マガジンのカバー画像

noteのあそびかた

71
noteたのしい。まとめ記事。
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

書き始めて1年。2月3日はnote記念日

最初にこの記事を書いてから、1年。 書いたものは265本。 ふりかえってみよう、この1年を。 noteに書いた言葉たちとわたしのこと。 1年前、noteを書く前のわたしは何してた?1年前、仕事(公務員)をやめて半ひきこもり生活をしていたわたしは、それでも毎日のように人と会ったり、日々の生活の中心が「外」にあると思っていた。 だけどわたしの中で培った、家で仕事をしたいという思いを捨てられなかった。 インターネットがうまれた創世記のwin95時代に、双子の子育てをしていたわたし

ひきこもり日記*note疲れ、マンネリ どうする?

レビューしたい本が10冊ほど積んである。電子書籍で読んだ本も含めれば相当な数になる。書かないで放置したまま、本たちはわたしの記憶からなくなるのだろうか。 今読んでいる本は1行読んだだけで「あ、これ読んだことある」と思いつつ全く記憶になく、初めて読んだように進めてもうすぐ読み終わる。書いて、記憶に定着させることが目的で、今までレビューを書いてきた。 もちろん読んだ本を全部、書いてるわけじゃない。 Notionにだけ感想を書いてる本だってあるけど、なんとなく人に読んでもらう前提で

エッセイ『秋桜』#シロクマ文芸部

「秋桜」と書いて「コスモス」と呼ぶようになったのは、あの歌がはじまりなんだって。 ショートショートを書こうとしても、あの曲のイメージが強すぎて、どうしても母との話しか思い浮かばず、いっそのことあの曲のことを書いてみようかと調べたら出てきたはなし。 当時はあまり悲しい歌という実感がなく、山口百恵さんが歌ってる姿が悲しげで、そして何よりさだまさしさんのファンだったわたしは、本当にさださんがこの歌の歌詞を書いたのだろうか、だとしたらなぜこんな風景が思い浮かぶのだろうと思ったもので

ひきこもり日記*人嫌い。なぜ他人のエッセイを読むのか?

前回の記事に「人嫌いだ」と書いて、ミイコさんにありがたい質問をいただいた。 「なぜnoteの他人の書いたエッセイを読むのか」 これに対しての答えが、答えになってないような気がして深掘りしてみた。 3年近く記事を書いていて(noteに登録してからは9月で3年経っている)noteが唯一の社会との窓口。どこにも所属がなく、家という「姓」だけに縛られた今の状態。これがいいかどうかはおいといて、人を避けているわたしは唯一の他人と繋がることのできる場所「note」でも、コメントを進ん

ひきこもり日記*書かないいいわけ

大合唱の蝉の声。 危険な暑さ。 雨が上がったのに気分が晴れない。部屋にいることがうれしくて本やらPCやらスマホやらiPadやらで、何かしらの活字を追っている。 反面、読書日記も映画感想も書けないでいる。けっこうレビューしたい作品がたまってる。書き出したらたぶんするする書けそうなのに、現実のわたしは何かを描こうとする気配がない。 書かないのはなぜ?なんて考えないで、頭の中を空にして、今やりたいことを優先してみた。 YouTubeを聞きながらお絵描きしたりメモをとったり。ドラマ見

ひきこもり日記*2周年!わたしがnoteとひきこもりを続ける理由

2月3日はnote記念日。 書き始めて2年が経った。それとほぼ同じ期間、家に引きこもっている。 今日はわたしなりのnoteと、ひきこもりをつづけるわけを書いてみようと思う。 初めて書いたnoteが2021年2月3日 そして1年後の2022年2月3日 ずっと言いたいことは同じこと。 書こうと思ったのは、何に感情が動いたかを、書き留めておきたかった。 わからないまま時間がすぎていくよりも、 何がわからなくて 何が知りたくて それを使ってどうしたいか。 何を感じたか。 そ

ひきこもり日記*振り返る。2022年とnote

今年も終わりますね。 新しい年と今日は急に何かが変わるわけじゃないのに、変わることを期待して気もちの振り返りをしてみようと思いましたが、それは紙のノートに書くとして、noteを少し振り返ってみようかなと。 ここのところめっきりnote時間が減っていて、どうしてなのかを考えるために書いています。 2月にプライベートで大きな衝撃がわたしを襲い、ここに書けないことが増えたのですが、そのことを記事にしたものを読んでしまい、人のこころって伝わり方が違うのだということを改めて感じました

ひきこもり日記*リラックスすることはダラダラすることじゃない

土日祝日の同居人が休みの日は、疲れやすいことをうすうす感じていた。ひとりの時間がないわけじゃない。同居人がいることで、じぶんがいつも緊張状態にいるらしいことに気がついた。 それは他人の目を気にして、じぶんの心地よさを忘れてるってこと。 じゃあ、今のわたしが他人の目を気にしないで、お酒飲んでごろごろダラダラしたら楽しいかと問われたら「違う」と断言できる。どう思われるかなんて関係なく、じぶんのその状態が、リラックスできていないような気がしてる。 たとえばnoteを書くことも、1

ひきこもり日記*振り返りnote

あっという間に11月。 寒さにこころとからだが対応できず、しかも1日の中で温度差が激しいからか、戸惑うように不定愁訴なこのごろ。 昨日はぼーっとして気がついたら夕方でした。 みなさんのところにも遊びに行かず、こころのドアも閉じたように過ごしてみると、ぽつんと静かにひとりです。 思えばわたしもnote始めて2年がすぎ(アカウントをつくってしばらくは書かずに読む専門でした)見える風景も感じるこころも、ずいぶん変わったように思えます。 noteのことばかり考えてたころも、落ち着い

ひきこもり日記*失敗しろ!とじぶんに言った話

最初から何もかもうまくできる人なんていない。 どんなプロだって失敗を重ねて、負けを認めて技術を磨いているんだろう。マンネリの時は「最新技術を勉強しにセミナーを受けに行く」と言った美容師がいた。彼は仕事が丁寧で信頼できた。 うまくいったやり方ばかりで進むと、ずれが起こっていることに突然気がつくことがある。古くなっていることに気付かず過信して、やることが甘くなる。緊張ばかりしていることがいいことだとは思わないけど、真剣さが新しい技術をうむ。 失敗を恐れて守りに入る時、目の前の

ひきこもり日記*じぶんを飽きさせない話

お酒飲んだり料理を作ったり歯磨きしたり本を読んだり映画を観たりゲームをしたり、じぶんが好きなことや習慣になってることは、飽きが来ない、と思う。 あえてこういう言い方をするのは、そんな好きなことでさえ、飽きるというかルーティンになって何も感じなくなることが、たまにある。 昨日、牛すじ煮込みを2時間かけて作った。出来上がったものは少し薄味だったけどなんとかじぶん合格点。だけど同居人は食べる前から、これはいらないと言って箸をつけなかった。わたしのエネルギーは一気に下がる。 いい

ひきこもり日記*もやもやするのは羨ましいとき?

帰省していたムスメが帰って行った。 我がムスメながら体力あるなあと尊敬する。 一緒に日帰り温泉行って、観光地を2時間ほど歩き回って、電車で往復した後、そのまま友だちと飲みに行って、帰りは徒歩だったらしい。 帰る予定の飛行機が機材トラブルで欠航。お金も時間もたくさん使って、夏休みを満喫したもよう。 彼女は、わたしがこれいらない?と言っても「いらない」と断固、拒否。 分け与えたい気分のわたしは、気もちが空中分解して、その気分が蒸発したようにもやもや。 自分の価値観があって、誰

ひきこもり日記*なつやすみの友

なぜ夏休みの宿題が「なつやすみの友」って名前なのか不思議だった。友だちじゃない毎日開くワークブック。内容がよくわからなかった。 今もよくわからない「友」だと思い込んでいる宿題に悩まされてて、はっと気がつく。義務なんてなにもない。自由にページをうめていけばいい。 ツール(道具)が目的になったときに、振り返るとわかることがある。 noteはわたしが好きに書く道具だったことに気がつく。それは目的じゃない。目に見える数字に振り回されない楽しみを忘れて、義務になってなかったか? ス

ひきこもり日記*読むチャネリング

8月になりました。 暑さにあきあきしつつnote散歩。 スキが好きに押せないから、最近のわたしは舌舐めずりしながら、あなたの記事を読んでいます。ごちそうを味わうときに好きなものを後回しにしているとお腹いっぱいになって味わえなくなってしまう、でもがっつりおいしいものをいっぱい食べたい……そんな気分で記事を読んでいるとわかることがあります。 言葉の奥にあるものがエネルギーになって届くのです。 それはわかりやすい文章だとか、論理的だとか、そんなことは関係なくて、言葉から伝わるエネ