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『不安』と幸せな子ども時代

子どもの頃の写真を久しぶりに見る機会があった。
はにかんだ子どもの私からは『ママが大好き!』と身体いっぱい伝わってくる。そんな私を愛おしそうな笑顔で包む母。

自宅から近くの工場で働いていた母は、毎日お昼になると帰って来て、一緒にお昼御飯を食べていた。
祖父母が出かける時以外は、いつも一人で遊んでいた私。
「ママ早く帰ってこないかなぁ~」とお昼になるのをそわそわ待つ。

そして、念願の再会を果たして、お昼休憩が終わり職場に母が戻る時には、毎日淋しくて泣きそうになった。
今思えば、たった数時間の就業時間なのに、もう二度と会えないのではないかと思うくらいに淋しく悲しかった母との別れ。

今日は保健室の先生達の研修の講師のお仕事。
事例検討でみんなで考えたのは、不安の高い子どもへの対応について。
まさしく幼児期の私のことだ!

小さい頃の私は、同じくらいの年頃の子どもと全く遊ばなかった。と、言うか遊べなかった。遊びたいとも思わないし、遊んだとしても楽しくもなかった。
私が自分らしく居られたのは、じいちゃんの町内に住む友達のおうちに遊びについて行く時と、おうちでばあちゃんのおひざに座ってぬくぬくオコタに入っている時、そして何より大好きな母の傍らにいる時だった。

こどもの私には『わからない』ことが沢山あった。
こどもなのに『わからない』ことがあることが『わかっていた』
『わからない』ことが怖くて心細かった。

私はどんな顔をしてここに居れば良いのか、私はどんなことを話したら良いのか、私は誰を頼りにしてここで過ごしたら良いのか。
何もわからない。

私はここに居ても良い子なんだろうか。。。

持って生まれた、『不安』を感じやすいタイプかどうかは人それぞれ。
育ってきた環境の中で、『不安』を感じやすくなるかどうかも人それぞれ。

物心つく前のもっと小さかった頃。
私の産みの母は、私を残して出ていったそうで、その後の私(特に『不安』の高さ)に、大なり小なり影響しているんだろうなと考える。
当時、その場に居合わせた親戚の人から、大きくなって聞いた話によると、産みの母は「私はこんな子いらない!」と言い捨てて弟だけを連れて、出ていったそうだ。

私は覚えていない。
だけど、きっと覚えている。。。

そんな心細かった私を、慈しみ愛情いっぱいに育ててくれた、私の母。
母と一緒に居られることが心から幸せだった。
毎日毎日、母は私に温かい言葉をかけてくれたはず。私の頭も撫でてくれたはず。お布団もかけてくれたはず。私をふんわり抱きしめてくれたはず。

私は覚えていない。
だけど、きっと覚えている。

『不安』の高いこども達。
特にここ数年のコロナ禍でそれが露呈している子ども達が増えている気がしている。
そんなこども達に大切なのは、毎日の変わらない日常の中にある、毎日の変わらない存在からの、いつもと変わらない何気ない声かけ。

記憶には残らない。
だけど心には残るじんわり温かい心地良さ。

優しくて強い母のような『安全基地』に、私もなれていたらいいなぁ。
息子くん達と一緒に過ごした日々の中、息子くん達の心にもじんわり。
辛い時間をやり過ごし、乗り越えられる。そんな何かが積み重ねてやれていたらいいなぁ。

時間の流れの速く気ぜわしい現代。いつ思い出しても変わらないこどもの頃の記憶に触れてリフレッシュしてみてはいかがでしょう?
じんわり温かく。心地よく。。。


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