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後発者としてのデザイナーの学び_#1

自分は建築を数年かじった後に、NPO/NGO畑で数年間、事業会社やコンサルティングを経て、建築/デザイナーとして学び直している。

おそらく業界としては遅れて、どのように力を磨けるのか?かつその分野で生きることができるか?個人のライフテーマに挑めるか?を模索している後発のデザイナーである。その前提に立って、改めてデザイナーとしての働き、そして学ぶ中での気がつきや教えてもらったことを自分のためにも地道にまとめていこうと思う。

デザインという概念、デザイナーという職業は、一つの専門職から、個人や社会のニーズから離れる事なくその関係においてプロジェクトを捉え、目の前の課題を解決し、無から有を生み出すという広く意味のある姿勢へと認識を改める必要がある。

モホリ=ナジ

もしかしたら「至極当たり前」のものもあるかもしれないが、複雑に絡まり合った社会課題に対してひとつづつ形を与えて解いていく社会派のデザイナーにとってプラスになれば嬉しい。今回はお世話になっている組織での1on1を通して学んだことや内省をしたことを中心として整理する。

1.できることやしたいことよりも「できないこと」の自己理解への対応で人を見た方が良い

多くの若者はその感性とか情熱以外を拠り所にできないからできることやしたいことを語ってしまうが、本来長期的な目線で考えたら「できないこと」をちゃんと一緒に働く人には伝えるべき。
若者の「できること」は、簡単に安く搾取されてしまう(世の中のインターンなど)し、本当は大して「できること」でもない。
「したいこと」は素人なのであれば実績なしでは任せてもらえない、したいことをやらせる場合は「アイデアを盗みたい」か「若者の感性を吸収してます感」を出したい人だけ。逆に「できないこと」への自己理解があって、それを仕事をする人にちゃんと伝えることができていることの方が遥かに重要。それでも一緒に仕事してもらえるかどうかで若いうちは大人の質を見極めるべき。

2."新しいことを、凄そうな仲間と考えている感"に資本が集まり、形を与えると数字が生まれ、そしてPoCは消滅する。これをどう回避するか?がデザイナーの役目でもある。

ホワイトカラーの人の特徴として、PoCは中背の貴族的なお遊びだと考えた方が良い。彼らはそれがスケールするか、本当に世の中を変えうるか、社会にとって本当に意味のあるものかに興味はなく「新しいことを、凄そうな仲間と一生懸命している感」の方が重要であり、多くのPoCは彼らの体験価値のための予算である。だから多くのPoCは彼らの福利厚生や意思反映の受け皿、または経験的な勉強代にはなっても社会実装までは結びついたりしない。デザイナーは彼らの妄想に対してリアルに形を作っていく存在だけれども、この前提を理解していないと形の作り方を間違えてしまう。彼らのお遊びをいかに社会的意義のあるものに捻じ曲げるのか?に力量を発揮するべきだし、社会を考えるデザイナーであれば重要なこと。

3.アカデミックな問いだてができても、最後まで形にする能力がないと、最後はワークショップしか職能にならない。

理論家やアカデミックな人々は学問を更新して、存在価値を獲得しているが、では社会はどうかというとあまり良くなっていない。そしてアカデミックな存在は考えや問いに対して明確に「形を与えること」をせずに「ペーパーで答えること」のみをしている。彼らが躍起になってワークショップをしたるするがそれは、形にするのが怖いからと言う潜在的な恐怖心もあるのだろう。これでは問いは良くても社会が変わらない。これは明らかにアカデミックと実装の目線の乖離が発生していることにある。デザイナーは理論家ではない。実装者である。しかしアカデミックな問いだてが弱いと本質をつくことができない。なので両輪を回せるようにチームを組んだり、個人のアビリティを書き換えないといけない

4.コンサルは空中戦、最終成立しなくても良い。デザイナーは形として必ず成立させなければならない。

コンサルティングとデザイナーの違いを踏み間違えないようにしよう。
コンサルは空中戦の猛者、実装までの責任や実装への興奮を持たず、それらしい初期ドラフトと課題設定、アイデアの種と解き方の伝授が生業であり、「形」を与えようとするわけではない。デザイナーはコンサルティングのやることももちろん行うが、最後は形まで落とすことだ。
そのアイデアの種は形になりうるのか、リアルにできるのか、誰と協力したら可能そうか…その辺りまでシビアに考えなければデザイナーではない。
どのくらい実装されたものがあるのか、形になったものがあるのかでデザイナーの力量は測ることができる。

5.若者が勝負する場所として建築は難易度が高く、経験の壁を壊しにくい。これをどうするか?

クリエイティブやアイデアやオピニオンなどは若くても感性やそれっぽいラーニングで意外と社会ですぐ戦えるようになる。コピーライティングなどは扱うものがそもそも「言葉」であるし、生まれてからずっと触れ続けているものだ。完成速度も相当早い。事業やサービスも同じであり今の時代ナレッジも横展開されているので学ぼうとしたら簡単で若くそして時間があれば十分戦える。建築やハードの設計は全く違うかもしれない。途方もなくできるまでに時間がかかる。だからこそ大人や老人が業界の上位に居座る続けることができている、流動性の低さは取得できる能力が時間軸によってほとんど規定されているからだ。1級ををとってからスタートみたいなものだから。

こことどう戦うか?が君の問題点かもしれない。
確かに時代の変化は加速していて、能力の捉え方も明らかに変わっている。でも業界の能力構造は変わっていない、これはなぜか?建築計画の問題かもしれない。ここに対してイレギュラーな解答を仕掛けてプロトタイプを作っていくのでも戦い方としては良いかもしれない。

あとは「いかに成長速度を早めるか?」設計スキルはこなした量であるし、しかしスキルとは何か?は揺らぎ出しているからただアトリエでやるとかだとかなり視点を間違えているといえる。ではどこで何をどのように働いたら成長速度を早めることができると思うか?そこのところが重要。

6.23歩先の問いだてから発想する。周りと同じ問いだてから発想しない訓練をする

何かしらのプロポーザルを生み出す時、いかに希少性があり、そして形までの道筋が見えるアウトプットを生成できるかが重要。周りと同じような未来しか見通せていないと問いも同じになる。違う問いだてから形を呼び起こすこと。

7.仮説の表現だけ上手くても十分ではない。

建築を学んでいる人は「仮説的なプログラムや提案をいかに表現するか?」という偏ったスキルセットばかりを磨いてしまう。その磨いたスキルはどのような場面で使えるのかというと今資本の得れる場所はどう考えても企画職以外に無くなってしまっている。建築にそのような表現を受け止めてくれる土俵はないし、スケールしない。
いかにして自分の考えを上手に表現するかという表現手法だけではなくて、複雑性を認識し、複雑で不可逆性の高い問題を解いていく力を養うこと。それは必ずしも今までの建築の領域だけではないはず。

8.理論家は初期検討だけが上達してしまう。そこがアカデミックの限界性。モジュール/スケール/社会実装までを統合する必要がある。

理論、アカデミックサイドは常に初期検討の論理武装。それが研究でもあるが、理論と実装は両輪で回さなければ事例は生成されないし、圧倒的な量を作りながら理論を生成するみたいな積み重ねによって瞬間が生まれる続けていることを忘れてはいけない。とにかくややこしいことが知性の表現ではなく、実用性でもないので、いかにモジュール/スケール/社会実装の観点からアカデミックを分解して溶け出せるか?

9.事業を作ることも、企業を再構築することも、サービスを作ることも全て建築であり、そこにはデザインルールが存在する。デザインルールは勝負するためのマテリアルである。

隈研吾の勝負するマテリアルが木や石などのプリミティブなものであるのと同じように、ビジネスデザインの手法すらも勝負するマテリアルになりうる。これは建築家としての武器選択である。大事なのは自分にとって勝負する武器は何とするのか?そこを決め切ること。段々とその武器を何度も振って磨いていけば、同じデザインルールで戦うことができるようになる。

10.圧倒的な専門性がないと理論的なアイデアに価値はつかない。人間味に頼ることになる。それはデザイナーにとっては不幸である。

専門性というものはすぐには身につくものではないが、その専門性がないとデザイナーとしての価値訴求の難易度がぐんと上がる。それを回避するには人間性や人柄、ビジョンで訴求するしかないが、それは無形のものでありデザイナーにとっては不幸なことかもしれない。確かに分業的な存在になることへの忌避感もわかるが、世の中で生きていく上ではとても重要だから、何で専門的になるのかを考えよう。

11.IからWeへ

自分のこと、自分のやりたいことは生き生きと話して実践しようとするけれど、私たちやクライアントの与件に対してはまるもの、または与件をこちら側で解体しリビルドするなどの思考ができる若者は少ない。悪いことではなく経験に依存するものでもあるが、Iが主語であることに頭を使いすぎても社会という荒野を歩むことはできない。私たち、またはあなたたちがどのような要望を欲しているのか、それに対してどのように叶えていこうと思えるのか?IではなくWeの感覚を身につけた時デザイナーはようやく自己表現のたがからはずれ、社会的な意味のあるものを作ることに向き合えるはずだ。

12.その他

デザイナーは、資本主義下で回る無意味なデザインでお金を稼ぎ、本当に形を与えるべきものや社会的意義のあるものに投下していくようなその動かし方が重要。デザインは信念を形にできるからこそ誰の何のための信念に対して形を与えようともがけるかが重要。

要は稼げるとこで稼いで,お金にならないことにお金と命をかける,両輪の違いどっちも重要ってやつ.自分にとっての価値は他人にとっての価値ではないし,価値がついてるとこで稼いでも,他人と同じ価値に乗らずに,信念へと投資するような感覚.わからんかもしれないけど,そのうちわかる.そのうち.

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