見出し画像

本を読むことの効能

最近「読書セラピー」について考えることがあります。
前回の記事にも書きましたが、長時間SNSやネットを見ていると目が疲れて頭痛がしてくるだけでなく、脳に入る情報量が過剰のために知らず知らずのうちに脳疲労を起こしている不安があるからです。実際日常の場面でうっかりや物忘れが頻発しているのも、元々の特性や加齢だけでなく情報過多による脳疲労が原因だと感じています。またSNSや掲示板の攻撃的な書き込みにいちいち反応しては落ち込んだり動揺したりで精神衛生上にも良くないという実感がありました。

同じ「文字」を読むなら心身を消耗させるのでなく心の糧や癒しになるような読み方をしたいと切実に感じるようになりました。
となると、私の場合はやはり小さい頃から慣れ親しんだ「本を読むこと」、しかも「紙の本」を読むことが最適解となります。

読むこと自体がストレス解消になる

今年に入ってから毎週のように地元や隣市の図書館に通い、日中館内で本を読んで過ごしたり貸出上限まで本を借りて家や電車の中で読むようになりました。聴覚過敏持ちとしては、週末は賑やかな観光地に行くより静かな図書館で過ごしたほうがよほどリフレッシュするのではないかと思うことさえあります。考え方がグルグルしてしんどいときに図書館に行って興味の赴くままに本を読んでいると自分の求める言葉に出会ってスッキリするという体験をして「これってカウンセリングよりよほど効果的なのでは?」と思うようになりました。

最近「心と体がラクになる読書セラピー」(寺田 真理子 著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本を読んで、私がぼんやりと感じていたことがわかりやすく言葉で説明されていて、「やはり読むだけでストレス解消されるということってあるんだ」と納得したものです。

セラピーに関する本を読むだけでなく、「本を読むこと」自体がセラピーになるというのがポイントです。本の内容だけでなく文体や漢字や仮名のバランスなどからも心地よさを感じるからかもしれません。
この本によると海外のいくつかの国では読書セラピストが資格職になっており、クライアントに合った本を「処方」しているのだそうです。向精神薬より安価でしかも副作用も身体依存性もないので、日本でももっと広く知られるといいなと思います。

うつ病とパニック障害で休職を余儀なくされた時、何人かのカウンセラーの方に相談をしましたが、その度に「話してよかった」と思うどころか「話さなければよかった」と後悔したものです。カウンセラーの方のスキルの問題ではなく、どうやら私の性格や特性から「アドバイスを受ける」より「自ら探しだして解決法を見つける」ほうが私には向いてるのかもしれません。
結局はやはり実家近くの市立図書館や県立図書館で借りた本やAmazonで買った本を読んで休職期間を過ごし一進一退を繰り返しながら徐々に快方に向かった記憶があります。

読書を通して社会性を学ぶ

私にとって、読書というのは人生に欠かせないものです。
一般的にASD当事者は読書好きの人が多いと思います。子供時代は大人数で遊んでも相手の話が聞き取れなかったり、運動音痴でバカにされたり、聴覚過敏で極端に不安になってパニックを起こしたり、他の子たちとうまく関われず癇癪を起して仲間外れにされたりすることが往々にしてあるので、自然と家で静かに一人で本を読むほうを選びたくなるのではないでしょうか。
言語優位あるいは視覚優位という特性も「活字からの刺激」を心地よく感じるのに寄与していると思います。

実は、ASD児であった私にとって本を読むことは社会性を学ぶことにも役に立っていたと感じています。よく親や教師は「色んな友達と遊ばないと社会性が身につかない」と言って家や教室で本ばかり読む子供を心配する場面がありますが、ASD児にとって本を読むことは社会性を学ぶ上でこれだけのメリットがあるのです。
・登場人物の心理や動機、背景や物事の状況が全て文章で表されているので人間関係を理解しやすい。
・ASDが陥りやすい「自分vs自分以外」という思考パターンから離れ、より客観的、俯瞰的な視点を持つことができる。
・感情や気持ちを表現するための語彙を増やすことができる。
・登場人物に共感(感情移入)することでストレスや不安を解消できる。
・読書量をこなすことでASDが人付き合いに必要な会話のパターン学習を効率的に行うことができる。

私は、ASDが読書を通して社会性を身につけるプロセスはちょうど英語のような第二言語を学ぶときに効率よく学ぶための「文法」に似ていると感じています。
一度も泳いだことのない子供をいきなり荒海に放り込んで自力で泳げるようにするというと「無謀だな」と思う人は多いと思うのですが、言葉をろくろく話せない子供をいきなり複雑な人間関係に放り込んでコミュ力をつけさせることは割と普通に行われているように思います。
多くの子供はそのような状況でも非言語理解や社会的想像力によってコミュニケーションを学ぶことができると思いますが、かつての私のようなASD児にはハードルの高いことだと思います。
やはりいきなり実際の人間関係の海に投げ込むより、間に児童書や小説をたくさん読んで「手足の動かし方」を理解するプロセスがあると安心なのではないでしょうか。
周りの方たちには「どうかASDっ子から本を取り上げないで」と願わずにはいられません。

SNSとは何が違うのか

「同じ活字なのに本とSNSは何が違うの?」と思う方もいるかもしれません。実は私も少し前までそう思っていました。
しかしよく注意してみると、TwitterのTLを眺めている時と本を読んでいる時の脳の動きは明らかに違います。TLは「眺めている」のであって「読んではいない」からです。語彙も文章も平易で文字を追っているだけで内容がわかってしまうので、TLを見ている間は殆ど頭を使っていないのが自分でもわかります。かつて「テレビを見ている時間は(頭を使ってないので)寝ているのと同じだ」と言われていた時代がありましたが、今はSNSやYouTubeが脳の退化を促進してしまっているかもしれません。

「本もただ読んでいるだけだから受け身では?能動的な働きかけはないよね?」と思われるかもしれませんが、読書をしている時の脳は意外に活動しているものです。
・言葉の意味から内容を理解する。
・文章から登場人物の人となりや物語の状況を想像する。
・「自分はこう思う」と読みながら本(著者)と対話している。
・長時間集中している。
たまに本に線を引いたり書き込みをする人がいますが、個人的に気になった文章を抽出したりそれらについて自分の意見を持つということですから立派に能動的な活動と言えるでしょう。

SNSは楽しいですし役にも立ちますが、依存性が高くついつい長時間見入ってしまいます。「SNS疲れ」「スマホ疲れ」を感じるようになったらしばらくオンライン断ちしてその間本を一冊読み通すなどするのがお勧めです。できれば電子書籍よりも紙の本を手に取って、紙の質感や装丁なども含めてトータルで「本」を楽しむことでさらなる癒しの効果が得られるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?