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自己紹介

この記事は、プロフィールと仕事募集用に書いたものです。

 初めまして、僕の名前はとまよこ りゃんシーです。
 このページでは、僕の経歴を簡単にご紹介します。よろしければご覧ください。

両親について

 父は1952年生まれで、少し自閉症を持って生まれました。こだわりが強い、ルーティンにこだわる、ディスレクシア等の典型的症状がありましたが機械診断エンジニアとして反復作業の多い職業に就いたおかげで何とか仕事ができていましたが、社内での軋轢はあったようです。一度結婚して子供も生まれましたが奥さんに逃げられ子供の連絡も分からない典型的DQN。音楽好きだった父は次第に当時大流行していた「シャンソニエ」に入り浸ります。今で言うとアイドルのライブみたいになるのかな。年齢は45を超え、それを見かねた歌手の一人が自分の同僚を紹介。それが母でした。その人は二人は似たところがあるな~と思ったんでしょうね。余計なことを…。母には境界知能があり、歌と料理以外何もできないような人です。だが40代が近づき更年期症状が現れ、結婚しなければ死ぬと焦っていました。そして父に懇願し、婚姻は成立したのです。そしてめでたく発達障害夫婦が誕生し、1992年に僕が生まれました。

当然、発達障害が生まれた

 父や父方の祖父が心臓病だったことから心臓病については心配していたそうなのですが、発達遅滞についてはお互い当事者なこともありあまり問題にしなかったようです。僕が育つ間にバブルは完全に崩壊し、シャンソニエは次々に閉業、デフレと呼ばれる時代が始まります。その事にいまいち気付いていない両親は、遅くできた子供に大はしゃぎ。今までシャンソニエに使っていたお金をつぎ込んで猫かわいがりしました。けれど、所詮発達障害。ちゃんとした教育はできないのが関の山です。

発達障害診断

 違和感は幼稚園の頃からありました。しかしバブル期の感覚を拭えない両親はまともに取り合ってくれません。自分がおかしいと気付いてからはなるべく目立たないように気を付けました。友達もなるべく作らないようにしました。しかし強い自他境界障害があるために、多くの人に誤解を与えました。その後、僕は大学進学とともに家を出ることを決意しました。しかし生きづらさは更に悪化し、ついに発達障害と診断されることになりました。元々漫画家を目指していましたが、発達障害と診断されたことをきっかけに就職を目指すことにしました。僕だって本当は社会参加したかったのです。しかし、長年抱え込んだストレスや一人暮らしの栄養の偏りで過敏性腸症候群、SIFO、リーキーガット症候群、副腎疲労症候群、機能性低血糖症、睡眠障害、自律神経失調症、潰瘍性大腸炎になり、10年間の療養を余儀なくされました。「感情ローテーションワーキング法」を編み出すなどして懸命な療養の結果、短時間であれば活動できる体調に戻りました。

 こんな僕ですが、何か仕事を与えてもいいという方はこちらまでご連絡いただければ嬉しいです。遠方へ出向くのは難しいですが、リモートであれば可能です。このアカウントではいろいろなことに挑戦していますので、良かったら見ていってください。ちなみに見出し画像の背景はフリー素材です。長い自分史は以下に置いています。

 それでは、とまよこ りゃんシーでした。

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