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泉聲悠韻
2024年4月26日 07:55
前回は、『史記』と『資治通鑑』についてお話ししました。今回は、『十八史略』と『蒙求』です。『十八史略』『十八史略』の構成『十八史略』の著者曾先之は、字は孟参、宋末元初の人です。『十八史略』は、初学者向けの歴史教材です。太古の神話伝説の時代から南宋王朝滅亡までのことを記しています。『史記』以下の「正史」は、人物の伝記を中心に構成する「紀伝体」で書かれています。紀伝体の史書は、歴
2024年4月19日 08:53
これから2回に分けて、中国の歴史書についてお話しします。今回は『史記』と『資治通鑑』、次回は『十八史略』と『蒙求』です。司馬遷漢の司馬遷は、字は子長、景帝の中元5年(前145)、太史令(天文・暦法を司る史官の長)の司馬談の子として生まれました。元封元年(前110)、武帝は、泰山にて「封禅の儀」を挙行しました。封禅の儀は、天と地を祭り、地上の帝王として世を治めていくことを天帝に報告する
2024年4月7日 08:53
孟子孔子の没後100 年ほど経った戦国時代、魯の隣国である鄒の国に孟子が生まれました。孟子は、名は軻、孔子の儒家思想を継承発展させました。孔子に次ぐ聖人という意味で「亜聖」と呼ばれています。また、孔子と並列して、儒家の教えを「孔孟の教え」とも言います。青年孟子は、多くの学者と切磋琢磨して学問を身につけました。当時、斉の威王・宣王は、都の臨淄(山東省淄博)の稷門(西門)の外に集団居住地を
2024年3月29日 15:01
諸子百家春秋戦国時代、周王朝はしだいに弱体化し、大小の諸侯の国が乱立して覇を競うようになります。中でも、秦・楚・燕・斉・韓・趙・魏が「戦国の七雄」と呼ばれ、互いにしのぎを削っていました。各国は国力強化を図りますが、そうした中、自説を掲げて諸国間を遊説して回る思想家が輩出しました。彼らの主張は、富国強兵の実用的な方策のみならず、理想の政治のあり方、人としての生き方、宇宙の原理など、あり
2024年3月22日 15:42
960年、趙匡胤が宋王朝を建国します。都は、汴京(今の開封)に置かれました。1126年、女真族の金の侵攻に遭い、宋の王室は汴京を捨てて江南に逃れ、1138年、臨安(今の杭州)を都に定めます。1279年、蒙古族の元によって滅ぼされるまで、北宋と南宋を併せて宋王朝はおよそ300年あまり続きました。科挙出身者による官僚制度が確立し、商工業が発展し、思想界・文学界も活発であった時代です。また
2024年3月15日 16:40
中唐「中唐」は、安史の乱以後の約70年間を言います。安史の乱は終結しましたが、その後、地方の軍事勢力が新たな動乱の火種となり、また、乱の平定を援助したチベットやウイグルなど異民族の兵士たちが唐朝の国内に出入りをして略奪を繰り返していました。中央の朝廷では、宦官の横暴や官僚の間での権力闘争が絶えず、社会不安は続いていました。詩壇では、大暦年間の初め、元結と顧況が激しい調子の社会批判の諷喩詩
2024年3月8日 13:50
杜甫の経歴唐代の詩人杜甫は、「詩聖」と称されています。「詩仙」と呼ばれた李白と並んで、中国歴代の詩人の双璧です。杜甫(712~770)は、字を子美、号を少陵野老、鞏県(河南省洛陽の東)で生まれました。父親は、奉天(陝西省)の県令、祖父杜審言は、高名な宮廷詩人という由緒ある家柄です。卓越した詩才に恵まれ、7歳にして詩文を作り、神童ぶりを謳われたといいます。「開元の治」と呼ばれる玄宗の
2024年3月1日 09:00
李白の経歴李白(701~762)は字を太白、号を青蓮居士といいます。太白は、金星のこと。母親が太白星を夢に見て生まれたので、字を太白としたと伝えられています。「詩仙」と呼ばれるにふさわしく、その生涯の経歴は謎に包まれ、未詳の点が多く残っています。出生地については、従来は、蜀(四川省)の綿州と言われていましたが、近年の研究では、西域の砕葉(今のキルギス共和国トクマク)に生まれ、5歳の頃
2024年2月23日 14:41
唐代の社会と文化南北分裂の時代は、隋によって統一され、短命に終わった隋の後を受けて、唐王朝は、約300年間の繁栄を保ちます。唐王朝(618~907)は、政治的には北朝、文化的には南朝の流れを受け継いでいると言われます。強大な政治力、軍事力を背景に、学問・思想・文学・音楽・美術など、文化全般が長足の進歩を遂げました。唐代は、西域や東アジアなど、周辺の諸国との交流が盛んになった時代でもあ
2024年2月16日 11:35
南北朝時代(五世紀初期から六世紀末)、南では江南の建康(今の南京)を都として次々に王朝が交替しました。この時代は、貴族文化の全盛期で、文学も貴族趣味的な方向に流れる傾向がありました。宋・斉・梁・陳の四王朝は、その前の魏晋の時代に比べて、政治的・経済的に安定していた上に、君主自らが詩文を愛好したために、文学活動が盛行を極めました。詩人達は、貴族らしい洗練された言語で、対象の美を巧みに
2024年2月9日 11:01
こんにちは!今日は、東晋の詩人陶淵明についてお話しします。今回引用する作品の多くはすでに投稿していますので、この記事の中では、主に、原詩と日本語訳のみを記します。詳しい語釈や背景説明については、各詩の記事をご参照ください。陶淵明の時代陶淵明の生きた時代は、六朝の前半、貴族文学が全盛期を迎えようとしていた時代です。その頃の詩文は、思想や情感よりも形式的な技巧に力が注がれる傾向を強め
2024年2月2日 09:15
こんにちは!今週から3週にわたって、魏晋南北朝の詩についてお話しします。今週は、魏晋の詩全般について、来週は、東晋の陶淵明について、再来週は、南北朝の詩全般についてお話しする予定です。今日は、魏晋の詩について、主な詩人の作品を取り上げながら、時代全体をざっと俯瞰してお話しします。魏晋南北朝とはさて、「魏晋南北朝」というのは、いつ頃を指しているのでしょうか。 中国史においては
2024年1月26日 09:27
こんにちは!今日は、漢代の詩についてお話しします。漢代の詩のメインは、「楽府」と「古詩」です。まずは、さっそく「楽府」から。楽府漢の武帝の治世、「楽府」という役所が設けられました。文字通り、「音楽の官府」、音楽のことを掌る役所です。この役所では、宮廷の儀式、祭祀、宴会などの席で奏でる楽曲を制作していました。それと同時に、中国各地に伝わっている民間歌謡を採集し、それらの詩
2024年1月19日 10:12
皆さん、こんにちは!さて、講義に入る前に、ということで、たいへん申し訳ございませんでした。さて、気を取り直して、今日は、第2回です。今回は、『楚辞』についてお話ししたいと思います。『詩経(しきょう)』と『楚辞(そじ)』は、中国古代文学の双璧です。『詩経』が北の横綱なら、『楚辞』は南の横綱といったところで、『楚辞』は『詩経』と並んで、中国古代文学の最も重要な作品群の一つで