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年夜飯とおせち①

師走ですね。先週の春を思わせる暖かな雨風からうってかわって、12月に入った途端に冷え込み、ぶわっと年末が目前に感じられるようになりました。11月初めから、街を歩けば『おせち承ります』の張り紙を見かけるようになり、12月にもなると『売り切れました』と、そのチラシの上にステッカーが貼り足されていくのを目にして、胃の下あたりがうずうずそわそわ。どうせ作りも、買いもしないのだから、あたふたする必要なんてないのにです。

さて、『おせち』をどうせ作りも買いもしないと書いたのだけれど、それは家族が好んで食べないから。そして、うちの場合は『おせち』が元々誰の習慣でもないから。それでも今一抹いちまつの焦りを覚えるのは、30数年間『正月=おせち』だとメディアによってすりこまれているからなのです。それで自分が人の親になったその年に、正しく行事ごとをせねばと、初めておせちを予約して実家に持っていってみたのです。結局自分含め、みなお愛想程度につつくだけで、お花のように華やかなテーブル飾りになってしまいました。いつもは、くだけて、敬体けいたいで文章なんて滅多に書かないのに、急に『ですます調』になるのも経験したことがない分、日本の『お正月』を厳かに思っているからなのかもしれません。

やめたやめた。自分らしくいこう。

我が家のお正月はこのところ至ってシンプル。大晦日に大掃除らしきことをして、夕方近所のお店で食事をすませ、みかんでも剥きながら紅白をBGMにカードゲームやボードゲームをする。それだけ。元日は神社に初詣に出向き、私の両親が旅行で不在でなければ子供たちを連れて遊びに行く。食事に至っては元日でも営業しているチェーン店での外食だったり、家でも冷凍餃子なんかで簡単にすます。これは、アメリカ人の夫にとって年末のイベントとしてはクリスマスが再絶頂であり、新年はオマケのような感覚だから。

しかしこれ、私には正直とってもとっても物足りない。日本では元日が主役で、大晦日は年越し蕎麦でびを重んじて、盛大に祝う習慣はないようだけれど、中華圏では春節(旧正月)前夜には『年夜飯ニェンイェファン』といって家族大勢が集まってご馳走の大盤振る舞いをする習慣がある。子供の頃から、日本で暮らす私たち一家は仕事も学校もあるので、日本のカレンダーに沿って、春節ではなくお正月を祝ってきたのだけれど、祝い方は中華式であった。家族親戚は集められないが、両親の同郷仲間を大晦日にうんと集めてご馳走を振る舞うのである。故郷では春節当日もそれに続く数日間も、入れ替わりに親戚がおとずれたり、たずねたりとご馳走は続くのだが、前夜祭がやはり最上位に盛り上がるイベントなのは間違いないだろう。

ところで上海の男は料理をする。少なくとも両親世代まではそうだと思う。私の親戚にもそんな男たちが多く、彼らは早朝から市場に買い出しへ出かけ、厳しい目で食材を選び、仕込みをし、夕方キッチンに立つ。そして顔を合わせれば料理自慢、どこどこのどの食材が良い、この間はこんなものを作って食べた、などとこだわりを語り合っていた。私の父も、当時はエンジニアとして毎日深夜まで働き、朝も早く、ほとんど顔を合わせることもなかったが、正月が近づくにつれて料理の才能を解き放っていった。数週間前から週末には上野のアメ横に通い、近くのスーパーでは手に入らない食材を買い込み、大晦日当日は大掃除をする母と私を横目に、朝から一人キッチンに立って、何品も何品もご馳走を作ってはテーブルに並べていく。

メニュウとしては、おせちと理屈はかわらないだろう。そのままにしていても数日は食べ続けることができる常備菜で、調理の際いかに形を保ってこしらえ、美しく皿に並べられるかが重要であった。中華料理店では冷盆レンペンと呼ばれる、前菜にあたる料理が種々様々卓に並べられてゆくのだけれど、幼い頃、父がきれいに盛り付けた大皿をみては、この人は天才なのだと本気で思っていた。普段はキッチンに立つ時間もない、彼の料理の腕前にはそれほど驚くべきものがあったのだ。私は食べることにしか興味をもっていなさすぎて、年夜飯ニェンイェファンのメニュウにおせちのような縁起物としての含意がんいがあるかについてはあまり蘊蓄うんちくできないが、もちろん縁起をかけたものもあったはずである。そして、どこでもそうだと思うけれど、年夜飯ニェンイェファンも出身地によってそれぞれ習慣が違う。私は上海の年夜飯ニェンイェファンが一番好きではあるが、北方の水餃子作りも大好きだ。中国東北出身の人は大晦日に餃子を包む。家族そろってみんなで仲良く包む。もちろん皮から手作りだ。それで食事の締めとしてみんなで作った水餃子を茹でて食べるのだ。両親の友人には北方の人もいて、彼女を年夜飯ニェンイェファンに招待するようになってから、餃子作りも我が家の習慣として定着していった。

元々はなかったけれど、日本に永く住むうちに加わった大晦日のお祝いメニュウに、お刺身としゃぶしゃぶがある。冷菜の種類を減らして、代わりにお刺身が投入され、最初の頃は骨付き肉と金華ハムで上湯シャンタンをとって濃厚なスープを作って飲んでいたのだけれど、次第にそれがお鍋に置き換わった。お酒を飲み飲み、前菜をあらかた食べた後、具材に牛豚のしゃぶしゃぶ肉、カニ、鱈、牡蠣などの海鮮、野菜各種など豪華なラインナップでしゃぶしゃぶをする方が楽でもあり、場が盛り上がって楽しいのだ。その後〆に水餃子を食べ、デザートへ移る。これが我が家で開催されていた年夜飯ニェンイェファンのあらましである。今は両親も歳をとり、それほどの大盤振る舞いをする気力が抜けたのか、私たちが上海に移住してからは、正月は暖かいところへの旅行と決め込んでいる。そして残念なことに、それは私たちが帰国してからも続いている。あの年夜飯ニェンイェファンをまた食べるためには、自分でこしらえなくてはいけないのだ。

それでこの文章を書いているうちに、恋しくなり、今年は作ってみようかなと、あのメニュウの作り方を調べ出した。次回は年夜飯ニェンイェファンメニュウそれぞれの紹介や、レシピと作り方を記事にしたいと思っている。そしてそれを書いているうちに、私が今年年夜飯ニェンイェファンをリヴァイブさせることができるか、はっきりするであろう。



つづく


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