、私としても、「たいした問題ではない」と言いたいところです。
もっと言えば、今の時代、大学になんて行かなくてもいいとすら思っていますが、残念ながら、それに変わる何らかの武器があるわけでもありません。
何の武器も持たせずに、社会に放り込むのも忍びないので、とりあえず、「学生のうちは勉強しろ」と言っています。
もちろん、勉強以外で、スポーツや芸術、音楽、その他、夢中になれることがあって、「将来はその分野で食っていきたい」というのであれば、「勉強しろ」などとは言いません。
しかし、多くのなんの目標もない子どもにとって、将来の仕事の選択を「先送り」するためには、学生のうちは「勉強する」くらいしか方法がないのです。
親父にもぶたれたことないのに!
振り返れば、私などは、学生の頃、生徒指導の先生に、思いきりグーで殴られたこともあります。
もちろん、ルールを破ったのは私ですので、仕方がありません。
アムロ・レイ風にいえば、
「なっ、殴ったね!…親父にもぶたれたことないのに!」
という感じでした。
いまの時代、そんなことをすれば大問題でしょう。
しかし、当時は、顔に青あざをつくった私をみても、私の親も含め、誰一人、騒ぎませんでした。
そんな経験も、いまとなっては、いい思いです。
別段、その先生のことを、恨んだりもしていません。
むしろ、「そこには愛があったのかもしれない」と感じています。
子どもを叱れますか?
「子どもを叱る」って、難しいですね。
そこには、愛がないとできません。
また、他人の子どもを叱るとなれば、なおさらです。
あなたは、自分の子どもを叱ることができますか?
「叱る」といっても、乳幼児に対して、
「ダメ!」「やめなさい!」
というのとは違いますよ。
きちんと、対話をすることができる年齢にまで、成長した子どもに対しての話です。
さらには、
自分以外の子どもが、何か悪さをしているのを見かけたら、叱ったり、注意したりすることができますか?
そんなことをしたら、返り討ちに合うか、すぐに血相を変えた、その子どもの親からクレームが来るかもしれません(笑)
おわりに
今回、子どもの「寝坊」をきっかけに、いろいろと考えさせられました。
人を注意したり、叱ったり、諭したりするのって、ほんとうに難しいですね。
特に、現代は、ますます難しくなっているように感じます。
・学校の先生が子どもを叱れば、親からクレームが来る
・他人の子どもを注意すれば、その親からクレームがくる
・上司が部下を叱れば、親からクレームがくるか、会社を辞めてしまう
などということもあり、下手をすると、自分の立場を危険に晒すような行為にもなりかねません。
もちろん、叱る方に悪意があるのはいけませんが、「愛のある叱責」もやりずらくなっているように思います。
また、「子どもを社会が育てる」という風潮も、明らかになくなってきています。
みな、自分のことが大切で、自分のことで精一杯なのです。
親としても、子どものことも大切だけど、その前に自分のことをなんとかしなくてはならない。
現代人は、なにかと大変なのです。
あなたは、子どもを上手に「叱る」ことができますか?
最後に、
子どもが先生に対して、下手な嘘や言い訳を言わずに、寝坊したと本当のことを言ったことに対して、感じたことがあります。
大人の世界では、多少の「嘘も方便」ですので、「寝坊した」は、まずい対応だったのかもしれません。
大人やズル賢い子どもなら、それらしい言い訳を考えて、ことが有利に運ぶように策略するでしょう。
たしかに、正直者よりも、ずる賢い人間のほうが、世の中を上手に渡り歩けことも多いでしょう。
しかし、私としては、素直に育ってくれたものだと嬉しくも思いました。
単純に、策略をするだけの知恵が、ないだけなのかもしれませんが(笑)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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