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やっぱり俺も「チキンライス」がいいや

おはようございます。

この時期「チキンライス」を聴くと100%涙が出ちゃう、まっちょびです。

いやー。ホント早いですよねー。

今日はもう12月23日です。

ついこの間まで「暑いあつい」って言ってたのに、ホントいやになります。

「今年は早かったー」どころか、2・3年なんてあっという間です。(あっという間すぎて、正直僕は30代、40代の記憶がありません。笑)

去年今年はあまり良い年ではなかったので(それでも最近良いことがあったので元気になりましたよ。ホントに)、来年こそは良い年にしたいと思っています。

そうそう。

「チキンライス」で思い出しましたが、子どもの頃のクリスマスの思い出と言えば…という流れで、今日は僕の子どもの頃のクリスマスの実体験を書きたいと思います。

と言いたいのですが、ウソです。

正直、クリスマスの思い出がほとんどありません。(悲しすぎるー!でもお涙頂戴でも何でもないので続けさせてください。笑)

以前noteで「父や母のこと」など、我が家の思い出を書きましたが、その中にも書いたように我が家は少々クセの強い家庭だったので、クリスマスから年末年始の時期は、母が毎年恒例の家出期間中だったため、家にいませんでした。

だからクリスマスの日もだいたいが普段と変わりなく、妹と二人、石油ストーブの上で焼いたお餅を砂糖醬油につけて食べていました。(今でも石油ストーブの匂いを嗅ぐと、あの風景を思い出します。もっと言うと、僕だけこそっと「父のスルメ」を炙って食べていました)

だから、僕にとってクリスマスの思い出は「餅とスルメ」ですね。

シブい!!!(あほか。80歳のクリスマスか。失礼やろ。80歳に謝れ)

でもでも、そんな我が家でも、クリスマスの時期に母が家にいた年があったのです。

あれは確か僕が小学3年生の時でした。

滅多に年末年始に家にいない母が、その年は家にいたのです。

うれしかったなー。

この頃はまだ鬼のように恐ろしい母でしたが、それでも僕はうれしかったのです。

こんな年は物心ついてから初めてだったので、母と一緒に買い物に行った時に泉尾商店街のお菓子屋さんで、子どもなら誰もが憧れるあのお菓子の「赤い長靴」を買って欲しいと「ダメモト」でせがんでみました。(当時我が家は浪速区に住んでいて、大正区との境目のところに住んでいたので、よくこの商店街に買い物に行っていました)

すると珍しく母はあっさりと「ええよ。買い」と言って買ってくれました。(もちろん、他にクリスマスプレゼントなんてありませんでしたが、めちゃくちゃうれしかったです)

「人生で一番うれしかったクリスマスプレゼントは?」と尋ねられたら、正直恥ずかしいですが僕は、この時の「赤い長靴」と答えると思います。

だから僕は、今でもあの「赤い長靴」を見ると、クリスマスの良い思い出としてこの日のことを思い出してしまいます。

あと、この話には続きがあって、調子に乗った僕は母に「クリスマスケーキ欲しい」と、さらにせがんでみました。

すると、母の答えは僕の予想に反して、二つ返事で「ええよ」でした。

僕はもう踊りました。嬉しすぎて小躍りしました。

クリスマスに「盆と正月」が一緒に来たような気分です。(和洋折衷すぎてよう分からんわ!)

そこで僕は、あちこちのお店で売られているクリスマスケーキを見ながら「どれがええかなー?」なんて鼻歌まじりに選び、ようやく「これや!」というのがあったので、母に購入を勧めました。

すると、母は「うーん。たぶん向こう(の店)の方がええのあったで」と答えるのです。

僕は「なるほど。そうかもしれん。やるなー。かあちゃん!さすが!」と思いながら、母と歩き始めました。

歩き出してワクワクしているうちに、ケーキ屋さんが現れたので「かあちゃん、ケーキある!ケーキあるで!」と僕が高い声を出すと、母はこう答えました。

「あれー。なんやかんや買うてお金足りひんわ。赤い長靴も買うたし。一回お金取りに家帰ろか。後でもう一回来よ」と。

この瞬間、僕は確かこう思ったはずです。

「出たー。やっぱりいつものやつ出たー。絶対買う気ないやん。しかもちょっと『赤い長靴』のせいにしてるー。笑」と…。

案の定、嫌な予感は的中。その日、我が家の食卓に「クリスマスケーキ」はありませんでした。

でも僕は「赤い長靴」を買ってもらえただけで、とてもとても嬉しかったのです。大満足でした。

ただ、妹はタイミングが悪く買ってもらえなくて、猛烈に恨まれました。こういうことが積み重なり、僕と妹は今でもほぼ音信不通状態です。笑(笑えるかー!妹のこともまたどこかで書きたいのですが、ただでさえ音信不通なのに、もし書いたものが妹の目に留まると訴訟ものになりかねないので、そこは十分気をつけたいと思います)

あ。

大事なことを書き洩らすところでした。

ご覧の通りこの日は、我が家にクリスマスケーキはありませんでしたが、翌日の夕方5時半くらいに母がクリスマスケーキを手に持って帰ってきました。

「えー!ケーキやん!どないしたん?」と僕が尋ねると、母は「クリスマスケーキは25日の夕方になると半額になるねん」と、笑いながらドヤ顔を浮かべていました。

そして、妹と僕の2人で半分近く食べて、翌日と翌々日残りを食べました。(父は夜勤か何か、仕事で家にいませんでした。母は「ウチはええから、あんたら食べ」と言って、一口だけ食べてあとは食べませんでした)

これが僕の唯一の「クリスマスの思い出」です。(ついでに言うと、浮かれた僕は「おせち料理への憧れ」を満たすべく、母に「黒豆炊いてみたい!」と言って、全く何の知識もないのにチャレンジしました。そして大みそかに僕は黒豆を炊いたのですが、火加減は分からんわ、砂糖を入れ過ぎるわで鍋が大焦げしてしまい、オシャカポン。母にシバかれて「大晦日だよ!ドラえもん」を嗚咽を上げながら観ました。この時は「赤い長靴」の恨みがあるにも関わらず、妹が「しゃーない。しゃーない」と言って、慰めてくれたのを思い出します。

昭和の時代は皆さんもこんな感じでしたよね。(ちゃうわ!皆様をお前と一緒にすな!)

大変失礼しました。。。

それでは最後に一言だけ言わせてください。。。


「やっぱり俺もチキンライスがいいや。。。」


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