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違和感のあるカラダ

そう言えば、山瀬まみさんも「幼少の頃の記憶が鮮明」と昔何かの番組で言ってて「同じ♡♡♡」と嬉しかったのを記憶してる。

幼少期の記憶は、特に写真を見た時、鮮明に情景や雰囲気、印象的だった感情と感覚と共に思い出す。
親戚で集まった時の写真を見れば、写真に写ってない人や撮影者、会話の内容、その前後の出来事まで記憶してて、大人にビックリされる事もよくあった。
 
幼少期のワタシの中の感覚では、自分の身体がコドモの容姿だという事自体に違和感があって、常に劣等感と羞恥心があった。「どうしてワタシは子どもなんだろう」実際に中学位までは、ずっと悩みの種で。自分としては対等に感じてる大人が、何故当然の様に子どもの自分に上から物を言うのかが理解出来ず、なんで尊重されないのだろうと日々悩んでた。

かと言ってワタシは落ち着いた冷静沈着なタイプではない。子ども時代も今現在も幼稚で落ち着きのない人種。団体行動とか責任は大の不得意。自称、社会不適合者だし組織に雇用されるなんて疲れる、とゆるく自営でセラピストをしてる。

子どもを演じる子ども

ワタシのように意識と肉体に違和感を持った子どもたち、実は世の中多いと思う。
ちなみにワタシは3人の息子が居るけど、ワタシは正直言って母性が弱い、息子達が幼い頃はその件にも悩んだけど、息子達と言うより「弟達」に近い感覚。

大人の精神が既に在る子どもにとっては、団体行動を強いられる義務教育は確かに地獄で。精神なんて見えないのに、肉体が子どもだと当然子どもとして扱われる。大人は理不尽に権力を振りかざして威張る。偉そうな大人が一番信用できない。特に未就学児から園児、園児から児童と上がるにつれ、社会と大人への不信感は年々確実に増してった。

ワタシの精神が肉体にやっと追いついたと感じたのは10代後半だけど、それまでのワタシの人生は基本、陰気で臆病で、自分の存在自体に自信が無かった。そして、みんなも自分と大概同じだろうと信じてるワタシは、友だちの様にイキイキと自分を受け容れて子どもの自分を楽しむ方法がわからなくて不安と焦燥感と疎外感で常に孤独だった。そんな気持ちを表現する術も、そのモヤモヤを発散する術もなく、子ども時代を送った過去は、子どもを常に演じてた感覚。物心ついた頃から「求められてる振る舞いをすべき?それとも本心を語るべき?」と常に思考をめぐらして正解をさがしては空気を読む必要があった。

生きてるだけで毎日社会に迎合しなくてはないし、自分に嘘をつき続ける生活で、毎日グッタリ。我ながら全然つまらない可愛くない冷めた子どもだったと思うけど、傍から見たら陰気で複雑で繊細な心を持った子どもには到底見えない「落ち着きのない子」だったから、ホント生きづらかったよなーと改めて。まあADHDの類だろうけど、要するに大人の顔色とか雰囲気に気を配る神経が発達し過ぎてるせいで、現実的な注意力は散漫になるせいだよね。

あー大人になれて本当に嬉しい♡
相手の反応を気にする事なく思った事を言えて、思い通りの表情をして、思った振る舞いが出来るって、本当に幸せ♡

変わる変わる意識と常識


カラダと精神が見合ってなくて、理解されずにバグを起こす子ども。近年名付けられた様々な「障害」という枠。いわゆる「普通」の範囲じゃないと薬漬けにされる子ども。人権を尊重されずに苦しい子ども。そんな子どもだらけだけど、その個性も理解される時代に急速に変化してて、ホント世界が柔軟になってるのを感じてる。

インディゴチルドレンとかクリスタルとかスターとか呼ばれる様な昔のワタシのような子ども達が、どんどん世界の変化を加速させてくれてるのかも知れないな。

大丈夫。世界はほんと上手くできてる。今生きづらい子どもたちも、すべてが敵に見えるけど、世界はホントは敵ばかりじゃない。

最近ジェンダーが社会で認められつつあるけど。性別じゃなく精神年齢だって同じだと思う。「大人に見えて、内面は凄く幼い」って人も、その逆ももちろん存在してて。精神年齢も実際の年齢も目安でしか無いけど、その数字すら目安にならない位、今後は今迄の常識では考えられないくらい、ぜんぶが様変わりしてくだろうから、楽しみだなあ。

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