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大羊春秋~羊務執筆者党史~(11)

この「大羊春秋」(だいようしゅんじゅう)とは、私 前多昭彦が主宰していた同人誌サークル「羊務執筆者党」(ようむしっぴつしゃとう・略称SSP)の活動を振り返る「回顧録」です。

新しいメンバー

相変わらず「SSP」は同人誌即売会での“売り子”不足に悩まされていました。
平成2(1990)年前半の時点までに参加した即売会は4回、そのうち2回は私独りで、残りの2回はI上の参加で2人です。

即売会は自分の本を購入してくれる人の反応、例えば本を手にしてパラパラとめくった際、どのページで手が止まるかにより作品の出来不出来が分かるとし、執筆者が自ら売り子をすることは有益だと私は考えていました。
ところが、I上は「オタクの顔なんか見ていられるか」という具合で、売り子どころか即売会へ来ること自体を嫌っていました。
コミケ36と37に彼が来たのは異例だったのです。

このような状況ですから早急に売り子を探す必要がありました。
しかし、頼める人にアテが無く、新たな売り子の確保は暗礁に乗り上げていたのです。

ある日、私は「コミックマーケット」の会場で同じ小・中学校を卒業したM本をよく見かけていたことを思い出します。彼とは同じクラスになったことはありませんが、中学では部活動(なんと運動部)で一緒だったこともあり交流がありました。言うまでも無く同学年です。
しかし、電話か手紙で連絡をとろうにも、彼は中学卒業後に転居しているため卒業アルバムは役に立ちません。ただ、風の便りでどの辺りに住んでいるのかは分かっていました。

そこで私は区役所へ行き、適当な事情をでっち上げ、旧住所を提示してこの家が◯◯の辺りに転居しているので、その住所を調べて教えてほしいと頼みました。
区役所のどこの窓口かは忘れてしまいましたが随分待った末、転居先の住所を知ることが出来ました。
今日では絶対に不可能なことでしょう。

後日、区役所で調べてもらった住所を手がかりに電話帳で番号を調べ、M本宅へ電話をかけます。
ただ、彼がもうコミケへの興味を失い行くのをやめていたら万事休すです。
本人が出ると挨拶もそこそこに彼からコミケに関する話題が飛び出しました。この瞬間、私は心底から「しめた!」と思いました。

以後、M本は「SSP」の活動に参加します。
原稿執筆にはタッチしませんでしたが、ある時期の「SSP」同人誌の印刷代は全額彼が出していました。
彼の「青梅財団」というペンネームがその立場を如実に表しています。

この一連の出来事が平成2(1990)年のいつ頃のことなのか今では分かりません。8月19日(日)開催の「コミックマーケット38」に彼は売り子として参加していますから、同年前半のことでしょう。

M本の参加という大きな収穫の他に、この年は人材面でもう一つ動きがありました。

A見のサークルの常連に、福岡県在住でとよまえ♡しょう子というペンネームで、「ぺるぱん」という男性向同人誌のサークルを主宰している男性がおり、彼に原稿執筆を依頼しようという案が出されます。
これが私、I上、A見の誰の発案だったかは不明です。
A見が窓口となってこの男性と交渉した結果、彼は次の『GELBE SONNE 3』(ゲルベゾンネ ドライ)に寄稿することになりました。
その際、彼は「ぺるぱん」に寄稿していた友人による作品も同時に送ってきました。
その友人こそ後に「SSP」のメインライターとなる握手0.5秒です。

《第11回「新しいメンバー」おわり》

※文中敬称略

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