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一生ボロアパートでよかった⑫

あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。

 学年末テストも終業式も終わり、春休みに入りました。私は不登校のまま春休み入りしたので、学校というしがらみから解放される、あの長期休み前特有の喜びに浸ることが出来ませんでした。

 想像するにきっと男子なんかは、終業式後のホームルームが終わるや否やガッツポーズをして「よっしゃー、休みだー」とかなんとか言っちゃって、舞い上がっているに違いありませんでした。きっと女子なんかは、春休みに入ったら気になる男子と会えなくなっちゃうから、どうやって遊ぶ約束をすれば良いかというフワフワした悩み事を語り合っているに違いありませんでした。
 私はそういう青春の1ページにこれっぽっちも関与する事なく、ただゴミ屋敷の薄寒い自分の部屋で惨めに布団にくるまっていました。

 春休みに入って春の暖かな陽気が増えても、梅や菜の花が見頃を迎えても、私はただひたすら家にいました。春休みなんて私には名ばかりで、ただ不登校の延長を過ごすだけでした。

 私だって春休みに外に出かけて友達と遊んだり、部活で汗をかいたり、家族でピクニックに行って春の訪れを感じたりしたかったです。
 それが出来ないのは、紛れもなく、私が人生のはずれを引いたからでした。

 春休み入りして数日たった頃、父が担任の先生からの伝言を伝えてきました。
「新学期、学校で会えるのを楽しみにしてる」
 そう言っていたそうです。先生が電話で言っていたらしい励ましの言葉たちは実に空虚に聞こえました。成績についても説明されました。学年末テストを受けなかったので、成績は見込み点数で評価されるそうです。成績なんて今更気にしていなかったので、私は父の話を右から左に流しました。私の部屋のドアを開けずに説明する父の声は、濁って聞こえて感情が読み取れませんでした。でも、たぶん、怒ってはいないようでした。父は相変わらず、学校に行けとは言いませんでした。

 後日、通知表が郵送されてきました。封筒の表に「通知表在中」と書かれていました。封筒を開けずとも、この時だけは第六感的な透視能力が働いて、中に数字の1と2ばかり並んでいるのが見えました。今更成績なんて気にしないはずだったのに、いざ目の前に通知表があるとどうにも精神衛生上よろしくありませんでした。こんな成績しかとれない自分も、こんな成績をつけて郵送で送りつけてくる先生も、こんなに苦しいのに誰も助けてくれない世界も、不登校という選択肢をとった自分が結局一番悪いと悟れてしまう自分も、もう全部、全部嫌でした。私は八つ当たりをするように、通知表を通学鞄の中に押し込んで閉じ込めてやりました。


 当時の担任の先生はあまり好きではありませんでした。30歳代のまだ若い男の先生でした。生徒からは坂ティーと呼ばれていました。坂井先生だから、坂井ティーチャー、略して坂ティー。一部の女子から人気でした。目立つ子や陽キャ体質の子ばかりにちょっかいを出して、生徒と仲の良いフレンドリーな先生を頑張って演じていました。坂ティーは私にはてんで興味がありませんでした。

 自分に興味がない人ってわかるんですよね。例えばプリントを手渡す時、他の子には一言声をかけるのに私には絶対ないし、すれ違いの挨拶で私と目が合う事はまずありませんでした。立ち止まって会話するなんて一度もなかったです。彼にとって私は、ベルトコンベアに運ばれて流れ去っていくだけの生産物のようなものだったんだと思います。何より稀に目が合う時、母と同じ目をしていたので、私に興味がないんだなって確信しました。褒めも貶しもしない、私を透明人間にするような先生だったので、あの先生は好きではありませんでした。

「新学期、学校で会えるのを楽しみにしてる」
 そんなセリフをどんなテンションで、どんな顔して、どんな声色で言ったか知りませんが、今まで私に楽しそうに接してたきたことなんて一度もなかったのに、私が登校したら彼は一体どんな反応をして迎えてくれるつもりなのでしょうか。少しだけ興味が湧いて、鼻で笑いました。

 まぁ、でもやっぱり、中学最後の担任の先生は坂ティーじゃないといいな、と思いました。


つづく

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