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配慮のある人間に

2023年7月6日 Thu 12:41

配慮。
私は、”配慮”がない人がとても嫌いである。

例えば、本屋に囲まれた静かなカフェ。
落ち着くBGMが流れ一人席が多いここ。
そこには、勉強に勤しむ人やパソコンを開いて
仕事をしている人や静かに本を読む人がいる。

そんな中、大声で会話をする大人ふたり。
私はこういう人が嫌いだ。
意外と、こういう人が多い世の中に疑問を感じる。

空気が読めない、とか
常識がない、とか
そういうことが言いたいわけじゃない。

ただ、周りを見れば勉強をする学生や
仕事をするようないわゆる”一生懸命”集中する
人たちが視界に入っているのに、
それを横目に大声で話せる心境がわからない。

それは、人として、尊敬できない行為である。
私からすると、人に対する想像力が足りない人だと思える。
人のことを大切に思えていない証拠だ。

確かに、明記されたルールも法律もない。
だからこそ、自分で考える頭が必要だ。
自分で気づく心配りが必要だ。

「静かなところでは大声で話してはいけません」
「人の集中を阻害したら罰金100万です」
という法律がないと静かにできないのか。

「お静かにお願いいたします」
「大声での会話はソファ席でお願いします」
というルールがないと静かにできないのか。

あえてわかりやすく言葉にして
システム化しないと、わからない事なのだろうか。

「いや、ここカフェだし。
別に静かにしろと言われてないし」
という正論で返してくるのはもっとタチが悪い。

言われているとか、そうしなきゃいけないとか、
そういう次元の話をしているのではない。
ますます尊敬できない。

結局、その人のアウトプットの形が
そうである以上その人はそういう人なのだ。

自分が悪気がなければいいのか、
ルールや法律を破っていなければいいのか。
そうやって、配慮がないことにもづけず
悪気がないからいい、と考え直さない人。
さらには、そうやって自分を正当化する人。

こういう人が世の中に増えていくことは
ますます恐ろしい。

大きな話をすれば、
だから世界は戦争が起きる。
みんな自分が正しいと思っているから。
「悪気がなければいい」が罷り通るなら。

今日のカフェで大声で会話していた大人たちは、
そのうちの一人が気がついて席を移動してくれた。

より大きな声で話していた
もう一方のサラリーマンは
なぜかよくわかっていない様子だった。

会話の内容も、席を移動しようと提案した方が
新規ビジネスのアイデアを出して指示出しをしていたが、

大声で話す配慮ない大人の方が
「いやぁ、そう簡単にいうけど一生懸命やったんだよ」
「あそこの人は何回言っても全然わかってくれない」
などと、言い訳ばかりしていた。

配慮のない大人って、
それがその人のアウトプットだから
ここだけではなく他の場所でも人間関係も
仕事も同じような振る舞いなんだろうな。

結局、それがその人なんだ。
その人の生き方そのものが現れる。

私は、配慮のある人間になりたい。
私生活も、仕事も。家族にも恋人にも友達にも
初めましての人にも。日頃から気をつけたい。

そのためにも、ルールや常識にとらわれずに
自分の頭で考え周りのことを思いやる気持ちを
大切に、忘れないでいたいと思う。

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