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永遠のような一日

やっと深く息を吸えるようになった。

最近ため息ばかりで嫌になるな、とひとりごちると
「山ではいっぱい吐けって言ってるよ。そうしたらいっぱい吸えるから」
と、その場に一緒にいた義父が言いました。

ご存じの方には説明などいらないでしょうが
義父は十勝岳とスキーをこよなく愛する生粋の山男です。

そんな義父から言われたその言葉はかなり心に響き
ため息がマイナスなものだと思っていた自分を
すこし恥ずかしく思った。

いっぱい吐いたらその分吸える。
躊躇しないで、吐いて吐いて、吐きまくろう。


近頃は気がついたら夜布団の中にいて
気絶するように眠っています。

どんな物事にも側面があって
気がついたら布団の中にいて気絶するように眠るというのは
とある側面から見たら、きっと贅沢な暮らしでしょう。

片付けたそばから散らかっていくおもちゃたち
整えようにも頭と体が追いつかなくて
全然整わないプライベートな領域
そんなカオスな日々でも紅葉を見つけると心が動かされ
息子の成長ぶりには毎日飽きることなく驚かされ
お腹は平然と空くしコーヒーはたいてい飲みたい。

どうやっても鎮まらない感情は
薪をたたき割って発散させるような
なんとかなっているように見えて
自分の中での混沌が極まっている日々でした。
もうどれだけ吐いても、吸う気力が湧いてこないほど。

そんな混沌の極みの極みつけの三連休。

雨の降る連休二日目
息子に誘われ、二人で旭山動物園に行きました。

朝ごはんはいらない、というか
お弁当にして動物園で食べようよ
という息子の思いつきを実行すべく
朝ごはんのおかずを全てお弁当箱に詰め
お味噌汁もスープジャーに移し
おやつもたっぷり持って。

雨足は強くなる一方だったけれど
お昼を過ぎると嘘のように止んでしまった。

トラもいたし、ライオンもいた。
アザラシの優雅な泳ぎにはうっとりしたし
ペンギンの昼寝の様子も長いこと見ていた。

途中たいへんなことの方が多かったと思うけど
早送りのように記憶が飛んでしまっている。

とにかく楽しかったな、と思えているのは
帰りに寄ったカレー屋さんで食べたネパールカレーとナンと
甘ったるいチャイがおいしかったからかもしれない。


一日を思い返せばおどろくほどいろいろなことがある。

捨てたもんじゃなかったな
やっぱりあんなこと言うんじゃなかった、と
そうやって省みながら今日から明日に
明日からまたその次の明日に
何かを小さく抱えて向かうんだろう。

車を家に走らせながら
横でころんと眠ってしまった息子の
まあるい頭を撫でていたら
かわいい、と口からこぼれた。

どんなに毎日たいへんでも
一緒に生きていられる今。
この子と同じ家に帰れることが単純にうれしい。

空が落っこちてくるような
耳を疑いたくなるような出来事は
どうあがいても時々は起こってしまう。

そういう、人生で起こる面倒なことを
どうやったら抱きしめられるんだろう。


夜道を運転しながら
思い出したのはこの夏の記憶。

みずうみの町で暮らした半月は
わたしの特効薬のような思い出になっている。

この思い出があれば当分生きていけそう。

そんな風に、いつか思い出すであろう思い出を選んで生きたい。
選ぶ、なんておかしな話かもしれないけれど
明日の朝ごはんをどこでどう食べるか、と
考えてみるだけで未来がふんわり膨らんでいく気がします。

家族や友人のように
大切な人たちと一緒にいることだけでもいいかもしれない。

明日は朝から晴れる予報なので
たぶん公園に行ってザリガニを釣り
船に乗ってそれからようやく朝ごはん
なんてことを提案されかねません。

体力をつけないと。
仕事も片付けないと。
おしゃれもしたいし
お茶にも行きたいし
じぶんの時間もほしい。

思考は贅沢で欲張りです。

いっぱい吐いたおかげか
今日久しぶりに本を読む気になり
帰りに寄った本屋さんでライナー・チムニクの小説を。



装丁はパロル舎のものが好みですが
さすがライナー・チムニクの本。
カバーをとってみると
触り心地のよい表紙が現れました。

まくらもとに置いて
秋中かけて、ゆっくり読みます。

やはりわたしは、本や紙が好きです。
好きなものに包まれると、やさしい気持ちが溢れます。

永遠のように思えた一日。
終わりが見えた途端
泡のように儚かったと知りました。


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