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お金は本当に「取られる」のか?

代金、料金、税金などの支払いをすると、
「〇〇円取られた」と言うことがある。

「取られる」と言う言葉には、
「減る」「奪われる」「搾取される」と言うニュアンスがある。

本当にそうなのだろうか?

自分が欲しいものや必要なサービスにお支払いしたお金は、
「取られる」のか?

税金にしても、
自分が住まわせてもらっている街や国の設備が整ったり、
何かしらの恩恵を受けている。

例えばスピード違反をして払う罰金も、
事故を未然に防ぐ戒めの料金と考えたら
その恩恵を受けるのは自分だ。

そう考えると、
「取られる」と言う感覚・解釈は
近視眼的な感じがして違和感を感じていた。

そんな折、西野亮廣さんの新刊
「新・魔法のコンパス」を読んだ。

これからの時代を生き易くしてくれる価値観・考え方・生き方と
背中を押してくれる言葉にあるれていて、
やりたことが明確出ない私でも
何かに取り組みたくなった。

さて、その新刊の中でも
丸ごと1章「お金」について書かれている。
貯金も豪遊も興味がないと言う西野さんが語るお金の話は、
主にお金を稼ぐ側の視点から書かれていて、
「お金を稼ぐ」ことは
「富を奪う」行為ではなく
全体的な「富を増やす」ことだと言う。

その例えがとてもわかりやすい。

~ ~ ~

この星に2人しか人が存在しないとして、
そのうちのひとりだけが「1万円」を持っているとすると
この星に存在する富は「1万円」となる。

もうひとりが「1万円分の価値のある服」をつくり、
「1万円」を所持している人がそれを買うと
洋服を提供した人には「1万円」、
買った人には「1万円分の価値がある服」が手に入る。

これでこの星の富は「2万円」に増えたことになる。

~ ~ ~

一見すると1万円を得た人と失った人に見えるこの状況で、
「この星の富が増えた」と言う西野さんの大きな視野と考え方に
とても感銘を受けた。

個々のお金だけに焦点を合わせると、
服を買った人の手から1万円が消えていることに目が向き、
星全体の富の額が上がっているとは考えられない。

独り勝ちしようとしていたら、
この発想は浮かばないだろうし
納得し難いだろう。

また失うことを恐れている人も、
この様な考えには至らない。

けれど、人は本当に欲しいものや
自分にとって価値のあるものを得る時、
自分にとっての「富」を得ると考えられたら
その代金を払うことが
お金を「取られる」こととは考えないだろう。

「取られる」と考えるのは、
それを本当に必要としていなかったり
自分にとってそこまでの価値が無いと感じているから。
もしくは、お金に執着しているから。

例えば寄付にしても、
寄付先のお役に立ちたい気持ちは勿論だが、
自分が賛同するものに「寄付できる喜び」を味わう為に
寄付をしていると私は考える。
だから、寄付したお金がどう使われるかも重要だけれど、
「寄付できる喜び」と言う対価、心の富を得ていることに
フォーカスしたいと思う。

税金も同じ。
どの様に使われるかは、勿論気になる。
でも、「税金で〇〇円取られた!」
「税金を無駄遣いしたら許さない!」ではなく、
お世話になっている国や市町村に税金を収められることを
喜べる自分で在りたいと思う。
(それは消費税でも同じ。)

お金は天下のまわりものと言うけれど、
自分の手元から送り出したお金が
「お金」として巡るだけでは無く、
ある時は別の「もの」や「サービス」として
またある時は「心の富」となって巡る。

「富」をお金に限定していると、
お金に執着してしまうし
お金を「取られる」と感じる場面が出てくる。

そうではなく、
自分にとって大切なもの、価値のあるものを選び、
お金以外の得るものにも意識を向けながら、
「富が増える感覚」を意識していきたい。

その方が幸せで居られるから!

aloha & mahalo.

「新・魔法のコンパス」の「お金」の章は、
西野さんのブログでも公開中。

西野亮廣さんのオンラインサロンでは、
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