前回書いた再発を機に、 なかなか抜け出せないこの現状に嫌気がさし、 自分を責め、薬をまた服薬しなくてはいけなくなった現状を責め、 先生をも責めている自分がいました。見当違いなのですが・・ そこで昔自分が漢方薬で体質改善されたことを思い出しました。 早速先生に聞くと、自分はあまり漢方の分野に知識がないので 詳しい先生を訪ねてみるのもいいのでは・・と幸いにも言っていただく 事が出来たので、すぐに心療内科で漢方薬も積極的に処方し 産後鬱なども診ているクリニックに受診しました。
先にも書いたように、私は 服薬・カウンセリングの治療を受けていました。 この病はすぐ治る人もいれば、長く付き合う人もいて それには個人差があります。 私がクリニックに通っていた7年は長いのか、短いのか は一概には言えませんが、私自身は薬を飲めば効果が出て すぐに治療が終わるのかな?という期待もあったので、 長く感じたのは正直なところでした。 (特に症状が落ち着いているときは) 人によっては、心療内科に行く事が余計に自分の病を意識して 深入りしてしまうのではないか、という人
通っていたクリニック 7年ほどお世話になったと思います。 通い始めたころ薬を服用していくにあたり、 妊娠の希望はあるかという事を聞かれました。 服薬中は一部の薬にはおなかの赤ちゃんへの影響が 僅かとは言え、ないとは言えないので妊活は避けたほうが 良いというお話でした。 (こちらについてはいづれまた書きますが、 クリニックやかかりつけの婦人科の先生とその後やりとり して頂くこともありました。先生によって方針も異なることも あるかと思いますので、まずは先生にご相談されるのが一番
前回の内容にあった通り、 2008年以降自分の心の状態、そして そこから引き起こす行動から体も毎日クタクタになっていた時、 友人から 『この病気、みちの症状と一緒だけど!』とメールが来ました。 前回の投稿で交番に付き合ってくれた彼女です。 彼女はケアマネジャーの試験勉強をしており、その中で 『加害恐怖』という言葉がでてきたけれど、今のあなたに当てはまる。 というのです。 ----------------------------------------------------
2008年。 地元の花火大会の帰り道はものすごい人混みでした。 旦那さんと家まで帰ろうと歩いているときに逆方向から すごい人たちが信号を渡ってこっちに向かって歩いてきました。 その時はあまりの人混みや避けようとしても避けてこない人たちに 私も苛立っていました。 そこに小学生ぐらいの男の子が走ってきたのです。 そしてその子は私にぶつかり、尻もちをついてしまいました。 でもその時の私の心情は 『後ろにすぐ親御さんがいるのに、なんでこの人混みの中走ってて何も 言わないんだ??
20代後半。 私は慌ただしい毎日を過ごしていました。 介護のお仕事をしながら、休日は祖母の入居する介護施設に面会へ行き、 週末はフラのレッスン。週に2回は仕事後に掛け持ちでバイトをして、 夜中まで働いて、深夜に帰宅してから翌日のお弁当を作って仮眠してまた仕事へ・・・ 彼(今の旦那さん)に会う時間は本当に限られていました。 それを苦に思った事もなく、それが『普通』の生活だったのです。 ひとつ変わったことがあったのは、 お酒を飲んで時々帰りの電車の中で意識を失うことがあった
まず、私の昔からの性格、おいたちについて書こうと思います。 (2023年からかなりがっつり自分に向き合って生き方、考え方も 変わってきているので今の性格とは違います!これはまた後々・・) 小さい頃から記憶力(思い出の地とか、人の名前、出来事の記憶など。勉強には役立たない記憶力💦)が良く、未だにベビーカーに乗っていた時に舐めていたベルトの金具の感触や、幼稚園の先生に叱られた状況も鮮明に 覚えています。 昔から隠し事が出来ず、何でも包み隠さず誰にでも自分の事を伝えていました。
はじめまして、みち と申します。 突然ですが、みなさん ”強迫性障害” という名前がついた病気があること、ご存知でしょうか? 自分自身も不合理だと分かっているのに観念が頭に浮かんで それを振り払おうと色々な行動に出ることによって 更に不安を払拭できなくなり、生活に支障がでる精神疾患の事です。 私がこの名前の病気ですよーって言われたのが今から 15年ほど前、2009年のことです。 その原因になる事は本当に些細で、 普段過ごしている中でも「あるある!」と思うようなことが多