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わたしのアウトリーチVol.1(地域包括支援センター職員編)

地域の高齢者を見守り支える支援者や専門職がどんな想いをもって日頃仕事をしているのか・・・をお伝えしていきたいと思います。第1回は地域包括支援センター勤務7年目以上のベテラン職員4人によるインタビューです。

地域包括支援センター(包括)で働き始めたのはなぜ

田中 福祉の大学出て、そのまま老人ホームで働いてて・・・入居者100名の特養なんですけど。 まあそれなりにやっぱり毎日忙しく、その方の生活・・・できるだけ家に近い感じを目指して。色々大変だったんですけど、10年以上働いてる中で、「やっぱり施設に入所できた方って、まぁそうは言っても恵まれてるな。寝床があって、食事が出て介護があって・・・」と思ってて。同法人にも包括があって、時々大変な人のショートステイとか引き受けして。まぁ、ちょっと「在宅」だと、もっと本当に食べるのも困ってたりする人がいて、そういう方のためにちょっと働いてみたいなって思ったのがきっかけですね。

田中 潤一

 道脇 私は就職・・・最初1年は普通に一般企業で、福祉の大学でもなくって。で、そこでこてんぱんにやられて。自分ができない営業だったんですけど。で、東京で就職したんですけど、実家の京都に帰って、もうこれからどうしようって悩んで。で、お年寄りが好きで、よく話しかけてもらえるし、これからは高齢者の仕事がいいかなって思って。で、何も資格持ってなかったから、ヘルパー2級の資格を取って、地元のデイサービスにちょっと話をしに行って、そこからスタートして。で、 そこで5年くらいでちょうど結婚する時に、その前に介護職だったけど、ちょっと対利用者も楽しいけど、 ご家族の支援とか、もう少しこうステップアップというか、なんか活かせたらなと思って、社会福祉士を通信でとって、 結婚して東京に来て、で、最初デイの介護職兼相談員で働いて。 でも、そこが結構夜は遅かったりとかで、職員も結構辞めていったりとかして、ちょっとここで長く働くのは厳しいな。で、プライベートの方では、子供もそろそろ欲しいなとかって思った時に退職をして。で、最初はその妊活っていうか、そっちを優先した方がいいのかなと思ったから、ヘルパーとか短時間でと思ってたんですけど、やっぱ社会福祉士持っているし、生かした方がいいかなって思って、ハローワークとかで探してみて。でも、今まで介護職で全体で動いてたところが、なんか包括だともうすごく 1人で全部しなきゃみたいなイメージやったからできるのかな。っていう不安も大きかったんですけど。 

道脇 絢子

細谷 私は法人に入職してから居宅介護支援事業所のケアマネジャーをやって、私この仕事好きだな、天職かなと思いながらやってたんだけども・・・当時居宅のとなりの部署が包括で、同じ法人内でもやっぱり地域包括支援センターってさ、 すごくもう高齢者の大変なケースの対応をしているっていうイメージしかなかったから、 いや、あんな仕事は絶対したくないよ・・・ってずっと思ってたんだけど。前センター長が退職されることとなって理事長から私に打診があって。何度も断ったんだけど頭下げられちゃって、私ではお役に立てないかもしれないけど、じゃあっていうことでお受けして。やってみて、やっぱりケアマネとは責任が違うんだなってすごく思ってる。ケアマネって自分の担当の利用者をちゃんと支援していればいいんだけど、 包括ってそうではなくて、違う目線に行かなきゃいけなくて、うん、もっと支援が幅広いんだなっていうのを感じた。これはもっと勉強してかなきゃいけないなっていう風に痛感した。多分居宅と包括って、えっと見据えてるところが違うんだな、見ている方向性が違うんだろうなって、すごく思っている。 どうしても包括に就職したいです、って入ったわけじゃなかったから戸惑いも多分にあったけれど、でも飛び込んでみたら、あの向いてるかなって思ったかな、ていう感じ。 

細谷 理恵

小嶋 私の場合は、福祉の大学を出て色々やって模索をし続けたんですけど。一旦結婚して、前職のデイサービスでの相談員に1回落ち着いて、そこを4年ぐらいやったんですよね。で、 田中さんの結構近い部分があって・・・デイサービスの相談員を4年やって、要介護の方の対応をして。色々ケアマネとやり取りとかしたり、認知症の方とか、いわゆる介護度の高い方とか、いろんな方を受け入れて。色々レクリエーションやったりとか、周りの職員に恵まれて楽しく仕事をしてた時期もあったんです。で、それを4年やって、自分の中でちょっと「在宅介護」っていうものが分かったつもりになっていたんですよね。 でも、裏を返すとデイサービスに来てもらえる人はいいけれど、この人が例えば何らかの事情で来なくなったり、来れなくなったりして、もう来ないってなった時に、それ以上自分が何もできない。 関われないし、 例えば認知症が進んじゃって、せっかくデイサービスで楽しく通ってたのに、なんか急になんか事情があってこなくなっちゃって・・・えー、大丈夫なのかな、ご家族は大変じゃないのかな。って思うんですけど、でも、それ以上のことをデイサービスの職員は知れないし、関われない。それを考えた時に、僕が感じている「在宅介護」っていうのは、本当に部分的なことしか把握できてなかったなと考え込んだ時があって。その時ちょうどケアマネの資格も受かったので、じゃ、次に何をやろうって考えた時、居宅と包括かで迷ったんですよ。結構悩んで、居宅の求人問い合わせとかをしたこともあったんですけど、居宅のケアマネはそれはそれでやりがいもあるし、楽しい部分もあるんでしょうけど、30何人しか自分はその担当できないんだなって考えた時に、田中さんと同じように困っている方々のために、なんかできないかっていう根本を考えたら、 やっぱり僕に向いてんのは、やりたいのは多分ケアマネではなくて、社会福祉祉士的なところなんだろうなって。社会福祉士としてもっと闇に、在宅介護という名の闇に飛び込まなきゃ本当の意味での支援者になれない気がしたんです。なかなか繋がんない方々を地域的に色々支えていくことが多分向いてるんだろうなみたいな。 その時の小さな思いは実際に働いて見守りネットワーク担当になってどんどん肉づいていったんですけど。で、僕が入職した頃は人の入れ替えの時期だったし、平成27~28年の頃は、職員が総入れ替えみたいな感じになっちゃって、地域から不信がられ、信頼が大分あやしくなってるぞっていう時期があって当時は大変でしたね、ある意味。まあそこから今日に至るまでなんとか盛り返してきたっていうのがあるんですけど。 

小嶋 泰之

自分の根幹にあるもの  

小嶋 こうやって、このきっかけの今の話の中にもいくつかポイントはあったんですけど、 困っている、困っていそうな方を支援したい、見守りたい、繋げたいっていう自分の思いの根幹ってなんなんだろうなっていうのを思って。逆に言うと、なんでこんなに忙しく、大変なことを7年も続けられてんだろうみたいな、人によってはこんなしんどいのもやってられるかってやめちゃう人ももちろんいたりとか、 すごい忙しすぎてもう無理です自分にはこんなにできませんっていう人も、中にはいらっしゃるでしょうし。他の包括では、働いてみたら想像以上に忙しくてやめます、みたいな職員がちょこちょこいるらしいんですけど、これなんで続けられるんだろうっていうのをぜひ皆さんと話してみたいと思いまして。 

田中 なんか、ぱっと今思いついたのは、もうどの仕事やるにも、自分はまあ5年は最低やろうっていうのがあって。2~3年くらいじゃわからないことも多いだろうし、仕事を一通り覚えて、ようやくお役に立てるのかなっていうのがあるんで、 とにかく5年頑張ろうって思った。今もう7年経ってんすね。元々うちの親が、母1人子1人だったんですけど、母が喫茶店をやってて、その時にお客さんでちょっと困ってる人がいたら、なんかコーヒーご馳走してあげたり、なんかマッサージしてあげたりってのをなんとなく見てて、 あー、なんか人の役に立てるのが、うん、自分も好きだなっていうの、そこが根本にあるんだと思ったりする。でも、喫茶店やりたいと思ったことはなくて(笑)、福祉の、困ってる人の役に立ちたいってところですね。これが自分の根幹かなあ。

細谷 それわかるよねあのーほらお弁当取らなきゃさ、ご飯は食べれないからツケ払いとかさ、そういう方の支援とかさ、田中さんすごい行くじゃん。やっぱり権利擁護的なところみたいな、そういう感じの部分。だからなんだろうね、法人でも田中さんは職人だよねみたいなこと言う人いるね。多分、田中さんは特養の相談員の時も、 従来型の特養で今のユニットの特養とまた形式が違って、もう少し貧困というかその経済的に大変だった人とか、いろんな人も入居してきたりするじゃない。身寄りがなかったりとか、いろんなそういうところもあるのかなと思って、すごく職人を感じるんだよね。 

道脇 この7年間で正直辞めたいとか思った時はあったんですか? 

田中 意外とないですかね。まだね、65まで働くってなった時に、ずっとこのまま成長できないのかなとかも思うけど、今んとこないんすよね。 

小嶋 例えばなんかその、単純に「〇〇で倒れてるおじいちゃんがいます」みたいな連絡が入った時に、とりあえず車椅子持って行ってみようみたいな。このフットワークってもう多分意識してやってないというか、他の包括が「これはうちが行かなきゃいけないのかな」っていうのを中でちょっと検討したりとか、そういう過程を経て、「よし行こう」みたいになると思うんですけど、田中さんの場合わりと「とりあえず行ってみますね」みたいな感じで、気がついたらもう出かけてる、それって本当になんかすごいです。無意識なんだろうなと思って。 

田中 でもドキドキしながらやってますけどね(笑)。なんか、意外と包括ってなんでもやる仕事なのかなとイメージできたけど、意外と入ってみるとやっぱりルールっていうかね、そうでもなくて。根本はでも、なんでも屋なのが包括かなっていうのがどっかにあって。前は外から包括を見てる時はなんで日曜日お休みして、市役所も休み、地域の人にとっては曜日なんかないのに、ってずっと思ってたんだけど、うん、今思うとやっぱ日曜日は休みたいなって(笑)。 

田中職員 フットワークの軽さと誠実な対応の鬼

細谷 それはやっぱり、行政に準じたお仕事だからね。私たちも労働者でね、やっぱり休息も必要だし、地域の大変なことってさ、一緒にどっぷり使っちゃったらすごく大変で、自分のメンタルも大変な方に傾いちゃうけど、リフレッシュしないと。やっぱそこの思いや駆け引きがないと、この仕事で長続きしないのかなって。せっかく支援した方がね、実はご自宅で亡くなられてたとかね、それを突き詰めて考えたら、 たらればで、もっと早くこうしてあげればよかったとか、 強引だったかもしれないけど、こういう環境にしてあげればよかったって悩んだら、きりがないじゃない。自分の中で、それをずっと重みに考えずやっぱり切り替えが大事な職場って思うんだよね。で、それには休みをちゃんと取ってリフレッシュして切り離して、私は通勤のバスで切り離していく。でも、絶対0じゃないよ。頭の中0じゃないけど、重たい問題とか、自宅でご逝去されてたとか、いろんなことやるとやっぱ引きずるじゃない。で、「なんでも屋」って言うけど、私たちにも役割があるから、全てのことはやってあげられないし。とにかくリフレッシュはしていかないといけないかなって思う。道脇さんはいかがですか。


細谷職員 喋りだすと止まらないセンター長

道脇 私は「よく思われたい」っていうのがベースであって・・・役に立ちたいとか、ありがとうって言われるのが、自分の自信に繋がるってところがまあ根本的にあって。なかなか支援に繋がらない人、っていうのがそのすごく時間がかかって、難しくて、歯がゆいけど、その過程が。あ、今日はちょっと家に入れてくれたとか、 私にだったら話してくれたっていうのが、やっぱりなんかすごく気持ちいいというか、こう信頼関係ができていく過程が何にも変えられないなっていうところがすごくあって。大変なんですけど。でもマイナスな感じで言うと、 1回関わって、その後もしその人が何かあったりした時に、自分の責任っていうのをやっぱ感じるところがあって。だから、もう連絡が入って、知らなかったら何もしようがないけど、知ってしまってそういう現状で、今誰もこの人を助ける人がいなくって、で、知ってしまったら、もうなんか怖くって関わり続けていないと、もし何かあったら責められるわけではないけど、そのなんていうか弱さっていうか、全然かっこよくない部分も正直あるっていうところはありますね。包括で働いた最初はそこがすごく大きくって、 もう抱えきれないし、その人の間に入って調整するとかも苦手だから、辞めたいなとか向いてないなって。やっぱり、対利用者で介護職とかの方がもうシンプルで、自分には合ってるなって思った時期をあったんですけど。なんか色々経験していく中で、少し距離を置くっていうか、自分が何でもできるなんておこがましいっていうことが何となく実感としてわかってきて、 そこは少し肩の力が抜けた。ちょっと冷静に見れるようになって、提案はするけど、決めるのは本人だし、もうそれは何かあったらしょうがないなっていう風に変わってきて、続けられてるのかなって思ってます。 

道脇職員 日本一物腰がやわらかい相談員

小嶋 我々も長いことやっているので、やっぱり道脇さんって、凄い。根本的に凄い。その方のことを本当にその方の気持ちになって、 できる限り近く、その辛さとか、悲しみとかを、自分のことのように感じてあげられる人なんだろうなっていうのを時々思いながら。だからいつか、バーンアウトじゃないけど、なんか知らない間に道脇さんやっぱり〇〇さんのケースで、もう疲れきってしまって、 続けられないみたいなやめちゃうらしいよ、みたいな心配があって・・・ 

道脇 今はそんなにないし、もう早めから相談できるようになったし。でもなんだろう、非常勤の頃って、もう周りがベテラン勢で、その皆さんがいらっしゃるまでは、なんかもうできない自分しか感じられなくって、しんどかったし、でもベテラン勢がいなくなってぐらいからかな。逆になんかもう自分がこう年数的には、経験が長くなってきたから、 そんなん言ってたらダメだなっていうか。で、自分をなんかちょっと教える立場になって、自信がつき始めたっていう感じかもしれない。家に帰れば子育てしなきゃいけない、でも、仕事に来たら1人で仕事ができてみたいな。やっぱ、そういう感じがあったのかな。細谷さんはどうですか?根幹。

細谷 自分の根幹・・・はやっぱ好きなんだろうね、人との触れ合いが。私は居宅のケアマネを包括に来る前に8年間ぐらいやっていて、凄くやりがいは感じていたの。自分の利用者が看取りを迎えた時とか・・・今思えばACPの大切さを改めて感じながら仕事をしてたかな。で、包括をよろしくと法人の上の人に言われて・・・もちろん、あの介護になって渡しちゃうのは寂しいけど、 でも、元気な予防の方(要支援の方)って、また要介護の方と違って、ご本人の意思がはっきりしていることが多いので、要介護度が高い方のケアマネジャーって、どっちらかっていうと家族の要望が尊重されたケアプランに正直なりがちではあるんだけど、要支援の方はやっぱ天秤のように一生懸命バランス取りながらやんなきゃいけないっていうのがあるかな。だけど、1人じゃないっていうのをすごく感じてるから、包括が8人いるからできること。ここの8人がいて、できることだなって思っているので、 今はベストメンバーかなってすごく思ってる。要は周りの職員にも恵まれてよかったかな、人との集まりがすごく良かったかなっていう、 そこがこの仕事を続けられている根幹。小嶋さんはどう? 

小嶋 そうですね・・・社会福祉士の実習指導で学生に言ってたのは、こんなに沢山「ありがとう」と言われる仕事は、実はそんなにないんじゃないか・・・って言ってて。日頃の仕事の中で自分の担当の方だろうが、新規相談だろうがなんだろうが、基本的にありがとうを数多く言っていただけるので。あとは近隣の方からの通報と見守り。広報協力員や民生委員、自治会の方とかね。自分が相談対応したり、訪問したり、ちょっとだけアクションを起こすだけで、「あーこじまさんすぐ来てくれて、ありがとうございました!」とか、「こういうサービスを紹介してくれてありがとうございました!」っていうのが日々たくさんいただけて・・・感謝されたいわけじゃないんですけど、自分が仕事をただしているだけで、こんなにも人からありがとうって言ってもらえるのって、すごい有難い仕事なんだなっていうのが、まず根本的に自分を支えてくれている要素だと思います。我々が思ってる以上に、住民にとっては、例えば包括を市役所とかと比較して、わりと動きが早かったり、すぐに家に来てくれたり、柔軟な動きと対応がすごいわかりやすい形で評価されやすいんでしょうね。役所の人は普通はすぐ家に来たりしないでしょう、でも我々からしたらその方の生活環境や身体状態をこの目で確認したいし具体的な提案も立てやすいし。そこに対する感謝が単純に嬉しいなっていうありますね。あとは、社会福祉士的な話をすると、 やっぱりそのいわゆる困難ケースとか、 セルフネグレクト的な方たちをなんとか繋げなきゃいけないっていうのは、もうマイナスからのスタートなので、ちょっと何かプラスになることができただけで、だいぶそれがすごい・・・なんていうのかな。本人にとっても、自分たちにとっても、「やったぜ」感、達成感があったりするじゃないですか。ちょっとゴミを片付けることができたとか、お弁当のサービスを入れることができたとか、介護保険のとりあえず申請することができたとか、病院に行くことができたとか。そういうケースへの関わりはマイナスから全部スタートを切ってるから、 自分の仕事が自分の中で評価しやすい。「やったぜ」っていうのがそれが結構ある意味、楽しい部分でもあるんだろうなって思ったりもします。 

小嶋職員 地域とのネットワークづくりとPR活動に全力投球

地域への思い

小嶋 我々も7年もこの担当地域、特に染地の地域でずっと相談支援をしていて、この地域の高齢者の特徴、地域性、いいところ、課題、色々あると思うんですけど・・・特にその民生委員や広報協力員、自治会など地域との繋がりっていうのは、だいぶここ何年かで充実してきて、まあ、それは社協(社会福祉協議会)との連携から派生した力ももちろん大きいですけど。 

田中 他の地域と比べると・・・自分は昔渋谷区とかに住んでたんですけど、 やっぱり近所付き合いがほとんどなくて。今担当しているこのエリアはばらつきもあるけれど、ご近所同士での交流があったり、多摩川とか自然が豊かだから、なんかのどかな人が多いのかなっていう印象。僕の今住んでるとこに比べても、大変な生活をされている高齢者に対して心配してくれる方がたくさんいて、いいところだなと思っています。若い人が多く住むエリアもあるから、一概には言えないなと思うんですけど。でも、 先日布田地域を取り上げた地域ケア会議とかそうだし、地域の中で熱い人たちというか、 地域住民の中に地域のことを「このままじゃダメだな」「頑張っていかなくちゃ」っていう人たちがたくさんいてくれてるのが心強いなって。「あなたたちなんとかしてよ」っていう感じじゃなくて、当事者が何とかしなきゃという雰囲気はすごく感じてますね。 

細谷 私は居宅のケアマネだった時は他の地域によく行ってて、そこと比べると、問題はあると思うけど、この地域に住んでる人たちって「ここに住んでてよかったな」って、もう40年も50年も住んでてみたいな人が多いから、やっぱこの土地が好きなんだろうなっていうのを感じる。特に多摩川住宅の方たちって、あの当時「多摩川住宅に住める」っていうステータスがあって、天皇陛下がここを見に来たぐらい。で、他にはライオンズマンションを買った時には10日前から並んだのよ、とかの話を聞くことがあって。すごい愛着というかね。その古い歴史から考えて、この土地に住んでることを皆さん誇りに思ってるんだなと。ただ、それが40年、50年経って、自分たちが年老いてきてこの地でどう暮らすかっていうことを模索して、 若い方たちに繋いでかなきゃいけないっていう意識を布田の方たちも持ってたし・・・私たちがそこのパイプ役になっていたらいいのかなってすごく思うよね。行政との間に立って、資源を開発していくなり、 あの意見を言ってくなり、色んなことをしていくのが私たちかなって。その地域の人たちの力をある程度信じて、 引き延ばしてあげなきゃいけないって思うよね。なんでもやってあげればいいとかじゃないから、まだまだ底力がある地域なのかなっていう風にも思うので、 持っていきようなのかなって、それは感じてるかな。 

小嶋 いわゆる‘地方で’高齢者向けの色んな取組みをされている方の講演を聞いたことがあって、その時に「〇〇はすごく田舎で高齢化が進んでて、隣り同士の家がすごく離れてて、でも、やっぱり誰でも立ち寄れる・集まれる居場所を作って、みんなに来てもらって、ご飯食べたり、なんやかんやしてっていう繋がりによって孤立化等を防いでいるんです。東京とは違います」という話で。最後の一言にカチンときたんです、正直(笑)。「東京」みたいに大きく括られるのが非常に腹立たしい(笑)。先ほどの話の通り、 団地とか、戸建てとか、もちろんその特性っていうか、それは違いはあるけれども、それぞれができる地域の繋がりっていうのを、試行錯誤しながら、どこも頑張ってらっしゃるんですよね、もうずっと昔から。多摩川住宅なんて、もちろんそれが顕著だし。布田の戸建てが多いエリアも〇〇民生委員さんみたいな存在がいることで、たとえ戸建てであっても、地域の見守り体制ができつつあったり、〇〇地区協議会の会長みたいに、「高齢者問題、やってかなきゃ」みたいな人もこれからもっと出てくると思うんですよ。高齢者がどんどん増えていることはネガティブなことと捉えがちなんですけど、高齢化率が高くて同じような境遇の人がたくさんいるってことは、みんなで助け合っていこう、支え合っていこう、まさに自治会の〇〇さんたちがそうなんですけど、そういう強みもこの地域はやっぱあるんだろうな。それを考えた時に、その強みのやはり一部として、我々も存在し続けなきゃいけないんだろうなと思います。逆に言うと、うちがしっかりやらないと、直接この地域の高齢者問題は重症化していくんだろうなっていう。 この5年くらいでうちも種をたくさん蒔き、あるいは地域の方が蒔いた種に水をやり、地域住民とのネットワークが充実してきました。当然うちは信頼感を得れば得るほど、それは嬉しいことと同時に忙しくなっていくわけなんですけど・・・平成28年の頃と比べたら、同じ機関とは思えないほどの相談対応の数もそうですし、地域活動もそうですし、自分たちを褒めてあげたくもなります笑。 

たまには座談もいいものです

細谷 コロナが五類に変わって、インフルエンザ並みの感覚になっていくと、コロナ以前の生活に戻って交流が盛んになるといいね。やっぱり皆さん顔を合わせて、ふれあい給食とかもそうだし、一緒にやるイベントとか。われわれも広く包括を知ってもらうために多世代交流みたいな感じ、染地・杉森・布田それぞれ地域のお祭りも、コロナの前は1000人を超える人たちがやってたけど、徐々に復活できて、新しい形のコミュニティや新しい包括の関り方ができてきたらいいかなって思うんだよね。 あとはzoom、オンラインも普及したでしょ。そういうのも併用して、 私たちができることを地域に投げかけられていけたらいいかなって思う。本当にシャワーのように、色々とミニ講座とかね。小嶋さんやってくれてるけど、 これからはいろんな情報を取れるこその現地に足を運ばないと講座が聞けないとかじゃなくて、 どこかが中継してくれて、自宅でもそれが聞けるとか。親の介護を考える世代にもオンラインを活用すると情報が届けやすいってこともあるだろうし。会うことも大事なんだけど、併用してハイブリッドで行えたらいいね。皆さんとまた楽しいお祭りとかで交流したりとかもしたいなって思うし。 

道脇 やっぱり地域住民の方ともそうだし、支援機関や病院だったり、保健所だったり、お互いのことわかったり、顔が見える関係って、企画して一緒に作り上げたりっていうのが1番楽しいですね。包括としては相談件数も増えてるし、問題も複雑化してるし、私たち1人1人もやっぱり対応のスキルも上げていかないといけないんだろうなっていう風にも思ってて。 ちょっとなんか話変わるかもしれないけど、〇〇さんってゴミ屋敷の方で障害のある方は保健所から連絡があって、社協の方、保健所の方、民生委員の方、みんなで雨の中でゴミを片付ける共同作業して。なんかその中で「保健所、今どうなんですか」とか、なんかすごく大変だけど話すのが楽しいっていうかね、そういうお互いを知れて、1つのことを目的にしてっていうのがあると、それ以降の関係もまた別の相談とかでも、すごくぎゅっと距離が縮まるなと思ってて。日々の相談対応でも、できることなんだとは思うんだけど、もっともっと出ていかないといけないなとも思うし、 知らないといけないなっていう風に思ってるし、もっと楽しくもなるんだろうなって。自分たちのネットワークも広げるっていうか。 

細谷 昔は結構保健所は敷居が高い印象があったけど、包括に来てそうじゃないなっていうのを7年間やってきて感じていて。保健所側も包括とか社協とかと繋がって、情報共有していかなきゃいけないんだよっていう、その積極性がすごく見えてきた気がするんだよね。多職種の連携って硬い言葉であるけど、1人の利用者にとってみたらそれは1つのチームで、 いろんな職種の人がその方を支えていくチームが形成される時に、たまたまいいチームができたわけじゃない。それってすごく素敵なことだなと思っていて。ケアマネジャーもそうだけど、私たち職員にしてみたら相談に来るお客様は年間何百人もいるけど、お客様にしてみたら相談した人は小嶋さんただ1人だったり、田中さん唯1人であったりして、基本的には最初は「誰にしよう」って選べない。職員のカラーはあるけれど、その人が損しないように、ちゃんと支援しなくちゃいけないよね、公平性がなきゃいけないよねとは思っているけど。 すごくいい人と人との出会いが専門職をしながら感じられるのかなって思ってて、それすごく良いことだなって思うから、 そのためには自分たちも良い仕事してないと、向こうも認めてくれないなって思う。包括に頼んでもダメだなって思われたら声がかからないと思うの。でもありがたいことに声がかかることが増えているから、そこを大事にしていけたらいいかな。 

小嶋 出前講座とかで包括のことを知ってもらったり、それこそオンラインも併用して、できる限りいろんな方に届けたいのと同時に、今後はやはり直接地域に出ていきたいですね。例えば高齢者が集まるサロンとか、色んな所に顔を出して話をしてみると、結構皆さん「こんな場合はどうすればいいの」「特養って本当に入れないの」みたいな質問はたくさんあるんですよね。この間「もしバナゲーム」やったサロンで、終わった後に4、5人で一緒に色々お話してたんですけど、みんな結構包括のことは知ってるんだけど、 何がどう困ったらお願いすればいいの、とか、介護保険の本当の所、裏技教えてーとか(笑)、雑談だけど大事なことをざっくばらんに話したがってる印象でした。我々職員がサロンとかに「やっほー」って言って、 皆の質問に答えながら話をして、っていう距離感を取り戻したいですね。コロナ以前はよくサロン巡りとかしてたので。結構行くと嬉しいですね、「包括の職員さん」っていう、ハードルをだいぶ下げてもらえてみたいな。染地地域福祉センターも改修が終わって地域活動の拠点として復活するし。そして、地域で自治会とかボランティアとかで長年活躍されてきた方々が高齢となり、大分今度は介護受ける側になりつつあるのも感じています。そんなところも踏まえて、今年はちょくちょく顔を出して繋いでいけたらいいのかなって思うので、積極的にわれわれが出ていきましょう!


これからも地域包括支援センターときわぎ国領をどうぞ宜しくお願いいたします

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