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非モテの極みだった私が、2ヵ月で6人からプロポーズされてプロ妻と呼ばれるようになるまで

▼はじめに


こんにちは、まさこです。

私はこの数年で、人生が大激変しました。
アラフォーどん底からの下克上。

大激変後の私について簡単に自己紹介すると、

・アラフォー婚活した40代で、3児のママ、ゆるくワーママ
(一般企業の正社員ですが、よく専業主婦に間違われる)

・毎日安心して、将来もお金も心配せず過ごしている

・アラフォーで始めた婚活は「必ずプロポーズを引き出すモテ無双状態」で、めちゃくちゃ楽しくて、婚活終えるのが惜しかった(笑)

・”理想の結婚相手像72個”に完全に当てはまる男性と結婚4年目で、結婚当初よりラブラブ

・夫に対してジャイアンでありながらも「姫」と呼ばれ、大切に愛されており、知人から「プロ妻術」を教えてほしいと言われる

・自分でもお金稼いでいるけど、夫から毎月生活費という名のお小遣いをもらっている

・夫へのプレゼントに躊躇なく30万円以上使える、夫に躊躇なくいつでも30万円借りられる

・家事は1日15分。包丁持つことや火を使う料理は数ヶ月に一度レベル

・義実家連泊中も何もせず、上げ膳据え膳三食昼寝付き生活で楽ちん

・学生時代は毎日怒鳴りあいの喧嘩をしていて、大人になってからは冷戦状態だった親と笑顔で会話&LINEでメッセやり取り。育児で頼ったり、一緒にアフタヌーンティーや旅行

・2歳児&0歳児の双子がいても、自分の好きな時に好きな事で収入を得ているし、忙しくない
(友人にも、働いてるんだっけ?と聞かれるw)

・育児が苦手でも子供たちが可愛い

・パンピーサラリーマン家庭だけど、産後は週4回ヘルパーさん頼んだ

・子供が0歳だった頃に1ヶ月海外旅行したくて、仕事大好きな夫に育休取得してもらった(海外行くのは私一人)

・夫が育休中は夫が17時までワンオペ育児。私は毎日ゴロゴロしているだけ

・元重度のメンヘラだけど、現在はメンタル安定感バツグンと言われる


これらに加えて、
2022年~は、
・私の稼ぎで、親と夫と2歳&0歳双子達を2週間の海外旅行にご招待
・子供3人を夫と親にお任せして、ひとりで1週間の海外旅行
・93万人の登録者がいる著名Youtuberの5年ぶり講演会開催の場に立ち会い、運営に参加
・子供達が映画出演し、誰もが知る有名女優さんと共演
・映画の舞台挨拶で、出演した子供だけでなく、私の話題も出る
・婚活エピソードが漫画化
・思いついて3日後にひとり韓国へ
・芸能人と普通に話す
・週5勤務しながら、興味ある講座10個掛け持ち受講するくらい時間リッチに♡
・5ヵ月に1度は海外旅行
・10万部突破の「女子とお金のリアル」ライター
・ニュース番組に出演
などなど・・

またまたハイパーな変化がありました。


子連れで韓国へ!アサギストと合流



35歳まで非モテの極みだったのにも関わらず、
モテまくりのアラフォー婚活から理想の結婚をして、
パートナーシップだけでなく親子関係にまで大変革が起こってしまい、
人生まさかの大逆転!!!!
”アラフォーの星☆”と言われます。

このくらい、探せばまあまぁいるでしょう(笑)
それでも、”私だけの幸せ”をみつけることができました。

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因みに、婚活成功ていうと、”イケメンハイスぺ夫”と想像されがちですが、
夫は、イケメンじゃないし、巨乳の持主、低身長。
ハイスぺ経営者でもありません。
パンピーサラリーマン。

性格が素直で視野が広くて、(よくみると)二重。
フィリピン人ぽい風貌。
一日最低一回は笑わせてくれます。
とっても可愛らしいです。

私だけの幸せをみつけました。


こどもたち


35歳で作った「夢リスト」に書いたことも、ほとんど叶っています。
叶姉妹のファンイベントに当たり一言ずつ言葉を交わし、握手しました!
岩井志麻子さんのイベントでも、ご本人とお話出来ました!


でもでもでも。。。。
35歳までの私は、「普通の幸せ」すら掴めないと思っていました。
10歳〜35歳まで、居場所がなくて寂しくて不幸せだった。
ほぼほぼ、人生どん底だった。

幸せな人生を送れるのは、
学歴や才能やお金がある人、
子供の頃から親の愛情に恵まれた人、
顔や性格が良くてモテる人、
だけ。

私には無理。

私のように、
怠け者で取り柄もなく、
誰からも愛されていなく、
35年の間に彼氏すら満足にいなかった人間は、
幸せになることなんて無理。

でも、でも、でも。。。
せめて「普通の幸せ」が欲しい。

無理、でも、無理、でも、・・・の無限ループ。


その無限ループから抜け出したのは35歳以降。

無職、彼氏いないどころかオミパで無視される、病気になる。

「やば、人生詰んだわ・・・」って状態になった時に、
「ホントはやっぱり幸せになりたいー!周りを見返したいー!」
と強く願い、足掻くことにした。
人生で一回くらい、足掻いてみようと思った。
 

すると、、、
”想像以上のレベルで愛も自由も恵まれる、
かけがえのないものに囲まれる、
めちゃくちゃ豊かな人生が手に入ったのです・・・!!!”

って、ありがちなフレーズ。

嘘やん・・・?
怪しいですよ?
って感じなのもわかります。


私自身、35歳までのずーっとモヤモヤしていた時期には、
こんな未来が待っているなんて、想像もできませんでした。


だって「せめて普通の幸せを掴みたい」って思っていたから。
その普通ですら、よくわかっていなかった。
どうなりたいのか、わかっていなかった。

「私らしい理想の幸せ」を手に入れた今では、
逆に「普通の幸せって何?どーゆーこと?」て思います。


ちなみに、ほんの数年前、35歳の私は、
・人生で彼氏いた総合期間1年未満のほぼ処女
・10年間彼氏いない
・彼氏いないといえばまさこ
・モテないといえばまさこ
・女扱いされないといえばまさこ
・飲み会でプロレス技をかけられて動画とられて笑いものにされる
・残業80時間で鬱になりかける
・仕事が半年続かない事が続き、無職
・貯金もない
・婦人科系の病気になる
・10代の頃から実家にも居場所がない、親とは口をきかない
(それでもお金無くて実家に住んでました)


将来が不安で不安でたまらなかった。
(いまの私しか知らない人には、想像できないって言われるー。
けど、これが事実なのよ)


男・金がない、だけならドラマの主人公の設定?てなるけど、
健康・親子関係も悪い。
夢もない。

・容姿は並以下
・困ってる人に手を差し伸べる心優しい人でもない
・何かに打ち込んで頑張っているわけでもない
・何でも打ち明けられる人もいない

さらには、
・親子関係悪いレベルが引く
・重度のメンヘラ
・性格がひねくれている

どこをどう切りとっても、主人公になれない。


長年の友達の結婚や出産を表向きは喜んでいるフリして、
心の中では「なんであの子が結婚できたのに、私は彼氏も出来ないの!?」
そんな風に思ってしまう自分に嫌気がさしていた。

毎日自分責めして、
鏡に向かって「大嫌い!ブス!」と言っていた。

ここまでの話をすると
「before afterが別人すぎる」
「盛ってない!?」
と言われることもあります。

別人並みに外見も内面も変わったし、
悲惨度全く盛ってない。

先の見えないどん底人生から脱却したくて、
35歳から大変身したんです!!!
我慢しまくって努力したわけじゃないんです!


ここからの私の物語を読んでいただければ、これが真実だとわかるはず。


私が変化したキーワードは
「自分の気持ちを相手に伝える!」


これ、「何言ってるの?普通でしょ?」て感じかもしれませんが、
「本当に本当の自分の気持ちを誰かに伝える」って、
私にはかなり難しかった。

昔から我慢癖が身についていた&人が信じられなくて、
「自分の気持ち」を言っていなかったことに、
全く気付いてもいなかった・・・。


なので、今に至るまでには、様々な事がありました。


そんなわけでまず最初は、
私の今までの経歴や、
具体的にどんなステップを経て私が変わっていったのかについて、
書いていきます。

ちょっと長い上に、前半は暗い話が続きますが、
後半はハッピーになっていきますので、ご安心ください(笑)
エンタメ感覚で読んでもらえたら。

ササッと斜め読みでも、
最後まで読んでもらえれば、
これが”どん底アラフォー女”の身に起こった現実だと、
わかっていただけると思います。

いまさら何も変わらない、
普通になりたい、
いい歳して理想なんて求めるべきじゃない、
幸せな家庭を築くなんて無理、
気持ちに蓋をしなければならない、
と諦めている女性に、
少しでもヒントになると嬉しいです!


では、ここから私の物語です。

まずは、恋愛・結婚編から!

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1.心を閉ざした子ども時代

私は、4人兄弟の長子長女として産まれました。
父母は福岡県出身でしたが、父は転勤族で、結婚当初は北海道に住んでいました。
私と上の弟は、北海道で産まれました。

その後、私が4歳くらいのときに埼玉県へ。
下の弟が産まれました。

この頃までは、私はごく普通の温かい家庭の中で生きていていたと思います。

でも、私が6歳の時に妹が産まれたことで、私の世界は一変。
それまで私が世界の中心にいたハズなのに、家族全員の注目が妹に向けられるようになったのです。


さらに、私が10歳の頃から、父は単身赴任。
母は、父も親族もいない土地で、パートをしながら4人の子供の育児を一人でする事になりました。

そんな母は「育児ヒステリー」を起こすようになります。
ターゲットは、私でした。
私ひとりだけ。

弟妹と扱いが違うことに気付きました。
私は、母の顔色を伺って何も言わなくなりました。

その頃から、私は学校でも疎外感を持つようになります。
すぐハブられていたのです。
仲間外れになりたくなくて、嫌がる私を羽交い締めにして
おっぱいを揉んで笑っている子達から友達認定してもらうのに必死でした。

悩みを打ち明ける相手はいませんでした。

困っている時に家でも学校でも助けてくれる人はいない。
どうせ私の話は誰も聞いてくれない。
誰も信じてくれないし信じられない。
自分一人で生きていかなければならない。
小学6年生の頃には、強くこう思うようになりました。


私は、中学→女子高→短大、と進学。

親との関係性は悪くなるばかり。
親には挨拶すらしなくなりました。

学校でも、まだハブられていました。
友達付き合いがよくわからなかったんです。
女子怖い、って思っていました。
言っちゃいけない事があると学びました。


トラブルが起こった時の対処法は、
静かに時が過ぎるのを待つ、耐える。

人に相談すれば解決できるかも?
言い訳をする、誤解を解く、
ということすら、考えませんでした。

人を信用することはありませんでした。
絶対に自分の本当の気持ちを話すことはできませんでした。




2.モテないお笑いキャラ まさこ。

安定志向の私が就職したのは、大手企業。
都内で働く憧れは捨て、大手企業の工場、地元就職をしました。

社会人になった私は、ある能力を使えるようになりました。
それは、”特定の人物に嫌われないようにキャラ変する”能力です。


”いつも職場内にイジメのターゲットをつくる人種”、
に狙われないように過ごしていました。

たまたま、従業員3000人に嫌われている悪名高い上司や、
厄介者と有名なおばちゃんと同じ部署に配属されたのです。


小~中学生は、よくハブられていたので、
自分を守る為に道化のようなポジションをしていました。

社会人になってからは、「いじめをするタイプ」に対して、
「この人はこういうタイプだから、こういう風に接する人に弱い」と分析して、
その人に合ったキャラクターで接していました。

「いじめられると居場所がなくなる」「安定した職場を失うのが怖い」
という思いが強かったのだと思います。


おばちゃんは、プライドが高く、気分屋で、男性ウケする女性やおばちゃんより仕事で頼られる女性が嫌いでした。そのくせ、攻撃には弱い。

なので私は、わざとおばちゃんに男性上司を愚痴を言ったり、
おばちゃんが見てる前では若手男性社員と話さないようにしたり、
本当にキレたら怖い人アピールをしていました。

それだけでなく、おばちゃんが機嫌悪いときには、
おばちゃんお気に入りの若手男性社員に「おばちゃんと世間話をするよう」指示を出したり、
特に仕事で相談しなくていいのに、難しくも簡単でもない質問を考えて相談するフリも、
していました。

年々女性社員が減って、最終的に部署内の女性がおばちゃんと私だけになっても、
私はいじめのターゲットにはなりませんでした。


幼い頃からそんなことが当たり前だったので、
人が求めるキャラクターを演じていることに全く違和感はありませんでした。
我慢しているつもりも全くありませんでした。

20歳の時に、職場恋愛で初めて彼氏ができました。
高校は女子高だったし、短大でも恋愛に縁遠い生活でしたから。
とても幸せでした。

しかし、幸せな期間は2週間で終わり、すぐにギクシャク。
私が、恋愛メンヘラ女だったのです!!!!

友達付き合いのときは、女子っぽさがない明るいお笑い担当キャラだったのに、
付き合った途端に自分に全く自信のないヘビー級に重い女。

それが、本当の私だったのでしょう。
相手もビックリするハズです。
暗い顔で「本当に私でいいの?」といちいち聞いたり、
試すようなことをされたら、かなりウザいです。


かなりメンヘラ入っているのは分かっていましたが、
私はただ、愛されているのか不安だったのです。

社内で毎日顔を会わせているにも関わらず、連絡を取らなくなりました。
半年経たず、お別れを言われました。

この時も、私は誰にも相談せず、社内で仲良くしていた人達にも
彼氏が出来たことすら報告しませんでした。


一方、お笑いキャラの私には合コン幹事のオファーは絶えず、合コンはよくしていました。
良いなと思った人もいましたが、お笑いキャラゆえに、
恋愛対象としてみてもらうこともままならず、デートにこぎつけても1-2回で終了。
いつもなんとなくの片思いで終わっていました。


会社の飲み会ではさらに輪をかけて女扱いされておらず、
頭からお酒をかけられたり、
両足首を持たれて床を引きづりまわされたり、
忘年会でパンスト相撲の相手に指名されたり、
ということが、普通でした。

お笑いキャラだからその扱いが普通と思っていましたが、
そんな事をされている女性は、私以外にはいませんでした。


"モテないお笑いキャラ"が定着したまま、私は27歳を迎えます。


地元茨城県の工場で働いていたこともあり、その会社の常識は、
”20代で結婚して、30代で子供がいてマイホーム持つ”でした。

そこからはみ出ると、
”30代で結婚していないなんて終わり、40代で独身の人なんて人間じゃない”
くらいの扱いでした。

私は非常に焦っていました。
同期や後輩、社外の友人がどんどん結婚していくのを見ては、嫉妬していました。


その頃は、人手不足で仕事が増え、その分こなしているのに、
上司との関係もうまくいかず、それが原因で査定を下げられ限界でした。
毎日イライラして荒れていました。

結婚もできない、それ以前に彼氏すらできない。
さらに仕事すらうまくいかない。


色々なことが嫌になり、ついに、29歳で9年勤めていた会社を退職。
安定第一だった私にしては、大決断でした。


会社を辞めた私は、ワーキングホリデー制度を利用して、
オーストラリアに2年間滞在しました。

オーストラリアでは、これまでのストレスが嘘のように、
私は穏やかになり楽しく過ごしました。

日本で”常識”と思っていたことに縛られることなく、
色んな考え方がある、人に縛られなくていい、年齢は関係ない、
という環境も私に合っていたのだと思います。


そして、10年ぶりに、2人目の彼氏が出来ました。
8歳年下のインド人です。可愛かったです。
(私は年下好き)
が、この時も、初SEXを境に、恋愛メンヘラ女になりました。
付き合って2か月後には、都合のいい女になっていました。

その彼とは半年以内に別れましたが、その後のウキウキワーホリライフでも、
恋愛は全然上手くいきませんでした。


帰国後、派遣会社に登録して都内で働くことにしましたが、
一人暮らしをするお金がないので実家住まい。
相変わらず両親との関係は冷え切っていました。

お得意のキャラ変能力で会社生活を乗り切って上手くいった時期もありましたが、
やがてそんなコミュニケーションテクニックが成す術もなく、
仕事量の多さと自分の能力不足に苦しめられることになり、鬱になりかけました。
仕事を辞めました。

この時35歳。

将来が不安過ぎてせめて結婚しないと、と婚活もしていましたが、
お見合いパーティー(男性が順番に入れ替わる1:1で話す回転寿司形式)ですら、
目の前に座った男性に無視されるレベル。


恋愛もさっぱり、仕事もダメ。
お先真っ暗、どん底でした。

どん底の底に沈み過ぎて、何か変えてみたくなったのかもしれません。


これまで、親しい人にすら自分のことを少しも打ち明けようと思えず心を閉じていましたが、
はじめて「誰かに相談してみよう」と思いました。




3.絶対プロポーズされる女 まさこ 。でも…

実は、私の友人には、モテ無双が数名いました。
でも、彼女たちと私は容姿も経験も違うと思い、相談することを考えたことはありませんでした。

まず、オミパの相談をしました。
すると、「その場で1番にならないと意味がない。ヘアメイクと服装気合入れないとダメ。私ならお金払って美容室でヘアメイクしてもらってからパーティー参加する」と言われました。

目から鱗でした。
美容室でヘアメイクなんて、結婚式に出席するときくらいしか、したことがありません。
メイクも自己流。
友達に言わせると、私のメイクはしてるんだかしてないんだか、レベルでした。


さらに、友人から占い師の人も紹介してもらいました。
その占い師さんのところへ行くと、「服は男ウケするものを着ろ。美味しそうな女になれ」とアドバイスされました。

またしても、目から鱗でした。
男目線なんて、考えたこともありません。

ひとまず、占い師さんに言われた通り、ピンクでふわふわ感のある小物や、花柄のワンピースを購入してみました。

そして、美容室でヘアメイクしてもらってから、婚活イベントに参加するようにしました。

すると、、、1:1トークですら目の前の男性が何も話さなかったのに、
フリートークタイムで男性に声をかけられて、初めてカップル成立しました!
別のイベントでも、連絡先を聞かれるようになりました。


人のアドバイスを聞くって、すごい!!!

私は、その時「自分に出来ることはすべてやろう」と決めました。


気に入った男性からも気にかけられるようになりましたが、
もっと早く結果を出したくて、「婚活師匠」のセミナーに通うことにしました。
ファッションコンサルを受けたり、男性目線のモテテクを教わりました。

師匠のセミナーとは別に、姿勢やウォーキングのレッスンにも通いました。

本当に、アドバイスはすべて言うとおりにして、出来ることはすべてやろうと決めていました。

すると、婚活で成果をあげるようになっただけでなく、
35歳にして、”人生初めてナンパ”されました。


私はモテテクを使ってぶりっ子したりモテキャラを演じきっていました。
モテるのが楽しかったのです。
明確なメリットを感じた私は、例の、”求められているキャラクターになる能力”を最大限発揮していたのでしょう。


いつの間にか、5年ぶりに彼氏も出来ました。
が、この彼氏のことは全然タイプではありませんでした。

私は、”私の事が好きな安全な彼氏”をキープしたまま、変わらず婚活を続けていました。

婚活では彼より好きな人がどんどん現れましたが、
なかなか「結婚」という話にはならないまま半年過ぎました。

そんな時、本命の男性から「結婚前提に付き合いたい」と言われて、付き合いました。
完全二股でしたが、有頂天でした。

どうやって今の彼と別れよう?と思っている所に、その彼から真剣にプロポーズされました。
初めてされたプロポーズはクリスマスイブの前日でした。

私は即効でその彼のプロポーズを断りました。
彼はさびしそうに「そうだよね・・・」と言いました。

彼は真面目に私のことを考えてくれていたので、
付き合っている時も「結婚するまでsexしない」という私の考え(師匠の教え)を守り、
付き合ってからもキス以上のことは一切してこない人でした。
(それ以上しようとする男性はたくさんいました)

彼の後ろ姿を見送りながら、
私は「彼は真剣に結婚を考えていたのに、私は彼の半年間を奪ってしまった」と、
好きじゃない男性をキープしていたことを後悔しました。


とはいえ、私には本命がいる。
本命彼と結婚するんだ!と張り切っていた私ですが、またメンヘラが出現していたようです。

クリスマスに本命彼と会う約束をしていたのに、
連絡がこなくなっておかしいと思っていたら、「別れよう」とメッセージがきました。
「結婚前提」だったハズなのに、メッセージひとつでお別れ。
付き合って2週間でした。


本命彼もできたので、他の男性とは連絡を取らなくなっていたところでした。
クリスマス、手持ちのカードは全部なくなりました。
また一からやり直し。


外見を地味子から派手目AneCan風にガラッと変えて、
モテテクを使って、
心理学講座で上手なコミュニケーションも習って、
相手に合わせたキャラになってモテるようになったのに、
何がダメなんだろう。
まだ?まだ足りないものがあるの・・・?

絶望 of 絶望。


その時、婚活セミナーに参加した時に素敵だと思った結婚相談所の美魔女仲人さんを思い出しました。
その美魔女仲人さんに連絡を取ると、年末にも関わらず、すぐ会う約束をしてくれました。

話を聞いてもらい、私は「そもそも活動場所が間違っていたのかも?結婚したいなら結婚相談所が一番だ。入会すれば全て上手くいくだろう」と考え、
40代でハイスぺ旦那と子持ち再婚したモテ無双な美魔女仲人さんに、お任せすることにしました。
その美魔女仲人さんは、相談無制限で、LINEの添削もしてくれました。


本格的なお見合いは、いつものオミパや婚活イベントと全然雰囲気が違っていました。
男性も、結婚に真剣な人しかいません。

が、なぜか私はモテなくなりました。
初回のお見合いは成功しても、デートになると2回目のお誘いがないのです。

おかしい、、、。
年下や同年代にモテていた私が、お見合いだと40代の男性にモテないなんて・・・。
苦戦しましたが、理由がわかりませんでした。

美魔女仲人さんには、「本当にデート楽しんでる?」と聞かれていました。
私は「みんな良い人だし、楽しいです」と答えていました。


困っていた私は、とあるSNSで知ったセミナー動画を買ってみました。
それは、「愛の器」をテーマにしたパートナーシップセミナーでした。
そういう教材を買うのは初めてでしたが、
以前から気になっている起業家の女性が出演していたので、購入しました。

頭が揺さぶられるような衝撃を受けました。。。

「愛のカタチは、人それぞれ。相手が必ずしも、欲しいカタチでくれるとは限らない。視点を変えてみると、相手の愛がわかる」そんな内容でした。

私がこれまで誰からも愛情を感じていなかったのは、こういう事だったのかもしれない。

私は、その1時間のセミナー動画を毎日みました。
毎日、違う個所に心が引っ掛かり、その引っ掛かりを内省していました。


1か月経って、引っ掛かりがなくなった頃に、自分の変化に気付きました。

その時に私は、子宮筋腫の手術をしたのですが、(手術は無事に成功)
親に来てもらわなければならず、久々に会話しました。

セミナー動画をみていた私は、
その時の親との会話で、いままでと違う捉え方をしていました。
「もしかして、親は愛をくれていたけど、私の欲しいカタチじゃなかっただけかも?」
思考が変わっていました。


退院、療養した私は、また婚活を頑張ることにしました。

プロフィールも、それまでは「誰にでも好かれそう」な文章にしていましたが、
神社巡りが好きなことや海外志向があることを書いて、自分ならではの特徴を出しました。
申込は減りましたが、私の内面を気に入ってくれる人ばかりになりました。


「愛の器、愛のカタチ」も知ったので、男性はすべてgiveなんだ!と思えるようになってきました。
それまでなら、「嫌だ」と思った男性の行動も、「愛だ」と捉えられるようになりました。
小さな言動も見逃さずお礼を言えるようになった私は、
3回目のデートでは「結婚考えています」と言われるようになってきました。


でも、なんだかモヤモヤがぬぐい切れない。
相手が私に夢中になるのは嬉しいけど、「結婚」と言われるとモヤモヤ。


あるとき、美魔女仲人さんに「まだ課題を克服できていないのね」と言われました。
私が、相手に本気で向き合っていないというのです。
確かに、仲人さんと何度かそのような話にはなった気がします。
そういえば、「愛のカタチ」についても、美魔女仲人さんに言われていた気がします。
「条件じゃなく、相手の本質をみるように。男性はいつでも与えてくれている」

さらに、「自信がないから、モテテクにばかり走っているようだけど、結婚で大事なのはそこじゃないよ。何度言えばわかるの?」と指摘されました。

「出会った男性に、本当に思っていることを言うように」と、課題を出されました。
私は、言っているつもりでした。
でも、「相手の本質をみようとしなくて、自分の気持ちを言えてないから、お見合い男性とデートが続いてなかった」と、また指摘されました。
最近、結婚考えていると言われるようになっても嬉しくない原因も、そこだと言われました。


デート相手は、クチャラーや汗臭い男性もいましたが、それらを指摘したことはありませんでした。

美魔女仲人さんに「なぜ?」と聞かれました。
私は、「相手が不快になります」と答えました。
美魔女仲人さんは「相手が不快にならないように言えばいい」と言いました。
私は、「そんな言い方、わかりません」と答えました。
すると、美魔女仲人さんに「じゃあ、私に聞けばいいじゃない。私、そういうの上手だよ。なんで相談しないの?」と言われて、ハッとしました。

私は、そういうことは自分で考えるもの、人に相談にするのはどうしようもなく困った時だけ、
という考えに縛られていたことに気付きました。
美魔女仲人さんに、何といえばいいのかアドバイスをもらいました。
LINEのやり取りも、美魔女仲人さんにスクショを送って、返事を考えてもらうようになりました。


私は男性に本音を伝えることにしました。

美魔女仲人さんのアドバイス通りにしたのですが、1回目は失敗。
セリフだけ言われたとおりにしたけど、表情カチカチ、暗い重苦しい雰囲気で
「食べるとき、口を開けてるのが気になるんです・・・」と言ったからです。
相手はショックを受けたようで、私に対して態度が横柄になりました。

でも、2人目に言う時には、もっと気軽な気持ちで言えました。
「食べるとき、口開けてるよね。気になるな♡」
相手は、「ごめんね!気を付けるね!」と、さらっと返事して、
その後も、普通に会話を続けました。

本当のことを言っても、男性が嫌な気分になっていないことを実感してきました。
むしろ、相手も楽しそうです。


それに、私が本心を言ったときの相手の反応は、人それぞれ違うことにも気付きました。
素直に受け取る人、言い訳する人、言葉だけで行動が変わらない人、俺流を突き通す人、可愛らしいリアクションの人、面白い反応の人。
本心をいうと相手の個性もわかるし、そこではじめて私との相性が判断できるんだな、と納得しました。

いままでは気に入られるように、と振舞っていたけど、パートナー選びは違うのか。
本当に思っていることを、言葉にしたり文章にすることに抵抗がなくなってきました。


ちょうど恋愛対象にならない練習相手もいたので、その人相手に、散々本音を言うようにしていました。
ぶりっ子キャラで言ってみたり、サバサバ系で言ってみたり、
こういう風に言ったらどんな反応をするだろう?と、実験にも使っていました。

美魔女仲人さんに相談しなくても、自分でセリフやLINEの返事を考えられるようになりました。
仲人さんの真似からはじめたので、
”自分の本心を伝えながら相手も受け取りやすいカタチで表現すること”
も、すんなり出来るようになりました。


その頃の私は、アプリ、ナンパ、お見合い、etc、どんな出会いからでも、
3回目のデートでは必ず「結婚したい」「結婚前提で付き合いたい」と言われるようになりました。
その中には、私が書いていた理想の結婚相手像72個に当てはまっている男性も、数名いました。

結婚相談所では、「必ずプロポーズを引き出す女」「真剣交際の女王」と呼ばれるようになりました。


4.自分の気持ちを伝えたら理想の男性と幸せな結婚生活へ

結局、1年間で11人、2ヵ月で6人からプロポーズを引き出した私が最終的に選んだ男性は、
恋愛対象としてみていなかった人。
9歳年上のちょっと変わった、ぽっちゃり(?)サラリーマン。
(昔は年上好きじゃなかったのに・・・・)

 
散々、本音を言う練習台としていた男性。
結局、彼に一番素直な普段の私を見せることが出来ていたのです。


彼は理想の男性像に全て当てはまっていましたが、
彼の前で素直になれることや理想の男性であると私自身が気付くのには、半年近くかかりました。
彼は奥手で、どうやらもっと前から私と結婚を決めたかったようですが、
美魔女仲人さんが「時期尚早。まだ彼女は気付いていない」と判断し、
プロポーズ時期を探っていたようです。


私は当初決めていた通り、入会から1年以内に結婚相談所を退会して、婚活卒業しました。

結婚準備のための式場見学。
すべて順調♪ルンルンルン♪と思っていましたが、またメンヘラに戻りそうになります。


退会して一か月後、私の誕生日に都内のホテルステイをオネダリしたら、
彼にめんどくさそうに断られました。
彼の反応は、私の期待と全然違うものでした。

その夜、久々に泣きました。

「結婚決まったばかりなのに!二人で過ごす最初の誕生日がこの扱いか!姫というのは名ばかりか!」
そう思って寝ました。
(彼には、姫と呼ばれていました)


ですが、そこは、婚活で色々な経験を積んだ私、、、
翌朝気持ちを切り替え、ドキドキしながら彼にメッセージしました。

「ここのホテルの朝食がすごく有名だし、誕生日当日にホテルで過ごすのが夢だったの♡」

彼からの返事は「夢なら叶えないとね」でした。


後日、なぜ最初に断ったのか聞いてみると、
「元々都内のホテルステイは気が乗らない。地方に旅行は好き。それに、誕生日当日は平日だからゆっくりできない。せめて土日が良いと思った」ということでした。
私に対してお金かかるとか、メンドクサイとか、そういうことではなかった。


さらに、私には、まだ残された課題がありました。

大人になってから、親しい人に親と不仲なことを言ったこともありましたが、
だいたいが「親と仲良くしたほうがいいよ」という反応。
なので、親との関係性を彼に言うのを躊躇っていました。

それに、実は、一番大人しく母のいう事を聞いていた下の弟が、大学進学以来、家族との連絡を断絶していたのです。
母が宗教に入信していることもありました。
(いっぱいある・・・)


彼の家庭は、何も問題ない一家。
親御さんをみて、私は「この人達に育てられた息子なら大丈夫」と、結婚を確信したくらいです。
そんな彼に家族のゴタゴタがわかるのかという不安もありましたが、思い切って打ち明けました。
親とは学生時代から関係性が悪いこと、弟が音信不通なこと、母が宗教に入信していること。


彼の反応は、また意外でした。
「へーそうなんだ、そういう事もあるよね」


あまりにも軽い?返事だったので、私は気にならないのか、さらに質問してみましたが、
彼は「君の感情もあるし、家庭環境は人それぞれ違うから、絶対親と仲良くしろとも思わない。弟さんのことも、親御さんと彼の問題でしょ。宗教のことも、お義母さんの問題。宗教=悪でもない」と言っていました。


すごくスッキリしました。
彼のこういうところに惹かれたのだった。
一人で悩んでアホみたい。

誕生日の件も、婚活卒業前の私なら、泣く前に彼に理由を聞いていたと思います。

”婚活頑張って”卒業した私は、「彼を失ってはならない!頑張らねば!」になっていました。
捕まえたら逃したくなくて、ひとり悶々としていました。
「自分の気持ちや隠したいことを言ったら彼に嫌われる?」というメンヘラが顔を出したのです。

彼といると、頑張らない私でいられる。
だから彼を選んだことを思い出し、彼に対して頑張るのを辞めました。

その後、両家の顔合わせ~式場選び、とまた順調に進みました。


しかし、一緒に生活するようになると、また2日目の朝に私は、大泣きすることになります。

彼が元々住んでいた家に私が引っ越す形で新婚生活をスタートさせたのですが、
彼が家の中を片付けていなかったのです。
そのことで、彼と大喧嘩になりました。

私は、はじめて、彼の前で泣きました。
ギャン泣きでした。
こんなに人前でボロボロ泣いたのはいつぶりだろう?思い出せません。
彼もビックリしていました。
すぐに彼から謝ってくれて、仲直りしました。

はじめの3か月くらいは、なぜか色んな事が起こり、
些細なことでぶつかっては私がギャン泣きして、彼が謝って仲直り。
ということがよくありました。


私は、メンヘラこじらせ女を脱出して理想の男性を掴んだことで、
友達に婚活アドバイスを求められるようになっていました。
パートナーシップに自信もあったし、ウキウキな新婚生活を期待していただけに、
反動でマリッジブルーになりました。


よく”結婚がスタート”と言われていますが、身をもってかなり実感しました。
婚活中に、”自分の本心を話す”ということを散々練習してきて、得意になったつもりでしたが、
婚活中はまだ”路上研修”にも出てない状態。
”リアルな生活”をしてみて、はじめて気づくこと、私の良妻賢母の思い込みや、
二人の生活習慣の差もたくさんあって、これが”本番”なんだと思いました。


”本番”は、婚活中のように常に寄り添ってアドバイスをくれる仲人さんはいません。
(それでもどうしようもないときは、退会後も仲人さんに相談させてもらっていたけど)

基本は、二人で都度都度、本音で話し合って、家庭を築いていくしかない。
辛くて泣いたりもしたけれど、なぜかその度に、私は彼に対してどんどん素直になっていきました。
夫婦の絆も深まっているのを感じました。


今では笑い話ですが、入籍して2か月後の結婚式は、大々的な事件になったんです。

式後の会食中、夫が一人では歩けないほど泥酔して、彼の口から聞いたこともない下ネタが飛び出して。
やっと関係性が良くなってきた父母のいる前で、新婦の私に向かって「ババア!」と暴言吐いて。
結婚式が最後の最後でぐちゃぐちゃになった。

その時も、帰宅後に悲しさが溢れてきて泣いたなー。
彼は泥酔して爆睡してた。
翌朝、全く覚えていなかった彼にキッチリ話しました。
その日の午後には私もすっかり元通りになって、
「昨日酷かったよねー」て彼をイジリ(イジメ?)つつ、仲良くお出掛けしました。
お詫びにホテルの朝食ビュッフェに連れて行ってもらう約束取り付けました。


昔からどうせわかってもらえないと何も言えなかったこと、
我慢していたこと、人前で泣かないようにしていたこと、自分の気持ちを言うのが怖かったこと。
彼の前では、全部気にせず、子供の頃のように、何でも話す事が出来ました。


私は、”家事しない妻”も実践しています。
そのことについて夫と話し合ってみると、
彼は「身の回りのお世話をして欲しくて結婚したんじゃないよ。幸せな姿がみたいんだよ。それに、一人暮らしでやっていたから」と言っていました。
当初五分五分だった家事負担ですが、夫の割合が増えて、8:2になりました。
夫は「俺のほうが家事得意だよね~!」と、自慢げに言うようになりました(笑)

現在結婚4年目。
新婚当初に比べ話し合うことも増えましたが、夫とコミュニケーションとるのは増々上手くなっています。
何かトラブルがあっても、結局私の思い通りになっています(笑)

彼の特性もわかってきて、
例えば、収集癖がある人なので、アボカドの種や値札シールも、一回保管しないと気が済まないとか。
短気だけど15分後には素直に謝るとか(笑)
そういうのも、面白かったり、可愛いと思えるようになりました。

夫への接し方をSNSにアップしたり、友人に知らせていたら、
「プロ妻」と呼ばれるようになりました。

家庭外でも内面の変化に気付く出来事がありました。
会社で別の部署の男性に、理不尽に怒鳴られた事があったのです。
(婚活が上手くいくと同時にホワイト企業に就職もできました)

私はムカついたまま自席に戻りましたが、
「いきなり怒鳴られて怖かった・・・」という気持ちが湧き出てきました。

慌ててトイレに駆け込み、「怖かったよー」と、一人トイレでボロボロ涙を零しながら泣いていました。
こんな風に仕事中に泣いたのは、鬱になりかけた会社だけでした。
過去の私なら、絶対泣いてない程度の事。

夫の前で散々、喜怒哀楽の気持ちを出して伝えられていたから、
気持ちに蓋をせず、素直に泣けるようになったのだと思います。


そういえば、会社でも友達の前でも、”キャラ変能力”を使わなくなっていました。
すごく、すごく、気持ちが楽になっているのを感じました。
自分の変化を改めて実感した出来事でした。

ちなみに、両親との関係性ですが、
今ではLINEしたり、実家に一週間以上滞在したり、安心して子供を預けられるようになりました。
この辺りのことは、かなり詳しく別のストーリーにしています。
こちらも是非読んでいただければと思います。


私は、過去の経験から、人は一人の力で立って生きていかなければならないと思っていました。
誰にも頼らず、相談せず、自分の力だけで人生を何とかするものだと思っていました。
でも、そうではありませんでした。

ノウハウやテクニックにばかり頼って上手くやろうとしていた時期もありましたが、
それだけでは本当のパートナーは見つかりませんでした。


本心をみせられる相手が一人でもいれば、人生は変わる。
本当の願いは全て叶う。

大切な人(もちろん自分を含む)と心地良い関係を築くことは、
必ず人生を豊かにします。

今は、心からそう信じられます。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
嬉しいです!

冒頭に書いたことがリアルだとわかってもらえたハズ(笑)


いま振り返って思う事があるんだけどね。

自分の気持ちを押し殺したり、
女扱いされていなかった頃の私って、
自分の気持ちを”ゴミ” のように扱っていた。

それは、私自身を”ゴミ”のように扱っていたのと同じだった。


だけど、自分の気持ちを”素直に大切に”扱うようにしたら、
周りにも私を大切に扱ってくれる人が増えたんだよね。
そして、その人達の気持ちにも、向き合えるようになった。
それが、「モテ」に繋がったのだと思う。


そして今は、婚活時代よりもさらに
大切な「自分の気持ちを伝える」を意識しているから、
結婚当初よりわがままでも夫に愛されていて、
子育て苦手でも子供にイライラせずに、
私だけの幸せを堪能出来ているのだと思う。

それについて詳しくは、親との関係性でのエピソードで触れていきます。


幸せになってみると、当初考えていた
「周りを見返してやるー!」て気持ちはなくなった。

ちなみに、、、
後で見返した私の最終的な”理想の結婚相手像72個”には、
こんなことが書いてあった。

・都内か沖縄か海外在住、海外移住OK
・お腹の肉がつまめる(ガリガリは嫌)
・二重
・良い匂いがする

年下好きだったのに、年齢のことは全然書いてなかったのー!!!
海外に住みたくて、「駐妻」になりたかったんだけど、それも書いてなかった。


夫は海外移住もOK(プロポーズされた時に聞いてみた)で、
婚約してから知ったけど沖縄の血が流れている人だった。
肉は言うまでもなく余裕でクリア・・・。
匂いに関しては、汗かきで香水類一切つけていないデブなのに、良い匂い~。
(これは、私に合ったフェロモンてことらしい!本能すごい!!!)


同時期にプロポーズしてくれていた人の中には、
年収2,000万円のアメリカ駐在員、
5歳年下の海外赴任要員、
沖縄赴任になった人もいた。

不思議だけど、”素直”な本音で話すようにしたら、
私の周りは、”理想の男性像”に当てはまる人ばかりになっていたんだよ!!!
(熱弁w)


私の辛かったことと、それを克服した経験が、
恋愛結婚、人間関係で悩んでいる女性のお役に立てるといいな。
幸せなカップルや家族が増えるといいな。


この記事にスキ♡や、この物語の感想教えてもらえると、めちゃくちゃ嬉しいです!

続きの「毒親育ち編」はこちら→
https://note.com/masakoharuno/n/n503e24b53145


婚活から、妊活、双子含む3児の育児まで、すべて書いているブログはこちら→
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