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美術展のような個展 「彼ら彼女ら」を感じさせる作品と空間

堀江栞(しおり)さんというU30の若手作家さんの個展が√K Contemporaryというギャラリーで5月15日まで開催されています。広いスペースの3フロアーを使った個展。美術館のようでした。個展名は「声よりも近い位置」。

堀江栞さんが大学1年生の時に制作した作品が多和田葉子さんの小説「献灯使」の装画に使われています。なぜ採用されたのかはご本人にも分からない、とのこと。

ギャラリーには原画も展示されています。ハシビロコウ。

彼女はフランス生まれ、多摩美を卒業し第26回五島記念文化賞の受賞により、2016年の1年間パリに滞在したことのある20才代の日本画の作家です。雑誌にエッセイも書いていらっしゃる多才な方です。

順風満帆のようなキャリアですが、美大に進学しようとした時に有機溶剤に対するアレルギーがあることが分かり、油絵具やアクリル絵具等の、化学物質が入った画材を使えないため、日本画科に進学し、扱ったことのなかった天然素材由来の岩絵具と顔料、和紙、膠だけで絵を描いてきた方です。
これについては、「ブレイク前夜」で知ることができますが、大学構内にはいたるところにそのような画材があるため、他の学生と同じようなキャンパスライフをおくることができなかったそうです。

ある方がこの個展を紹介されているのをtwitterで知り、人物画に興味を持ち始めていたので、行ってみました。

ギャラリーは東京の新宿区の神楽坂のお屋敷街にあります。オフィスの入口のような自動扉から中に入ると受付があり、「1F、2F、そこからエレベーターでB1に行ってみてください」と言われ、中に進むと次の自動扉が開きました。

奥行きのある白色の広いスペース。壁に作品が展示されています。作品は人物画が中心。壁いっぱいの大作はありません。
以前から人物を描いてきたのではなく、この1,2年のことのようです。

一見無表情。しかし、諦念のような、未来の生を失うことが分かっている希望がないような表情を感じました。

この複数の人物画の題名は「後ろ手の未来」。1人1人の大きさは同じ。これも無表情ですが、同じような印象を受けました。「彼ら彼女ら」の何かを作品に仮託したような何か。
この作品を距離を置いて観ていると、ある場面が思い浮かびました。
ー「葬送行進曲」ー

1979年にバイロイトで上演されたピエール・ブーレーズ指揮のワーグナーの「神々の黄昏」の「ジークフリート葬送行進曲」のシーンです。
3:31:53頃からのシーンです。ここに登場する無表情の人たちと重なって見えてきます。

先ほどから自分でもよく分からない既視感を感じながら2Fに上がりました。2Fも白を基調とした広いスペースです。

ここにも人物画が展示されています。彼女は何に共鳴してこのような人物画を描いたのか、興味が増してきます。と、同時に、この既視感の源はなんだろうという不可解な感じも増してきました。

エレベーターでB1に行く手前に2つの植物画がありました。植物を描いた作品はこれだけです。

B1に降りると、そこも広いスペース。彼女の学生時代の作品も展示されています。多和田葉子さんの小説の装画になったハシビロコウの原画もあります。
彼女の進展ぶりが分かりますが、最近のハシビロコウの作品もありました。観る人の心を透視するような、観ていると姿勢を正されるような目です。
作品名は、「証人#2」。

在廊されていた作家さんと会話してからギャラリーを後にしました。パリに行ったのは2016年春。2015年秋にはパリでテロがあり、それに影響を受けた、と。
今回の展示は、彼女が思うストーリーになるように展示した、とのこと。

ストーリー。自宅に帰ってから、個展の題名、それぞれの作品の題名、彼女との会話を思い出していると、不可解な既視感の源がはっきりしました。

欧州の歴史は戦争の歴史です。第二時世界大戦だけでなく、過去の幾多の戦争の記念碑などが身近なところにあります。パリのテロの後には2016年3月にベルギーでもテロがあり、彼女が渡仏した時は、テロ後の厳戒態勢とともに人々のテロで亡くなった人々への追悼の気持ちがまだまだ日常生活の中に残っていた時期でした。私もまだ在欧していた時でした。

ダッハウ。そして、フランクルの「夜と霧」。

ドイツのミュンヘンの近郊にダッハウ強制収容所があります。四角四面の白い壁。そこで生を奪われた人の写真も展示されています。

ギャラリーの白い空間は、ダッハウで見た光景に重なってきます。表情のない人物画は、写真。2Fの展示物の最後にあった植物は塀の下に生えていた花であり、献花。
地下にある「証人#2」と名付けられたハシビロコウの目は、人間の所業を見つめてきた冷静な目。
個展の副題は、「目」、のようです。

作品はどれもこれも20才代とは思えないくらい巧みに描き込まれています。とても礼儀正しく、画材に対するアレルギーがバネになっているような精神面の強さ、鋭敏な感受性、を感じました。

1つ1つの作品のネーミングは文学的です。決して奇をてらうことなく、かといって平凡でもない。作品名だけで文学作品が出来そうな表現力があります。

私は、欧州の歴史の精髄を感じましたが、観る人の記憶を呼び起こす、そして作家さんが作品だけでなく展示する順番にも気を配ったストーリー性のある個展です。

作家さんのこれからの作品も楽しみですが、ギャラリーも素晴らしく今後の展開も期待できます。

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