見出し画像

ようこそ、わたしの熱い色

平成最後の冬は、ちょっとエキセントリックな気分で。

髪を、生まれて初めて青色に染めた。

昼は浅瀬、夜は深い海に見える不思議な色に。

光の当たり具合によっても、その色彩は刻々と変化する。


8ヶ月間、会社に勤めて、社会と共生するということ、自分は何者であるか、あまりに考えることが多く、その中で「自分を表現する」意味を今でも追い続けている。

-----------------

行きつけの美容院はナチュラルなスタイルが得意で、前に一度ブロンドにしようとして止められたことがあったので、今回は思い切って“浮気”した。
年末年始の休みに髪を染めると決めてから、インスタグラムでリサーチを繰り返し、見つけたサロンに予約をしたのは、ちょうど一か月前の深夜3時頃だった。

4時間かけ、鏡の前でブルーに染まった髪を見た瞬間、先の細いペンでなぞるように「自分」の輪郭がくっきりと浮かび上がった。音がするほど強い風と光がわたしの血潮を波立たせる。
今までの人生で、初めてではないかという衝撃だった。

わたしは、これに似た体験を知っている、と思った。
本を読むとき、そしてその内容を咀嚼して具象化するとき、下書きに一本、鉛筆で線を加えるような心持ちがする。まるで、いつ描き終わるとも知れない絵が、完成にほんの僅か近づいたかのように。
けれど、ブルーヘアの衝撃は読書と比べものにならない。鏡の中の自分を見つめながら、わたしの視界には「Apparition(出現)」という単語が激しく明滅していた。

世の中が右目で見た世界なら、わたしが普段見ているのは左目で見た世界だと思うことがある。それは、同じ場所から見ても距離や角度が微妙に違うパラレルワールドのように、近くて遠い。
きっと、わたしが見ているりんごの赤は、右目で見たりんごの赤と違うのだろう。そう勘繰りながら同じ赤を見ているように振るまうことに慣れ、その代償として少しずつ自分の表皮が剥がれてゆくのを感じていた。
どうすることもできなかったのは、わたしが自身で思うよりもずっと、孤独を恐れていたから。

おそらくわたしは、右目の世界の人たちにも、この髪色ならわたしの存在を気づいてもらえるのではないかと、期待しているのだろう。
今は、右目の世界でもきちんと輪郭を保っていられる姿を手に入れたことがただ嬉しく、幸せに満ち足りている……

そして、右と左、両の目で見ても変らない鮮やかな青に、わたしは無意識に自身を投影し、未来を託していた。ヒントを与えてくれたのは、映画『アデル、ブルーは熱い色』だった。ヒロイン、エマの心によって揺れ動く情緒豊かな色――青は、わたしにとって決して冷たさの象徴ではない。

一週間の命を決められたブルーは、わたしに何を残して去ってゆくのか。

髪を洗うたび流れでる紺色の液体に指を絡ませながら、今も、自問している。

2019.1.1 青磁

#ファッション #エッセイ #コラム #日記 #note書き初め #フランス映画 #読書 #映画 #ライフスタイル #生き方 #LGBT #文学


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?