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【歴史小説・中編】花、散りなばと(6)



この小説について

 この小説は、室町時代の奈良を舞台にしています。
 登場人物は、大乗院門跡の経覚きょうがく
 そしてそれを支える、衆徒の大名・古市胤仙ふるいちいんせん
 大乗院は、有名な興福寺の塔頭たっちゅうです。今でも奈良に庭園が残っているほど、大きな勢力を誇っていました。
 古市氏は、筒井順慶で有名な筒井氏の宿命のライバルです。
 しかし古市は、筒井と室町時代を通じて死闘を演じた挙げ句、ほぼ滅亡させられることになってしまいました。
 そのため、戦国時代の大和にもほとんど登場しません。
 しかし、胤仙とその息子の胤栄いんえい澄胤ちょういんはいずれも魅力的な人物です。
 本編の主人公の経覚と合わせて、もっと歴史好きに知られてもいい、知ってもらいたい、という気持ちでこの小説を書きました。
 一人でも多くの方の目に触れれば、これ以上の幸せはありません。
 どうぞよろしくお願いします。

本編(6)


 黒ぐろとした冬の夜空に、四間ほどの高さまで組み上げられた青竹の束が、悶えるような火影を揺らしている。
 それも一つや二つではない。あたかも炎の林だった。そのため周囲は夏の昼のように明るく、蒸し暑い。
 卒都婆堂そとばどうの催した三毬打さぎちょうである。惣領館の方から誘いがあり、夜は寒いので嫌だと答えたのだが、佳例なので輿を出すからとまで言って譲らなかった。それで仕方なく、の衣のまま乗ってきたのだ。
 一旦来てみれば人出は多く、それなりの興趣もあり、輿を下ろさせて歩きながら、あちこち見物に回っている。
 ばん。
 竹の節がおちこちで弾け飛び、脅しつけるような音を立てた。
 ばん。
 次はどこで起きるかわからぬので、その度に春藤丸はびくりと震え、身をすくませた。
「このようなものが怖いか」
 経覚は傍らへ笑みを向けた。春藤丸はもう二十五の歳になっているが、未だに出家せず、高く結い上げた童髪を保っている。
「火の粉が飛んでくるかもしれず、焼けた竹が倒れかかってくるかもしれませぬので」
「ふむ、用心深いことよの。藤寿丸はいかがじゃ」
 目を転じて、反対側を歩く童子の方へ声をかけた。下げ角髪みずらの後ろ頭が妙に長く、尖っている。どんよりと濁った目つきで振り返った。
「何がでございます」
「竹の爆ぜる音じゃ」
「ああ、これは竹が爆ぜているのですか」
 話も聞いていなかったのか、と経覚はあきれて口を結んだ。
 藤寿丸には、どことなく鈍いところがある。一つの言葉をかけてから返事を聞くまで、欠伸あくびを挟みたいほどの間が空く。目から鼻へ抜けるように利発であった兄とは大違いだ。
 が、ちょうど同じ年頃ではなかったか。かつて春藤丸が大病を患い、経覚自身による一心不乱の祈祷によって、かろうじてその命がつなぎ止められたのも。
 あれからしばらくは、父の胤仙も立願を守り、奈良や筒井への討ち入りを手控えていた。小覇王が暇を持て余したわけではなかろうが、後添えの室を迎えると、すぐに男子が生まれた。それが藤寿丸である。
 すると胤仙は、俄かに筒井方との合戦を再開した。我が子は何も春藤丸ばかりではないと思い当たり、忘れかけていた野心が、またぞろ頭をもたげてきたのかもしれない。経覚の諫言にもまるで耳を貸さず、自ら南都へ攻め入り、一乗院方の坊舎をことごとく焼き払うに至った。
 すると、やはり神慮仏罰はあらたかと言うべきか、胤仙はふいに傷寒の病を発し、たった一ヶ月ほどで亡くなってしまった。あれだけ強壮だった偉丈夫が、信じ難いほどあっけなかった。
 惣領は嫡男の春藤丸が継いだ。しかしまだ出家も果たしておらず、経覚が大将分として筒井とのあつかいをまとめた。そうして長きにわたった両院家の合戦は、ひとまず幕を下ろしたのである。
 それ以来、足かけ十年の和平が続いている。その間に春藤丸は、盟友の窪城氏の娘を娶っていた。
「竹を使ったのでは、やかましくてかないませぬが、火柱というのも一つの趣向ですな」
「ほう」
 並んで歩く春藤丸の背丈は、幼いころからほとんど伸びていない。経覚は五尺六寸でやや大柄な方だが、その肩ぐらいまでしかないのだ。
「今年の風流の出し物の一つとして、使えるかもしれませぬ」
「新春にあって、早くも秋口へ思いを馳せるか」
「それこそがわたくしのまつりごとにして、合戦でもありますれば」
 今や、毎年の盂蘭盆会の行事を全て差配しているのは、この春藤丸である。
 七月十五日からの数日間、この古市に異形の扮装が溢れ返ることは、胤仙の代と比べても倍している。国中じゅうから老若男女、あらゆる者たちが楽しみに寄り集まってくるのだ。
 春藤丸はまた、そういった人々の思いをすくい取るのにも長けていた。奈良で風流念仏の禁制が出されると、反対に古市では賑々しく踊り小屋を掛けた。そうして北口と南口を固く閉ざし、一人当たり五文ばかりの木戸銭を取って、大いに郷の蔵を潤したのである。
 それも確かに、治世の才の一つではあろう。だが一方で、未だに童形幼名を押し通し、僧綱戒名を受けて興福寺衆徒としての責を果たそうとはしていない。
 そうしたいとも、しなければならないとも、まるで思っていないようだ。だが経覚にはそれを咎めたり、正そうとすることさえできなかった。
 一度は露と消えかけた命を、おのれの手で引き戻したという思い入れが、直言さえもためらわせる。だがそうして出来上がっていくのは、いつまで経っても髪を剃り上げられない、不気味な青髭の風流童子ではないのか。
(わし自身が、春藤丸をそうさせてしまったというのか)
 小正月の夜に現れた炎の林は、地蔵堂の高縁をぼんやりと照らしている。闇から滲み出てきた巨大な金剛界曼荼羅まんだらのようにそれは見える。
 鋭く顎を上げた春藤丸の横顔、その張りつめた瞳は、永遠に終わらない風流の幻を見ているかのようだ。
 惣社の前を通り抜け、茶屋や湯屋の横手を回り込んでいった。
 長夜にもかかわらず、広場の人波は途絶えることがない。童子二人を連れたばかりの大柄な高僧の姿が、経覚と古市惣領その人だと気づかれないはずはあるまい。それでも人々は、ただそっと道を空け、軽く目礼を送るのみで行き過ぎてゆく。
「あっ」
 ふと藤寿丸が、道端の小石にでもつまずいたのか、暗がりの底へ姿を消した。
 春藤丸もすぐに立ち止まり、膝を折って手探りしながら、弟の平ぐけ帯をつかんで助け起こした。
「藤寿、気をつけなければいかんぞ」
「はい。申し訳ございません、兄上」
「お前は生来、おっとりし過ぎているところがあるのでな。怪我をしたことにも気がついていなかった、というのではあとが困るぞ」
 一回り以上も年の離れた兄弟である。弟が物心ついた時には、父胤仙の姿はもはやこの世になかった。だからこの童形の兄こそが、藤寿丸にとっては父親代わりなのだ。
 とは言え、背丈ばかりはもう変わらないほどになっている。病弱だった母に似た兄に比べ、弟は早くも父と同じ骨相を示し始めていた。
「そうじゃ。発心院ほっしいんでも、叔父へ迷惑をかけぬようにせねばならぬのだぞ」
 経覚は我知らず、険のある口調になっていると思った。
 藤寿丸は、十四歳になる二年後を目途として出家することが、既に決まっている。胤仙の弟の一人が入室している子院を頼ってのことだった。
 春藤丸がいる限り、藤寿丸が古市の惣領家を継ぐことはない。次男として当然の成り行きだった。だがこのままでは、幼い弟が出家しているのに、年嵩の兄が未だに前髪惣領のままということになってしまう。
 ばん。ばん。
 遠くでまた竹の節が弾け飛んだ。今度は二つ連なっている。春藤丸は細い肩をすくめ、癖のようにそちらを振り返ってしまう。
「馬を脅かすのに、使えるかもしれませんね」
 藤寿丸は、目玉も動かさずに奇怪なことを言った。経覚は愛弟子と炎に照らされた顔を見合わせ、困り顔の微笑を浮かべ合った。
                           ~(7)へ続く

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