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映画『海よりもまだ深く』のはなし


ただそばに居たい。

なぜこんなにも生活感ある映像が撮れるのだろうか。多くの人が自分の人生の一部をこの映画のどこかに見つけたのではないかと思う。私自身、台風の夜のワクワクした感じや、親戚や友人が泊まりに来た時の嬉しさや、帰省した実家から帰る時の両親の少し寂しそうな反応など、かつてどこかで一度は経験したことがある忘れてしましがちな思い出を鑑賞中に懐かしく思った。

主人公は妻、子供を失い探偵の仕事をしながら小説家になる夢を捨てきれないでいる。金欠で養育費も払えず、手に入れた金はギャンブルへ使い身を滅ぼす。妻は主人公と対照的な男性と再婚を考えており、主人公はストーカー行為を続けている。

この映画はなりたい大人になれなかった人間が主人公だ。そして大きく3世代が出る。樹木希林はなりたい大人になれたかは分からない、ただもうどうしようもできない変えることの出ない世代だ。主人公の息子はこれから大人になっていく世代だ。そして主人公は、なりたい大人になれなず受け入れつつも苦悩し変えたいと願う世代だ。それぞれの年代が抱える問題が浮き彫りになり、比べられることでより主人公の哀れさが伝わってくる。

冒頭主人公は、実家へ戻った際に引き出しの中の宝くじの券を見つけ盗む。本作において宝くじは非常に象徴的な意味合いを持った小道具として扱われている。それは”夢”である。映像の中にもビッグドリーム宝くじが登場する。家族がバラバラで一緒に暮らせないのも、周りに比べみすぼらしいのも、金銭的余裕がないからである。宝くじが当たれば問題は解消する。まさに家族の夢なのだ。それを主人公は奪ってしまう。分かり易くも好きな演出だ。

子は鎹とはよくいったもので、崩壊して夫婦関係を取り持つのは息子の存在だ。その息子は父には似たくないという。これは辛い。言い訳を重ね過去の栄光にすがってきた男の末路だ。この映画は過去をどういう意味合いで捉えていたのだろうか。作中こんなセリフがある。「誰かの過去になる勇気を持つのが大人の男だ」と。過去に生きて今を生きれていないのだ。

印象的なシーンがいくつかある。例えばみかんの木だ。主人公の母はベランダのみかんの木を息子のように思い毎日水をあげている。しかし一度も花も身もつかない。まるで主人公の表現がなんと絶妙なんだろうか。他には、主人公と母の歩く姿を後ろから捉えた2ショットはグッとくるものがあった。元妻との人生ゲームのくだりなんかはクスッと笑える。冷凍庫から出したカレーはその日がとっておきであることを表現している。泊まっていくことが決まった時の母の喜びようや主人公の照れようなど共感を覚える。さらっと映る4人分の箸と茶碗のインサートも哀愁がある。

本作において阿部寛の甲斐性なしだがどこか憎めない人柄も、真木よう子の尖ってはいるものの心のどこかで主人公を気にかけているのも、そして何より樹木希林の芝居とは思えない表情や動きや言葉が本作を一流の映像作品へ押し上げていると思う。

台風の夜、主人公と息子はかつて自分と父がそうしたように、公園の遊具の中でしばし過ごすことにする。息子になりたい大人になれたかと聞かれる。主人公はまだなれていない。という。まだなれていない。そこへ元妻も登場する。台風という非常時はこの崩壊した家族の現状の表現なのかもしれない。息子が主人公に買ってもらった宝くじがないことに気がつく。一家総出で暴風の中宝くじを探し回る。分かりきっているが、宝くじは宝くじとしてもはや機能をしていない。非常時に家族の”夢”を必死に繋ぎとめようとする描写であった。

一夜明け、関係は多少はよくなったのだろうか。台風一過のようにそんな簡単に話は進まない、なぜなら大人だから。別れ際、「またね」「ま、またな」という会話をし主人公はカメラに背を向け群衆に紛れていく。多くの人が通り過ぎ、去っていく主人公は重なり合う人混みの中に溶けていった。

これは、まだなりたい大人になれていない主人公の物語じゃない。

これは大人を生きている私たち自身の物語でもあるのだ。

素晴らしい映画だ。

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