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★004 墨子「法儀」

(和訳)

国を治めるには法儀が必要
法儀とは、例えば、職人が道具を使って直角を測ったり
円を描いたり直線を引いたり水平をとり鉛直を得る
こうした方法は職人の法儀であるが
法儀の使い方の上手・下手はあるが皆この法儀を使う

ところが国を治めるときに法儀がないのはどうしたことか
国を治める法儀とは何か
例えば父母の教えで国を治めたらどうなるか
しかし父母に仁者は少ない
例えば学者の教えで国を治めたらどうなるか
しかし学者にも仁者は少ない
では君主の理屈で国を治めたらどうなるか
やはり君主にも仁者は少ない

改めて国を治める法儀は何か
それは天の法を国の法とすることだ
天はあまねく、私事がない、誇りもしない、時代に左右されない
天は、人間が互いに思いやり、互いに利することを求める
人間が互いに嫌悪し、互いに害することを求めない

もし今、世界には大国とか無くて
身分の上下なども無くてみんなが天の平等な臣下だったら
豊穣のために働いて天に捧げるだろう
それが天が求めることだ
互いに憎悪し害することを、天は望んでいない
必ず罰が当たる

禹・湯・文王・武王など聖王は
民を慈しみ、天を尊び、鬼神に仕え、人に利する王だった
一方で暴王の桀・紂・厲王・幽王は今も非難されている

(コメント)

法儀とは、どんなスポーツにもある基本みたいなもので
あるいは書道や剣道の基礎みたいなもので
その道の絶対にして基本的な作法のようなもの

父母にはその父母の法儀があり
学者には学者の、そして君主にさえ君主の法儀があるが
それは国を治める法儀ではないという(斬新)

ここで一般にもイメージにあるろう
墨子=平和主義、という第一声が出てきた

いろいろと感じることはある
例えば、私自身も若いころは正義に燃えたりしたが
正義とは別の正義と争い生むものだし
購入した本の序章では「利」とはこの時代
正義と正義の調和の意味と解説されていたり
結局は争いを起こさないこと
他人に思いやりを持つのが一番重要だと今は思う
心の中の悪い感情は全部は消えないけど
せめて行動を思いやりにすることで
外からは見えてない(はずの?)心からも少なくしたいと思う

あと、ここでもまた
「怪力乱神を語らず」という儒教の有名な句があるが
しかしながら儒教もまた「天」を至高の存在としているのと
墨家も共通していることがわかる
(※天を実存とする点で儒教もまた宗教という説あり)

なぜ人間が互いに妥協して利を共有することが重要なのか
ここではその説明に、あたかも原始共産制のような説明をする

原始共産制とは
誰も見たことはないけれど、かつての人類の初期のころは
みんなが互いに支えあって生きていたはずだという
ある種の理想的社会として
日本で言えば、稲作の伝来によって富の蓄積と戦争が起きる以前の
平和だった縄文時代、というイメージにぴったり
ちなみに原始共産制という言葉は
かの有名なマルクスの言葉
いずれにせよ誰も見たことのない、ある種の理想としての

マルクスはたしか教科書的には
そこから資本主義を経て、最終的に未来の共産主義みたいな流れ?
墨家としてはここで、時代に左右されない天の法則として
互恵的な人間社会が統治の法儀という

また、古代には天に供物を捧げることはよくあったが
それが天の意思で、それが人間が豊かである証という論理は
ここで初めて知って、なるほどとは思った
生贄も含めて、唯一畏れるものは天だけで
それ以外は豊穣を感謝するというイメージが少し分かった気がした
天の下に臣下のみというのは
まるでアブラハム系の一神教のようでもあるし
明治以後昭和敗戦以前の日本のようでもあるが
こうしたイメージはそれこそ昔からあったのだと分かる

また罰が当たるというくだりは
流れで書いてある気がするのであまり意味はないかもと思うが
個人的な人生の感想文では
あまり分かりやすい因果応報になっていない気もするが
それこそインドの輪廻転生を加味すれば
前後の輪廻での損益通算はされているのかもしれない
もちろん単なる妄想である
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