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雑感記録(69)

【思うまま書きたくなった2】


今日も今日とて思うままに書いてみたくなった。以前も同様の形で記録を付けたのでその趣旨やら、考えることについては過去の記録を参照されたし。

先日の記録でジュンク堂が無くなったことは記した通りだ。ジュンク堂が無くなってからの初めての週末を迎えた。

そこで今日は職場の後輩を連れて中村キースヘリング美術館へ行ってきた。この美術館は北杜市にあるので、山梨の中で雪がわりかし降る地域である。ここ最近、寒波の到来によって日本各地で雪が降り、ご多分に洩れず北杜市でも雪が降った。僕はあまり車の運転が得意な方ではないので、雪道を運転するのは怖い。以前から行こう行こうと思っていたのだけれども、こういった事情もあり行けていなかった。

ここ数日は天気も良く、暖かい日が続いている。今日は大分暖かい日だったので「雪も溶けているだろうから、きっと大丈夫だろう」なんて思っていたのだけれども、北へ北へそして山へ山へ向かって行くにつれて周囲は白くなって行き、清泉寮あたりでは道路脇にかなりの雪が積もっていた。路面も凍っている部分があり、スリップしないか心配だったが何とか無事に着くことが出来た。

僕は中村キースヘリング美術館が大好きだ。正直なところを言うと、あまり僕の琴線に触れるような作品は数多くある訳ではない。勿論、好きな作品もある訳だが、何というのか…。あの美術館の空間が僕は堪らなく好きなのである。作品を愉しむことも重要であるが、作品が展示されているその作品空間とでも言うのだろうか。それも重要であるなとも思う。

作品空間

僕はこの空間が今まで行った美術館の中で1番好きな空間である。作品が好きというより、この場所が好きなのかもしれない。勿論、作品も十分に愉しむが何よりこの空間に身を任せるその時間が僕は堪らなく好きなのだ。

美術館や博物館でもいいのだが、見に来る人が多くゆっくり作品を見ることが難しくなっている。東京の美術館だとこうはいかない。美術館の広さは十分なのだけれども、そこへ来館する母体が多いのだから仕方がないと思う。それに有名な作品が数多くある訳だから、それを1度はお目に掛かりたいと思うのは必然のことであるように思われる。

美術館に関しては上記記録に書いてある通りだ。ぜひ参照されたし。



直近購入作品

ジュンク堂が無くなる2日前、僕は最後にこれらの本を購入してきた。現在は「大衆小説も読もうキャンペーン」を実施中である身ではあるのだが、どうも物足りなさを感じてしまう。正直、大衆小説ばかり読んでいたら発狂しそうになりそうなので適宜こういう硬い?作品も読まないと頭がおかしくなってしまいそうだ。

ジュンク堂をプラプラしながら僕の推し文庫コーナーを1巡、2巡そして3巡した。ちなみに僕の推し文庫は3つある。①ちくま学芸文庫②講談社文芸文庫③河出文庫である。とりわけ、①と②に関しては本当にハズレがないというか、僕がちょうど読みたいと思うタイミングで新刊で出ることが多い。この前もホッブズの『リヴァイアサン』を購入できたし、ちょっと昔の話になるが鷺沢萠の『帰れぬ人びと』が講談社文芸文庫から出るとなった時は心底心躍ったものだった。(ちなみに好きすぎて『帰れぬ人びと』だけ5冊家にある。そのうち2冊は講談社文芸文庫のものである)

そんな中でふと『敗戦後論』という文字が僕の目に飛び込む。この作者の加藤典洋さんが逝去していたことは知っていたが、実際に彼の作品を読んだことはなかった。この際だから読んでみようと思って手に取ってみた。パラパラとページをめくり目次を見ると太宰治や坂口安吾の文字が。僕はおやおやとなった。

僕は本当に無知であるから、加藤典洋さんが文芸批評の方であるとはつゆ知らず『敗戦後論』という文字面だけで社会学的なアプローチから論じているんだろうと先入観を持ってしまった。しかし、目次には文豪の名前がある。彼に興味が湧き、他の彼の作品もこの際だから読んでみようと思い講談社文芸文庫で『戦後考論』と『テクストから遠く離れて』を購入した。

しかし、手に取ってレジに並ぶ際に「どうもバランスが悪いな…」と思い立ち他の本も買おうと戻る。そういえば最近まともに小説を読めていないなあと思い、取り急ぎ三島由紀夫とポオを購入した。三島由紀夫に関しては恥ずかしい話、僕はしっかり通ってきていない人間である。『仮面の告白』と『文化防衛論』しかまともに読んだことがないのだ。これをきっかけに読んでみようと心に決めた。


エドガー・アラン・ポーの『ユリイカ』を読む。一応「散文詩」という形式を取っているらしい。これは詩的言語で書かれた宇宙論として読める。論文でも詩という形式を借りて書かれればそれは詩足り得る。そういうことなのかなと自分でも変なことを考えてみる。

ところで、この『ユリイカ』というタイトル。これは英語で書くとEUREKAと書くらしい。僕はこの文字面を見て「おやおや」となる。そう、これは僕が愛してやまないアニメ『エウレカセブン』の"エウレカ"ではないか!!

交響詩篇エウレカセブン

僕は『交響詩篇エウレカセブン』が堪らなく好きだ。あのボーイミーツ感が何とも言えない歯がゆさと、そして主人公のレントンの成長する姿には心打たれるものがある。あと、単純にエウレカ可愛い……。主人公の乗る機体がニルバーシュという名前なのだが、これは「ニルヴァーナ」から取ってるのではないかとか、スカブコーラルのスカブは花の「サルビア・スカブラ」から取っているのか「skywave」から取っているのか…。コーラルは「珊瑚」を表しているよな…とか。色々と考えることがある。

そんな中で、話の中心軸となる人物である「エウレカ」についてはあまり考えてこなかった。単純にそういう名前なんだろうと思っていたのだけれどもどうやら違ったらしい。

EUREKAは「ユリイカ」はたまた「エウレカ」と読むらしい。元々はギリシア語が由来であり、このEUREKAという言葉にはそもそもれっきとした意味がないらしい。これはアルキメデスが風呂に入って浮力を発見した際に叫んだ言葉らしい。要はEUREKAという言葉は感嘆詞であるのだ。日本語で言うところの「ああ!」みたいな意味合いなのだ。

ただ、発見した時の喜びを表現する際にアリストテレスは「EUREKA!!」と叫んだのである。日本人の感覚からすると「EUREKA!!」と叫ぶとなると文字数が多いなと単純に思ってしまう。しかし、こういう経緯で生まれたということなのだから、現代人の僕が何を語ったところでそれこそ意味はないのだけれども…。

こう考えてみると、『交響詩篇エウレカセブン』も「そういうことだったのか」となる部分がある。エウレカの属性というか立ち振る舞いを見ていると、このEUREKAの言葉も意味を持ち始めるような気がする。気のせいかもしれないが。


という訳で今日はここまでにしておく。相も変わらずとりとめのないことばかりだ。特に今日は酷い。今度は何かトピックを見つけて記録を付けようと思う。それにしても僕はやはり文章が下手だ。

よしなに。



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