Loneliness

2人目の子供が生まれた頃から何かが変だと思っていた夫のこと。結婚28年後ぐらいに夫がA…

Loneliness

2人目の子供が生まれた頃から何かが変だと思っていた夫のこと。結婚28年後ぐらいに夫がASDではないかと気づいた。長きに渡る精神的葛藤。アスペルガーについて、これまで学び理解しようと努めてきたこと。夫婦・家族の関係性の中で経験したこと、日々感じることなどをつれづれに。

最近の記事

具体的に。。と言われても

ASDの人は他人の心を読むのが苦手なので、 「できるだけ具体的に話すのがいい」 と言うのはコミュニケーションを取る上で、 よく耳にする対策のひとつである。 もちろん、日常生活で具体的な予定を聞いたり話したり、 買い物の内容ややって欲しいことなどを具体的に依頼することは 比較的たやすい。 でも、やっぱり男と女として結婚した以上、 その時々の気持ちや感情を 「今、言ったのはね、こう言う意味なの」と説明するのは 切なすぎると言うか、悲しすぎると言うか。。。 そんなことまで言葉に

    • IQ とEQ

      IQと言うのはよく聞くけど、 EQって知っていますか? IQ = Inteligence Quotient 知能指数 EQ = Emotional Quotient 心の知能指数/感情知能と呼ばれているようです。 IQが20以上離れていると会話が成立しにくいと聞いたことがあります。 EQも同じで離れすぎていると感情の交流ができないのだろうと思います。 自分や他人になぜそういう感情が生じ、どう変化するのかを理解する 「感情の理解能力」 これが難しいとパートナーは孤独を

      • アスペルガーにとってのSEX

        相手の表情や非言語表現を読み取ることが苦手なアスペルガーにとって 男女の性が心の通い合った『愛情表現』だと言うことを理解するのは難しい。 テニスや卓球のように2人のプレーヤーが揃ったので、 さあ、始めようと!と言う様なシンプルなものではない。 アスペルガーにとっては性的な関係は愛情の『コミュニケーション』ではなく 単なる『行為』に他ならないのかも知れない。 愛し合う男女が親密な雰囲気になり、 目を見つめ合ったり、言語、非言語のコミュニケーションを取りながら 性的興奮を深め

        • 本当はそうじゃない

          大学生になった娘と電話で話していて、『え?』っと思ったことがあった。 「うちの家族はみんな自分のスケジールでそれぞれ行動するから。 例えば、お父さんは朝早起きだから夜早く寝る。」 いつの間にか娘はそう思うことで、 あの時のことを自分の中で納得させようとしているんだなと思った。 うちはそういう家庭だったから。。。と思うことで。 家庭環境と言うのは怖いなぁと思った。 そう言う家庭環境で育つとそれが普通だと思ってしまう。 ごめんね。 本当はそうじゃないよ。 それが当たり

        具体的に。。と言われても

          全てがコミニュケーションであると言う事

          今日は自分の中ですごく大きな発見があったので、 覚書のため記しておきたいと思う。 今まで寂しいと思っていた感情は、夫婦間の「コミュニケーションの欠如」により、 心が満たされていなかったのだということ。 なんど言っても言い方を変えて言ってみても、 夫にはできないことがいくつかあると思っていたが、 実はそれらの本質は全てコミニケーションだったと言うこと。 何度言っても何故かできないし、理解してもらえない。 もう、しょうがないなぁ、それがASDか。。。と諦めていた。 しかし

          全てがコミニュケーションであると言う事

          私が愛したひと、永遠にさようなら

          (この記事は数か月前に書いたものを編集して、公開しました) これまでの長い長い心の葛藤。 これまでの自分の心にとりあえず、終止符が打てた。 それについては素直によかったと思える。 自分で自分の心に終止符が打てる日が来るなんて、 少し前までの私には到底想像もできなかった。 『あの時(結婚した時)、私が愛した人はもう、ここにはいない』 『今、ここにいるひとは全くの別人』 そう思うことで、現在の自分の気持ちを納得させようとした。 今となっては夫にも長い間、嫌な思いをさ

          私が愛したひと、永遠にさようなら

          相手の「思い」を読み取る力

          人は人とコミュニケーションをとるとき、 相手に「言語」で伝える場合と「行動」で伝える場合がある 業務連絡的なコミュニケーションを除外した場合、 発信した側の言語や行動の裏には その人が本来伝えたい「思い」というものがある それを受けた側は発信者の隠された「思い」を汲み取り、 それに応えるべく、「言語」や「行動」と言うツールを使って ボールを投げ返すということを 私たちは無意識に日常的に行っている 親しい友達や家族、恋人同士や夫婦など その関係が密になればなるほど、 そう

          相手の「思い」を読み取る力

          感情を理解する能力は5歳児?

          ほら、そんなことしたらママは悲しいでしょ? ○○くんはママが悲しくなってもいいの? いやだよね? じゃあ、もうしないでね。 うん、わかったよ。 もう、しない。 と、言う会話をしたかと思ったら、 また、同じようなことをする。 これが5歳児。 諦めよう。 もし、あなたがまだ、夫に自分の気持ちをわかってもらいたいとか、 なぜ、わかってくれないのと心を傷めているなら 本当に残念ながら、アスペルガーの夫はこの5歳児と同じレベルです。 もし、感情が成熟した大人の男女

          感情を理解する能力は5歳児?

          本来、分かり合えないもの

          夫婦だって、ひとりの人間とひとりの人間の複合体 全く異なる生き物である 育って来た家庭環境、親との距離、経験値、 それまでの人間関係などが今のその人を作っている。 違っていて当たり前、分かり合えなくて当たり前。 分かり合おうとしないこと、 わかって欲しいと思わないこと、 ゆるーい関係で生きていければそれでいいと思うようにすること そうすることで、ストレスを溜めずに生きていける。

          本来、分かり合えないもの

          愛されることを諦める

          アスペルガーの夫は愛とは何かをわかっていないようだ。 もちろん愛の定義なんて、アスピーでなくてもひとそれぞれに違うけれども、 もし、あなたが夫の愛情に飢えていて、 夫からもっとこう言う風に愛されたいと思っているなら、 その「愛されたい」と言う感情を手放した方がいい。 あなたの求めている愛情を与えてくれない夫なら、 そのひとはあなたを愛する能力がないと言うこと。 愛する能力のない夫から愛情を求めても辛いだけ。 ここは気持ちを切り替えて、愛されたいと言う気持ちを捨てること

          愛されることを諦める

          わかって欲しいは相手を矯正すること

          「ただ、私の気持ちをわかって欲しいだけ」と ずっと夫に言い続けてきた。 共通言語である日本語で話し合っているんだから、 わかり合えないはずがないと思っていた。 丁寧に説明すれば、 必ず相手は「理解」してくれると信じていた。 子供の頃から親に対してもそうやって育って来たし、 勉強だって、何だって丁寧に説明してもらったら わかったじゃないか。 それと同じことが起こると当たり前に思っていた。 私は細かく、自分の気持ちや感情を説明し続けた。 わかってもらえるように 時間をかけ

          わかって欲しいは相手を矯正すること

          なんでしてくれないの?

          人の気持ちがわからない夫にイラッとして、 なんでxxxxxしてくれないの? とか、 なんでxxxxxxなんかするの? と言う言葉をずいぶん発してきた。 この「なんで?」と言う言葉は ついつい怒りに任せて、感情のまま出てくるのだが これはアスペルガーの人にとっては非常に有効性がないものだと最近思う。 有効性がないどころか、夫の場合は逆上してしまう。 自分が責められていると、異常なほど反応してしまうからである。 例えば、想像してみて欲しい。 幼稚園児に「どうしてこんなこと

          なんでしてくれないの?

          傷つくのが怖い

          遠方に住んでいる娘からグループ電話がかかって来た。 既に夫と娘が話している様だった。 私はたまたま、車の運転中だったと言うことを理由に、参加しなかったが 内心では夫が(電話口に)いるからその電話に参加したくなかった。 これを機会にこれまでして来なかった自分の気持ちに もう一歩、踏み込んでみようと、自分に問いかけてみた。 『なぜ?夫が(電話口に)いるとイヤだと思うのか?』 この間は「込み入った内容の話がある時は、メッセージではなくて、 電話にしてね」と夫に頼んだばかりなのに。

          傷つくのが怖い

          距離の取り方がわからない人

          ASDや発達障害の人はよく距離の取り方がわからなくて やたら親しく、馴れ馴れしくしてくる、と言うことを挙げられることが多いと思う。 実はうちの夫は全く逆で、非常に距離があり、遠くにいる感じがして、 どちらかと言うとビジネスライクなような言動や関係性の希薄さを感じることが多々ある。 前者後者の両方に言える事はどうすれば相手と適切な距離を保つための言動をすればいいのかわからないのではないか、と言うことである。 人にはそれぞれ生きていく上で、関わっているコミュニティーや対人関

          距離の取り方がわからない人

          私の思考;過去から現在、そして未来へ

          どう考えたらこれから残りの人生を夫と一緒に暮らして行けるのだろうか、 ひとが生きていく上で最も大切なことのひとつ 「相手の気持ちに寄り添う」「共感する」ことができない夫と これから先、一緒にいて、果たして私は幸せを感じることができるのだろうか。。。 などと随分、悩んだ。 ようやくたどり着いたのが下記のように考える思考である。 【過去の自分の中の夫】 私の中の過去の夫は定型発達だった。 ●普通に私の気持ちを理解してくれて当然だと思っていた   ↓ ●それができないのは私の

          私の思考;過去から現在、そして未来へ

          謝らない、謝れない

          夫の特徴の1つに謝らないというのがある いつも謝らないわけではなく、 自分に非があると自覚した場合は謝れる。 逆説的に言うとそのプロセスに自分自身の非がないと思えば 謝らないと言うより謝れない、 要するに謝ると言う発想がない。 夫の頑なに謝れない態度や行動を見ていて、 謝ると言う行為は自分が主ではなくて、 相手が主なんだと考えさせられる。 当たり前のことだが、私たちは日常生活に於いて、 様々な形で人と関わっている。 例えば、人と待ち合わせをしていたとしよう。 自分は

          謝らない、謝れない